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【 説教02 】「輝く星の導き」

  これは2021.12.26に、子供と大人の参加するクリスマス礼拝で、私がお話したものです。
  このあたりから聖書の中の疑問を聖書の中から答えを探す解き明かしを意識して、お話しするようになってきました。

  彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。  学者たちはその星を見て喜びにあふれた。  家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。  ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

マタイによる福音書 2章9-12節


【 説教 】 約12分30秒

  今日のお話は、東方の学者たちがイエスさまを探しあて、その誕生を喜んだというものです。

  東方の学者とは、異邦人のこと、ここでは、主をまだ知らない人たちのことを指しています。彼らはどのようにしてイエスさまにたどり着いたのかというと、「星の導き」に従って来たというのです。

  聖書はおもしろいですよね。旧約聖書もそうですが、聖書の始まりは、なんだか少しファンタジーっぽい印象を受けませんか。けれども聖書を読んでいると、この星には意味があることに気づくのです。

  今日は、東方の学者たちが星を追ったように、私たちは聖句を追いながら、主の言われる “ 星 ” について御心を深めていきたいと思います。

  創世記の話です。

  主は、アブラハムに言われました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる(創世記15:5)」。

  東方の学者たちが見ていた星というのは、このときアブラハムが見た星のことではないかな、と私は思います。ここでアブラハムは星を通して、何を見ていたのでしょうか(ローマ8:24-25、Ⅱコリント4:18)?

  天地創造の4日目、主は、天の大空に2つの大きな光る物を造り、大きな方に昼を、小さな方に夜を治めさせられました(創世記1:16)。

  ここで私たちは、「主は優れた芸術家、アーティストである」ということに、心をとめなければなりません(創世1:1-31)。
  神は、聖書を書かれた作家であり、人を土から造った陶芸家、世界にご自身のご性質を描き出される画家なのです。

  あなたも国語の作文、美術や図工の絵や工作、夏休みの研究課題など、作品に何かしらの思いを込めて作りませんか。

  主も同じなのです。

  ご自身が造られたものを見て「良し」とされた主は、このすばらしく美しい世界を、それにふさわしく、壮大な表現をもって飾られます。
  そして、その中に神の国の秘密を隠しておられるのです(箴言25:2、ローマ1:20、コロサイ1:16、2:3、Ⅱペトロ1:20-21)。

  「天の大空に2つの大きな光る物」とは普通に読むと、太陽と月のことを言っています。けれども、この星はどこにありますか?

  天にありますよね。
  これは星になぞらえて、天の御国の話をしておられるのです。

  天の御国で大きいものとは、何ですか?

  イエス様のことですよね。

  小さい者は?

  神の子あなたのことですよ。

  サタンのことを ” 暗闇の支配者 ” と言われるように(エフェソ6:12)、聖書の中では、この地上のことを ” 暗闇 ” と言います。

  私たちは主の祈りの中で、「御国が来ますように」と祈ります。御国は確かに来ています。けれども、この地上のすべてにはまだ降りて来ていません。

  では、どこに来ているのでしょうか?

  闇夜で月は輝きます。それはあなたですよ(フィリピ2:14-15)。月はどうやって輝くのですか?

  太陽の光を受けて輝くのですよね。

  そうすればこの聖句の意味がわかります、「あなたがたは、以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています(エフェソ5:8a)」。

  イエスさまを知るあなたは、そのイエスさまの光を受けて、この地上で輝く光なのです。御国はあなたのところに来ています。だからイエスさまは「あなたは世の光」と言われるのですよ。

  主は、そのことを天をキャンバスにして描かれたのです。その絵の中には、神のご計画が記されているのです。

  主は天地創造の際に、なぜ人を最後に造られたのか?

  あなたは、そのことを心にとめたことはありますか?

  主は、6日間で天地を創造し、7日目に休まれた。光を造り、空と海を分け、陸と海を分け、草木を芽生えさせ、天に光る物を造り、魚と鳥、動物を造りました。
  そして、最後に人を造られて言われましたた、「地上に満ちて地上を従わせよ、生き物(魚、鳥、動物)をすべて支配せよ(創世1:28)」と。

  そのことを新約聖書では、このように解き明かしておられます。

  なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

エフェソの信徒への手紙 2章10節

  主は、人よりも先に何を造られたのですか?

  私たちのために、「あなたたちがやることは、これですよ。あなたの生きる喜びは、働きの中にあるのですよ」と、まず人が行う善い業を造られたのです。
  その善い業の上に、それぞれに役割を与えて人を置いたのです(エフェソ4:15-16、コロサイ19b)。

  ですから、主を知る人と人との間、私とあなた、もちろんあなたとほかの主を知る人々との間には、主の善い業が満ちています。私たちは、主の喜びに包まれています。私たちは、この主の善い業を通して人と関係を結び、人とつながるのです(コロサイ3:15、Ⅰペトロ4:10)。

  イエスさまが地上に来られた大きな目的の一つは、この働きのためです。霊に導かれる者がどのように人生を歩むのか、その模範を示すために来られたのです(Ⅰペトロ2:15,23-24)。

  それが王の務めだからです。

  あなたはイエスさまを信じたとき、「あなたは私のものです」ってポンポンポンと聖霊によって判子を押されました(エフェソ1:13)。

  学校でも先生に言われませんか、「自分の持ち物には名前を書きなさい」。主も同じように、私たちの心に御心を記しました(創世2:24、エレミヤ31:33、ヨハネ20:22、Ⅱコリント1:22、4:6、エフェソ2:14-16)。

  全会にお話ししましたよね。

  「あなたは主のものですよ(コロサイ2:13b-15)」。そして、あなたが本当に神の子であるなら(Ⅰヨハネ2:19)、終わりのときに、おでこに真の名がいただけます(黙示録22:4)。

  主の前に忠実であった者は、イエスさまが再び来られた時に…エリヤは生きたまま天に挙げられましたよね。

  そのようになるのです。

  でも、その前に亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんはどうなるのですか。不安になりますけれども、安心してください。イエスさまは、旅の途中に死んだ子供を生き返らせました。

  そのとき何と言われましたか?

  イエスさまは、「死んだのではない。眠っているのだ(ルカ8:52)」、そして「起きなさい」と起こされました(ルカ7:14、8:54)。

  この子は、イエスさまの復活とは違って、新しく生まれ変わったわけではありません。寿命などでは死んでしまうのです。けれども、復活されたイエスさまも、マリアたちのもとに現れたとき、「おはよう」と何でもなかったかのようにあいさつしていましたね(マタイ28:9)。

  主を信じる私たちの死は、死で終わりません。「永遠の命があるんだよ」と言われます。獣たちには「第二の死があるぞ」と主は言われます(ガラテヤ6:7-8)。その時が来ると、天使のラッパが鳴り響き、「起きなさい」と起こされるのです(Ⅰテサロニケ4:13-18)。

  そして、どうなりますか?

  目覚めた人々は大空の光のように輝き 多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く。

ダニエル書 12章3節

  この星とは、主の前に忠実であった者が、主と永遠に結ばれた姿なのです(エフェソ2:6-7)。

  その星となった最初のものとは誰ですか?

  イエスさまですよね(フィリピ2:6-11、コロサイ1:18)。イエスさまは初穂だと言われます。
  初穂とは、「最初だよ、1番目だよ」ということです。つまり、「続く者たちがあるよ」と言われているのです(Ⅰテサロニケ5:10、Ⅱテサロニケ1:13)。

  それは誰ですか?

  それは主の道を歩むあなたですよ。
 (ルカ6:40、ガラテヤ4:7、Ⅰペトロ1:23)

  東方の学者たちを導いた星とは、何だったのでしょうか?

  わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。

ヨハネによる福音書 6章44節

  あの星は、十字架の贖いが完成されて復活されたイエスさまの輝きなのです。主ご自身があなたをイエスさまに引き合わせてくださったということです。
  アブラハムは見ないで信じる者でした。東方の学者たちも見ないで信じる者でした。

  何を信じていたのですか?
 (フィリピ3:3、3:21、Ⅰペトロ3:21)。

  イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。

ヨハネの手紙 Ⅰ 5章1節

  イエスさまは、あなたの中に住んでおられます(Ⅱコリント6:16b)。イエスさまが生まれたということは、それを信じるあなたが神の子として生まれたということです(ローマ12:2)。

  クリスマスとは、主の誕生を喜び祝う日です。

  けれども、そこに含まれる意味は、“ 主の誕生を通して、そのことを信じるあなたが神から生まれたこと ” 、このことを喜び、神に感謝を捧げる日なのです(ルカ2:20 → 11:28 → 10:20 = Ⅰヨハネ5:1)。  

  アブラハムは、自分のことを引き継ぐ子が生まれなくて、嘆いて絶望していました。そのアブラハムを、主は外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる(創世記15:5)」。

  エリヤは、「自分が死んだら、主を宣べ伝える者がいなくなってしまう」、そのことを恐れて洞窟に隠れたのです。そのエリヤを、主は外に連れ出して言われました、「私は、バアルにひざまずかなかった7000人を自分のために残しておいた(ローマ10:4、列王上19:18)」。

  この7000人とは、アブラハムが仰ぎ見た数えきれないほどたくさんの星の輝きのことです。アブラハムがイサクを得たように、エリヤもエリシャを得ました。

  私たちも気持ちが下がって、悩んだりするときに下を向いてとぼとぼ歩いたり、独りの部屋に隠れて、自分の殻にこもってしまうことがありませんか。

  けれども主は、あなたを外に連れ出し、天を仰ぎ見るように言われるのです(フィリピ4:4-7、コロサイ3:1)。

  主は、星々をあなたの楽しみのため、天に描かれました。それはいつでも、どこでも信仰の喜びに満たされていることを知るためです(エフェソ3:14-19)。

  昼の太陽を見て、「イエスさまが天を治められている、私たちはその光の子なのだ」、そのことに思いを寄せてください。夜の月を見て、「自分は主の光を受けて、この地上を任されているのだ」、そのことに胸を躍らせてください。主と永遠に結ばれ、星となる喜びを見てください。

  月は太陽の光を受けて輝きますが、星は自ら輝きますよね。なぜですか?

  主と結びついた私たちは、永遠に主と共に輝く者となるからです。その輝きは、主のものか、あなたのものかわからないほど、強く結びつくということです。それも永遠に。

  だから、私たちは祈るときに手を組みます。

  イエスさまは花婿です。私たちは、男も女も、お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも皆、イエスさまとの関係では花嫁です。

  女なのです。

  だから主は言われる、「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、2人は一体となる(創世2:24)」。私たちは、この組まれた手を見て、「私はいつも主と一緒なんだ」ということを見ます(エフェソ2:18、3:12)。

  あなたが主と共にあって、とこしえに輝く星となりますように。

  お祈りをします。


【 祈り 】

   天の愛するお父さん、私たちをイエスさまと共に永遠に結ばれる幸いに招いてくださってありがとうございます。

  目を開けても、目を閉じても、主はそこにおられる、信仰の贈り物に私たちは喜びあふれています。主のいないところに私は行きません、主のいるところに私は行きます。

  主がいつも私たちに目をかけ、愛を注ぎ、私以上に私のことを思ってくださることを私たちは知っています。そして、その目を、愛を、思いを人々に向けてくださる神を賛美いたします。

  この祈りを、私たちの主であり、キリストであるイエスさまのお名前によってお捧げいたします。

  アーメン。

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