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【 主日礼拝ノート 】神を知るということ

  これは2023.11.26の主日礼拝で、東京神学大学から招かれた神学生N.Mさん(男性)がお話されたものを書き留めて、書き起こしたものです。

【 聖書箇所 】
(旧約)詩編 42章1-11節
(新約)使徒言行録 17章22-31節

【 説教内容 】

  パウロはアテネで2人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。

使徒言行録 17章16節

  アテネの町には、人間よりも多くの神がいたと言われています。その神々とは、『ギリシア神話』の神々ですが、太陽、月、星から、嵐、風、海、酒などありとあらゆる神々が祀られていました。

  私は日本では浅草になじみがあるのですが、そこでは風神、雷神、あと河童などがいろんなところで像やイラストなど置かれています。日本ではほかにも仏像や地蔵など、あらゆる像が置かれていますね。

  このようなイメージではないでしょうか。

  パウロは、シラスとテモテをアテネで待つ間に、この偶像に対して憤慨します。それは、神がイスラエルに対して憤慨したものと同じで、「神に愛された民が何をしているんだ」といったものではないでしょうか。

  パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」

使徒言行録 17章22節

  パウロが町中を歩いていると『知られざる神に』と刻まれている祭壇をたくさん見つけたようです。それほどまでに、アテネの人々は、ありとあらゆる神々をつくって崇めていたのです。

  そこでパウロは、いきなり怒りをぶつけることはせずに、アテネの人々に理解を示し、話し合う姿勢で対話に臨みました。アテネの人々の信仰を否定することなく、その信仰心を新しくしようとしたのです。

  パウロは、この『知られざる神』こそ、『創世記』で天地を造られたことを明確にされた唯一まことの主であり、その主は、人の手で造った神殿には住まわれないことを伝えました。

  日本人でも興味本位で聖書を読む人がいます。そういった人たちにとっては、「イエスは死んだ後に神に奉られた人」という認識があるようです。このような認識では、御心に至ることはできません。

  なぜなら、神は一人一人との交わりをもたれる方だからです。

  神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の教会をお決めになりました。

使徒言行録 17章26節

  パウロは、次に神は人類の歴史に関わっておられ、人々を導いておられることを明らかにします。それは神を見出すための導きです。

  「求めなさい、探しなさい、叩きなさい(マタイ7:7)」とあるように、パウロは、神を探し求めるように人々に訴えます。

  これは求道者の悩みと同じではないでしょうか。求道者は、神を信じているが、どこにおられるかわからずに道に迷っています。私たちは、このような求道者に、「神はあなたと共におられる」と道を示す必要があるのです。

  さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。

使徒言行録 17章30節

  これまでは、救いの道が示されていませんでしたので、神は大目に見ておられましたが、イエス・キリストの十字架によって救いの道が示されました。神は、このことを信じる者を義とされ、悔い改めを命じておられます。

  私見ですが、日本人は神以外のものを神とする傾向にあるように思います。「無宗教である」と言いながら、困ったときは都合のよい神を求め、苦難が去ると、神を忘れてしまいます。

  自分が頼った神が、どのような神であるかもわからずに、その神を頼る傾向にあるように思います。

  罪とは、神に背くことであり、神に向かう方向が間違っています。唯一まことの神に向かうことが悔い改めです。

  「神を信じ、見出し、命令を守れ」と、主は言われています。

  イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」

ヨハネによる福音書 14章6節

  イエス・キリスト以外に真理、道、命、救いはありません。大切なことは、信じる深さや強さではなく、唯一まことの神である内容です。

  神を見出すために、私たちには、聖書、黙想、祈り、賛美、交わりなどが与えられています。神を信頼して歩んでいきましょう。

 お祈りをします。

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