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【新一万円札だけど…】渋沢栄一は千円札の人だったかもしれない⁈

前回のブログで、新一万円札に描かれている渋沢栄一氏について何をした人物だったのかをクローズアップしました。

今回は「資本主義の父」ではなく、「実業家」としての側面を深掘りしていきます!

現代にも通じる理念

渋沢栄一は、日本の近代化と経済発展に多大な貢献を果たした偉人ですが、その功績だけでなく、経営理念と人柄も注目されています。

高潔な人格と温かな心で、多くの人々から尊敬と信頼を集めました。

また、「論語と算盤」という理念は、道徳とビジネスの調和を説いており、現代の企業にも通じる考え方として注目を集めています!

この理念は、道徳や倫理を表す「論語」と、経済・ビジネスを意味する「算盤」を調和させることの重要性を説いています。

最近ではリーマンショックを機に資本主義への反省が高まり、企業の社会的責任(CSR)が問われるようになってきた中で、渋沢栄一の「論語と算盤」の考えが再評価されています。

2019年にアメリカの経営者協会が、株主利益のためだけでなく、社会のための経営をすると宣言しました。

一方で渋沢栄一は、この考えを100年以上前からこの考えを提唱し、実行に移していたのです。

渋沢栄一の理念は現代にも通じる理念だったのです。

千円札の人だったかも⁈

渋沢栄一は、1963年に千円札紙幣の肖像の最終候補に残るほど、紙幣の顔として相応しい人物とされていました。

以前から紙幣に描かれる可能性はあったのです。

当時は伊藤博文と渋沢栄一の2人が最終候補に残りましたが、偽造防止の観点から、髭の豊かな人物が好ましいとされていたため、「立派なヒゲ」があった伊藤博文に決まりました。

たしかに千円札の人は夏目漱石や野口英世も含めて髭がある人のイメージが強いですね。

もし髭があったら、千円札の人は渋沢栄一だったかもしれないのです。

そしてなんと、この渋沢栄一が描かれている千円札の「試作図案」が七十七銀行の金融資料館に展示されています!

選ばれなかったものの、試作はあったのですね。
しかも今でもそれが残っているなんて貴重ですね!

渋沢栄一は七十七銀行の創設を支援しただけでなく、開業後も深く関わり、東北振興会の筆頭メンバーとしてさまざまな社会事業に貢献。東北地方の発展にも尽力しました。

その縁があって七十七銀行の資料に保管されているのですね。

多くの人から尊敬された偉人

1931年11月11日、渋沢栄一は91年の生涯を閉じました。渋沢栄一の葬儀には、多くの人々が集まり、その人柄と功績を偲んだそうです。

斎場に向かう車の列はなんと100台にも及び、葬列の沿道には30,000人もの参列者が集結しました。

この事実は、渋沢栄一という人物が生前いかに多くの人々から尊敬され、信頼されていたかを示しています。まさに偉人だったのです。

渋沢栄一は、単なる実業家というだけでなく人々の心に深く根ざした存在だったのですね。

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