不登校「傷つくということ」
2023年4月から4年の1学期学校に行かない選択をしました。
2.3学期は、別室登校。
2024年4月からは5年生になり、クラスも替わり、学校に行けるようになりました。
次男は最初は、友達の言葉で傷ついてしまったけど、
2学期くらいは、本人曰く克服しました。ただ、それと入れ替わるように
担任の言動により担任への不信感?嫌な気持ちが大きくなり、別室登校を選択していました。
人間関係は、本当に難しい。。。
同じ言葉をなげかけられても響かない人、傷つく人ほんといろいろだ。
私も、自分が気になっていることについては、笑って言い返せるほど強くない。
どうして、人はわざわざ人の嫌がることを言うのかがわからない。
嫌がっていることをわかっているのか、わかっていないのか言ってしまうのだろうか。
私もそこまで自虐的になることも望んでいないし。
もちろん、人の嫌がることを言わない人もいる。
私もなるべく言わないようにしている。
でも、気づかずに言ってしまっているかもしれない。。。
私は、ある人との関わりで、数年前、とても嫌な想いをした。
私も大人、よっぽどまで我慢できる。(笑)
彼女は、自分は!というマウントが強く、私をひどく傷つけた。
それこそ、他の人からしたら、ん?と思うようなことかもしれない。
でも、私はそこにずっと悩んできていた。生活背景によるものだ。
だから、彼女にはわからないのかもしれない。
でも、気づくこともできるはずだ。
どうして察してくれないのだろう。。。
どうして平気で言えるのか。
まっ、みんな人ごとだもんね。笑
本人は、それによって私が深く傷ついたことを全く理解していないだろう。
私は、それでも彼女に対して普通にしていた。。。
昨年子供が学校に行かない選択をしたとき、私はまた彼女から心ない言葉をかけられるのではないかととても怖かった。
また、自分が傷つくのではないかと恐れたのだ。
他の人から言われても、違う解釈ができるのに、彼女からだと違うのだ。
もしかしたら、言わないかもしれないのに、、、
私は彼女に対する人としての信用を本当になくしてしまったのだ。
言われるかもしれないと彼女がこわかった。
そして、
私は彼女を避けた。。。
大人の私でもこんななのだ。。。
次男が傷ついた言葉。。。周りの子は、特になんとも思わなかった。
あの時、あの状況じゃなければ、、、次男も傷つかなかったかもしれない。
でも、
初めて言われた言葉。
言った子供の周りでは日常的に吐かれているのだろう。
そんなに傷つかなくてもよさそうな言葉なのかもしれない。
でも、わざわざ言われなくてもいいよね。
日頃から口の悪いその子にはどうってことない話。
まさか自分の放った一言が人の人生を変えてしまうなんて。
どれだけの責任があるのかもわかっていないし、その子の母も全く
責任も感じていない。
私は、むしろその子が不憫に思う。
人を傷つけてもなんとも思わない親子。
次男は、時間をかけて、時間をかけて乗り越えようとした。
そんな簡単に乗り越えられるものではなかった。
本人から明確な言葉を得られなかったから、何にどう嫌だったのかはわからない。私の引き出し方もうまくないだろうし。笑
とにかく何が嫌ということだけは、教えてくれた。
苦しんでいる次男を支えるのは、こちらも大変。
親も未経験ではじめて、学校に行かない子を支えるのもはじめて。
どうしていいか、何が正解かなんてわかるわけがない。
ただ、必死だったから、ネットでいろいろ助けてくれる人を探した。
どうしたら、傷ついた次男を元に戻せるのか本当に悩んだ。
どうしたら、元の生活に戻せるのか本当に悩んだ。
いくつか救いの手を求めて、一つに決めた。
これも正解かどうかわからない。
そして、子供に接する方法を教えてもらう。
もちろん、自分でもどうしたらいいか、毎日考えて計画して生活した。
子供の自己肯定感をあげることをすすめられた。
褒める。
どうしてそう思ったか、何を感じたかを聞く。
こうして、次男と話をした。
とはいえ、すべてではないよね。ぽつりぽつり引き出す感じ。
傷つくというのは一瞬でも、回復にはとてつもなく時間がかかる。
毎日変化してるのかしていないのか、これがいつまで続くのかわからないまま。時には、人を恨めしく思うこともあった。
なんで、なんで、なんで。
自己肯定感の低い母には修行のようだった。笑
傷つくと言うことは、目に見えないけれど、こんなにもダメージを受けるんだなと思った。
そのうち、友達からの言葉も次男なりに受け止めたようだった。
ただ、次は担任からの言葉だった。。。
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