【主日礼拝】2023.10.15「その日」
これは2023.10.15の主日礼拝で、H.Y牧師がお話した内容をまとめたものです。
【 聖書箇所 】
( 旧約 ) 『創世記 6章5-8節』
( 新約 ) 『ルカによる福音書 17章20-37節』
【 説教まとめ 】
ファリサイ派は、「神の国はいつくるのか」と、イエスさまに尋ねました。この ”神の国” とは、原文では『神さまによる王の支配』という意味です。
イエスさまが活動されていた時代は、ローマ帝国がユダヤ人を支配し、たくさんの税金を取り立てて人々を苦しめていました。
本来は、ユダヤ人こそが世を治めるはずなのに…。ユダヤ人たちには不満が募っていたことでしょう。
ファリサイ派は、そのようなときに、福音を宣べ伝えているイエスさまに、神の国の到来の時を尋ねたのです。
< ルカによる福音書 17章20-21節 >
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形ではこない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
ファリサイ派は、「神の国はこれから来るもの」と思っていましたが。イエスさまは、「すでに来ている」と言われました。ファリサイ派は、そのことを認めません。
イエスさまをメシアとして決して認めないし、その言葉も信じられないのです。それは、イエスさまがローマ帝国を武力によって倒そうとはされないからです。自分のメシア像とは全然異なるものだったのです。
けれども、イエスさまは、イエスをメシアと信じる者に神の国が来ることを言われているのです。
一方、イエスさまは、イエスをメシアと信じる弟子たちには、ファリサイ派とは、異なることを言われます。しかし、弟子たちも、メシアであると信じていても、自分たちの望むメシア像を見ていました。
< ルカによる福音書 17章22節 >
それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう」
イエスさまをメシアと信じる弟子たち、信じないファリサイ派も、結局は、神の国というよりも、自分の望む国を求めていました。イエスさまは、天の父の御心のままに神の国を言い表されたのです。
< ルカによる福音書 17章25節 >
しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。
肉は、誰が王になっても、力による奪い合いが続きます。イエスさまは、すべての人の罪を負い、十字架の贖いによって世を救い支配することを告げられました。
イエスさまは、続けて、ノアやロトの時代のお話をされました。”その日”とは、神の言葉を信じなかった人を裁く日のことです。
どうしても、罪を犯してしまう私たちが、その裁きを避けることができるのでしょうか。
それには、イエスを主キリストとして信じ、それは金の冠ではなく、茨の冠をかぶり、十字架を負った主キリストの姿であることに目を向けることです。
私たちには、2つの信仰をもって今を生きることが重要です。
【 神の国がまだ来ていない信仰 】
いつくるかわからないが、神の国を待つ姿勢です。それは、自分たちの罪と向き合い、イエスさまを受け入れる生活を送ることです。そして、再び主が来られることを待ち望む希望の信仰です。
【 神の国がすでに来ている信仰 】
2000年前に、イエスさまはすでに来られました。そして今は、私たちには聖霊が与えられ、常に共におられる喜びの信仰です。
今を喜び、将来についてもイエスさまの希望をもつこと。これが、神が私たちに与えられている豊かな恵みなのです。