【CS礼拝】2024.4.28「私は口を開いてたとえを語る」
2024.4.28のお話は、ね羊さんが担当しました。説教全文は、別にあげておりますので、教会員に配布している礼拝プログラムの『説教要約』と『お祈りのことば』をあげます。
本文では、『聖書協会 共同訳』を引用しています。
【 聖書箇所 】
【 タイトル 】
「私は口を開いてたとえを語る」
【 説教要約 】 ※ 最期に聖書引用版もあり
日曜の礼拝は、私たちに立ち止まることを教えてくれます。前の一週間を振り返り、御言葉を通して、次の一週間をどのように生きて行こうかと、思い巡らせる姿勢をあなたに与えてくれます。
それを英知と言います(箴言2:3-5、マタイ10:37-39)。
その頭の理解でしかなかったことが、自分の思いとなって心に降りてくること、それを知恵と言います(マタイ26:39、Ⅰコリント1:30)。
多くの人は、言葉よりも行いによって、その人の心のうちを見ます。私たちは、神を知らない人にも、御国の働きが及んでいることを知らせる契約の塩であり、神を知る人にとっても、その教えの模範を示す御国の光の現れです。
私たちがそうあるようにと、イエスさまは祈りによって、私たちを神の子としてくださっています(マルコ11:23-24、ヤコブ1:5-6)。
アーメン。
【 説教全文 】
【 お祈り 】
天の愛するお父さん、私たちがあなたの教えを忘れてしまえば、私たちは、いったい誰の子とされてしまうでしょうか。
あなたの祈りによって、あなたの見ておられる正しい私の姿につなげてくださること、あなたの教えにとどまり、あなたの子としてくださる幸いに、いつも喜び、感謝しています。
この祈りをイエス・キリストの御名によってお献げいたします。
アーメン。
【 説教要約:聖書引用版 】
日曜の礼拝は、私たちに立ち止まることを教えてくれます。前の一週間を振り返り、御言葉を通して、次の一週間をどのように生きて行こうかと、思い巡らせる姿勢をあなたに与えてくれます。
それを英知と言います(箴言2:3-5、マタイ10:37-39)。
その頭の理解でしかなかったことが、自分の思いとなって心に降りてくること、それを知恵と言います(マタイ26:39、Ⅰコリント1:30)。
多くの人は、言葉よりも行いによって、その人の心のうちを見ます。私たちは、神を知らない人にも、御国の働きが及んでいることを知らせる契約の塩であり、神を知る人にとっても、その教えの模範を示す御国の光の現れです。
私たちがそうあるようにと、イエスさまは祈りによって、私たちを神の子としてくださっています(マルコ11:23-24、ヤコブ1:5-6)。
アーメン。
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