【第十二話】わくわくと感動の秘密


シリアスな話題がつづいておりましたが、本日は楽しかったことについて書きます。
今回のnoteは好きな本を読むことについてと、「作品を鑑賞して感動する」ということができる理由の一つについて書いていると思います。

今日は図書館に行って来ました。
最寄りの県立図書館は、面白いところです。
天井が高くて薄暗いロビーは石のような匂いがして、少し歩くと明るい図書室の入り口があり、足を踏み入れると床は布張りで一気に本棚の木と紙と絨毯の匂いがする、そういう場所です。
昔まだ絵本ばかり読んでいた頃母親とよく通っていた県立図書館で、帰省すると今も時々遊びに行くのですが、匂いも空気の質感も、(図書館なので当たり前かもしれませんが)電気の明るさも、歳を取らないかのように何も変わったところがなく、自分だけ歳をとったかのように思われました。そんな自分が小さく貧弱に見えました。例えるなら、すごく長生きな生き物の前にいる時の気持ちでしょうか。屋久杉とか樹齢数百年の御神木とか、葬送のフリーレンもそんな感じでしょうね。
大きくなったのにちっぽけで小さい私はそうして「遺産」の群れの間を抜け、てくてくと歩いて角を曲がり、見上げるほどの本棚の中から今欲しいものを探しました。
心理学と創作と、
吉本ばななです。

カウンターで本を借りてから、館内に設置されているソファで本を読みました。
吉本ばななさんの「とかげ」。
去年祖母の家にあった「キッチン」を読んで「この人の表現大好き」となり、小説をよく読むようになりました。

今日も素敵な読書体験をしました。え、何これ好き好きすごく好き、と、わくわくする感情が沸騰した水のように際限なく沸いてくるかんじは、非常に楽しかったです。場面を思い浮かべ想像するのがどんどん楽しくなるような、鮮やかな表現。質感とイメージと、温度と湿度と匂いと重さと、音の響きと目にしみるような色彩、物語を彩るその世界の全てを、その言葉での表現を通すと(、例えばVRや4Dのような)機械を通して「見る」仮想現実よりもある意味遥かに精密に体験できる。神経を介さず、想像力と心で体感できる喜びを、特別大きく感じられる。しかも独特な鮮やかさで描かれるその世界は温かくて重みがあって、心地よく心に流れ込んでくるのです。楽しくてしょうがないです。

一文が長くてすみません。一文どころか二文も三文も、、でもまだちょっと日本語が上手くないので、勢いに任せて書きたいことを書いているとこうなってしまうのです。
もっと簡単に言うと、「私が読んでいる吉本ばななさんの小説は、物語の世界を描く表現が独特で鮮やかで、想像しながら読み進めるのが非常に楽しい」ということです。それと「心が温まる、ほっとできる物語が多くて個人的にとても嬉しい」ということです。
初めからそう言え。でも簡単に言ってしまうとぜんぜん伝わらない気がしたので変な日本語で説明してしまいました。それはそれで伝わりにくいですね。すみませんでした。まあ確かにこんな表現ばかりだと「意味が不明瞭ではないでしょうか。」でレポート評価も下げられるわけです(その時は流石にここまでではなかったですが笑)。

少し話が逸れましたが、、その魅力がどれだけ伝えらたのかは全く分かりませんがとにかく私は、吉本ばななさんの作品が好きです。

こうして心躍る作品に出会ったりすると、「これを作った人はいったいどんな目で世界を見ているんだろう」と思うのです。言葉には人の世界観とか思想が映ると私は信じているのですが、こんな素敵な言葉を紡いで、それで新しい世界を織りなすことができる人はいったい、、??どんなフィルターで、どんな場所から世界をみているのか。それは非常に不思議で、作品を通してその不可解さに感動します。同じ景色を見ることは絶対に無くても、作品に滲み出た世界観に好奇心を掻き立てられる。この感動や楽しい好奇心の裏返しが「分かり合えない悲しさ」だとも思うのですが、素敵な作品を見つけてこんな感動体験もできるというのは嬉しいことだと思います。

やはり伝わりやすい文章を書くのは難しいようで、もっと研究し試行錯誤する必要があるなと書きながら反省しました。そのためにもいろんな本を読み、いろんなものを積極的に言葉にしていきたいと思います。
皆は、どんな作品に感動するんだろう。好きな作品についての話を、自分以外の人とできたらいいなとも考えています。

下手クソな日本語でしたが今日も読んでくれた人いたらありがとう。今日も明日も、自分だけが見ることのできるその世界を愛して楽しく過ごせたらいいね💭おやすみなさい🌙

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