【第二十一話】正しさとは?愚かさとは??それが何k(略


(普通に正しさって何だろうの話だけしてます。愚かさとは何かとか、それが何か見せつけるつもりは別に無いです笑)

深夜、強いエネルギーの波動(使い方合ってる???)がdiscordというアプリを通じてどっと広がり、通知を見てただならぬ気配を感じる。
まさに電光石火。それでいて恒星のように熱い。
あ、「passion」だ。「passion」ってあんまり見ない気がする。やっぱりこの人すごいなあと感動しながら、投げられた問いに目を向ける。

自分にとっての正しさとは???????

まず私をもう1人用意して、面接室みたいなところに連れて行って(脳内です)、面接官の私は質問を叩きつける。

「知りません。嫌いです。」
真っ先に酷い回答が返ってくる。舐めてるのか。

「みんなが正しいと思うことがみんなの世界では正しいんです。もうそれでいいよね?正論とか一般常識とか使い方一つ間違えたら人傷つけるし嫌いです」

「だから“あなたにとって”と言っているんですよ。あなたにとって正しさとは何ですか?」
と、今度はもっと正確に質問を投げてみる。

「人が幸せになること、人が世界を愛せるようになるための心得」
、、、なるほど答えにはなっている。全然論理的では無いけど。

正確には、正しく在るために人の幸福を願っている。
つまり正しさとは私にとって、(ある程度の倫理は持った上で)人と一緒に生きる上で自分の生を肯定するための信念として頭に置いておくもの。
すごく主観的だし、突き詰めていくと自己中というか、エゴイスティックなまである。だから普遍的・社会的な意味での正しさとはまた別なのかもしれない。
人の幸福を願うという一種の信念。
まあ結局はね「皆んな幸せになーれ」とか言いながら本当は自分で自分の幸福を望んでいるってことです。存在する意味ってやっぱり欲しくなるものじゃないですか。そんなことない?あれ。

これまでは絶対的な正しさという考え方に縛られていたから動けなくなってしまうことが非常に多かったのですが、よく考えてみれば「正しさ」自体についてはそこまで複雑じゃない気もしてきました。
私は正しさを理屈と履き違えていたのかもしれない。そりゃ人の数だけ主観があるのだから、普遍的で絶対的な正しさなんてみつけようとすると頭が痛くなってしまいます。心も痛みます。でも主観の話なら。自分にしか作れない世界なんだから、その範囲内で人を傷つけたりしない限り「正しさ」を決めちゃっても別にいいよね。というかそうしないと世界が機能しないじゃないの。
そうやって設定した自分の世界が、他の人の世界と重なった時(時間や空間を共有する際とか)、その生き方がどう響き合うのか、相性の良し悪しはあるだろうけれど。そのぶつかりを対立と言ったりして、どうせまた頭を悩ませるんだろうけれど。

それでもきっと正しさから、目を逸らしてはいけないんだろうと思います。少なくとも私にとっては、自分の価値と切り離せないものになってしまっているわけですし。
別に間違ったことをしたからって死んでしまえばいいとも思ってないですけどね(?)。

皆んなの正しさは何なんだろう?正しさのことをどう思ってるんだろう??

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