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普通の幸せ

こんばんは。
今日はある人の誕生日の前夜祭をしてきました。
サプライズする側ってのは何度やっても緊張しまくりで、夜も眠れないものです( °-°)

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今まで普通以上のものをもらっていたせいで、
普通の幸せを感じずらくなって

むしろそれが無くなった時に
普通の幸せってなんだっけって
感じることもできなくなって

ただ普通の幸せに気付けるか気付けないかは

自分の心の持ち様だと思う。

幸せの基準は自分でしか決められないし、決めようと思って決めてるものではないけど

心から素直に、今幸せだなって思えることって

人として素敵だなって思います。

そして、幸せにしたいって思う気持ちも
それ以上に素敵だと思います。

ケーキ屋さんを訪れる人を見てると、みんな幸せのオーラがでててこっちまでじわじわとその幸せをもらっている気がして、

そして自分がケーキ屋さんにいること自体
幸せだということの証明だと思う。

ただ1つのケーキを買うことも、
奮発してワンホールのケーキを買うことも、
値段や大きさなんて関係なくて
相手のことを想ってケーキを渡したいっていうその背景が、私はとても好きです。

もちろん、もらう側が幸せだと感じるのはよくあると思います。

でも、渡した後の相手の幸せそうな姿をみて相手以上に幸せだなと感じることが大人になったな〜と思いました。

でもやっぱり、相手の反応をちゃんと見れるまでは不安ばかりでほんとに喜んでくれるかなんてわからないから一日中緊張して眠れなくて

それでも当日を迎えて、想像以上のリアクションを見れた時の感動と幸せは忘れられないものでした。

朝を迎えて、会社や学校に行って、眠る。

多くの人がそうやって過ごしてる1日でも、
どこかで誰かが死と向かい合わせになっていて
永遠のお別れを迎えてしまった人もいる。

ダラダラと過ごしているその間に、
どこかで誰かが結婚式を挙げて
幸せで包まれている人もいる。

悲しみと幸せは天と地のように真反対のようなものかもしれない。
けど、永遠のお別れをしてしまったからこそ
相手が生きていた時の記憶が自分の中で忘れずに残っていて
出会えたこと自体が幸せだったと気付ける。

失ってから気付かせてもらえる幸せほど
大切に記憶していたいと思う。

もちろん、失う前にいろんな幸せを噛み締められたらそれ以上のことはないだろうけど
普通の幸せほど気付くことが難しいもの。

だから、普段から幸せって言葉を使う人ってのは
そういう小さなありふれた幸せに気付いて言葉にできる素敵な人だと思います。

人が持ってないものを多く持っている人が幸せとは限らない。
大金も、地位も、名誉も、人が持ってないものを持っている人はもちろんすごいし誰もがなれるようなことじゃないけど

普通の幸せに、小さな幸せに気付ける人に
私はなりたいと思います。

どうあがいても死に向かって生きるしかない人生なら、
その中でどれだけ多くの幸せを見つけられるか、
幸せを与えてあげられるか、
そういうふうに生きていきたいなと思います。

四葉のクローバーを見つけるみたいに
ちょっとワクワクしながら
一生懸命その幸せを見つけていきたい。

そして、大切にしている人たちの幸せそうにしている姿をたくさん見て、その幸せを分かち合える様にしたいなと思う。

自分が幸せだと思えることを
増やしていきたいと思う。

そして、それ以上に人に幸せだと言ってもらえる様に尽くしてあげたいと思う。

自己犠牲とか
綺麗事とか
思われるかもしれないけど、

それが自分の幸せに繋がるのなら
人の幸せを生み出すことができるなら
尽くすことも悪いことじゃないと思う

度を過ぎれば、重いだの、しつこいだの
相手側に介入しすぎてしまえば
それは考え直さなくてはならないけど

自分の気持ちに素直になって
相手の幸せを願えるように
相手の幸せが自分の幸せになるように
そういうふうになっていけたら

普通の幸せにも
ありふれた幸せにも
今まで見逃していた幸せにも
気付ける様になるのかなって思う。

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幸せだった時間の余韻に浸ることも

とても幸せな時間です。




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