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「不登校」2学期から始めたこと。     ①兄との関係

2023年 4月に学校3日行ったところで、学校に行かない選択をした次男。
1学期は結局学校に行くことができず、夏休みから準備し、2学期からほぼ強制のように学校に行くことにしました。2.3学期は別室登校しながら、教室にも参加、私は毎日付き添いを続けました。小学校まで1日2往復!!

2024年 4月からは、新しいクラスと担任になり、頑張って学校へ通っています。

この最初に書いた強制と言う言葉。。。この言葉が合っているかどうかわかりませんが。
まず、前提としては、次男に学校に戻るか、不登校支援の学校に行くか選んでもらっています。
その答えが、「学校にもどる」でした。
それなら、母は、協力して学校についていくよ、といういことです。
ただ、本人の行く気待ちを待っていたら行くのがいつかわからないので
強制のように、連れて行ったということです。

まず、学校に入るということからのスタートだったので、少しのことができるだけで、すごい!ってなりました。
2週目は、長男が次男に課題を出してくれました。
(1週目の内容は、よければ、前の投稿をご覧ください。)
課題は、
・月曜日 1階の家庭科室まで行く。
・火曜日 2階の図書室の扉にタッチしてくる。
・水曜日 2階の理科室の扉にタッチしてくる。
・木曜日 3階の音楽室の扉にタッチしてくる。
・金曜日 3階の図工室の扉にタッチしてくる。

今までの次男だったら、上の課題は余裕のよっちゃんでしたが、学校に行かなくなった次男には、大層高いハードル!

でも、長男大好きの次男は、この約束を毎日律儀に守ったのでした。
長男のいいアドバイス?課題のおかげで、素直な次男は、あんなに学校入るの嫌がっていたのに、進んでしかも1人でそれぞれの教室に忍者のようにひっそりと行くことができたのでした。
長男には、感謝しかありません。
私や主人はそんな発想ありませんでしたから。

タッチしてきた後は、前の週のお手伝いが有効じゃないかという先生のお取りはからいにより、先生が用意してくださったお手伝い作戦をして帰りました。

学校にいる滞在時間は、短かったけれど、学校に入れなかったことを考えたらすごい!と毎日褒めていました!!

金曜日には、放課後誰もいない教室にも行くことができました。
この週は、別室にいましたが、そこから、お友達に突然声もかけることができました。
これには、驚きでした。
校庭のへちまを見に行ったり、体育館での体育の授業を覗きにいくこともできました。

こんなにできたら、もうすぐにでも9月中に授業に入れるんじゃない?って本気で願う母でした。。。

こうして、9月の2週目が過ぎました。


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