2024年度春セメ The Guardian 書評


4/11 The Guardian 書評

4/1 "Cannabis users celebrate relaxation of laws on personal use in Germany" 「ドイツの大麻使用者が大麻の個人使用に関する法律の緩和を祝う」

ドイツでは4/1から成人が乾燥大麻を最大25g持ち運ぶことや、自宅で最大3本のマリファナを栽培することが許可された。大麻利用者は夜中にベルリンのブランデンブルク門に集まって喫煙することでドラッグの個人使用の法律が緩和されたことを喜び受け入れた。この新法はドラッグへのアクセスを容易にすることによる長所と短所の激しい議論の末、可決されたものであり、長所としては非犯罪化によって闇市に影響を与えて若者への大麻の不正拡散を防ぐことや司法や警察の負担の軽減が試みることができることとされている。一方短所としては、簡単にドラッグにアクセスできることで特に若者のドラッグに対するイメージが変わってしまうことである。そのような問題点から新法では幼稚園や学校、スポーツセンターの100m圏内での喫煙は禁止するなどして若者をドラッグから保護する意向も見せている。しかし、若者が集まる施設の周辺の環境を整えるだけでなく、家庭内での喫煙も規制しなければ完全に影響を断つことは難しいと考えられる。専用の喫煙ブース内のみの使用などが望ましいのではないだろうか。


4/18 The Guardian 書評

4/11 "Watch the shouting! How parents ‘sideline behavior can strip the fun out of children’s sport" 「親の観戦態度が子供のスポーツの楽しみを削ぐ」

子どものスポーツ試合を親が観戦する際に応援や励ましなどのポジティブな声かけをした場合子供はチームメイトや対戦相手に対して良い態度をみせ、反対に怒鳴ったり罵声を浴びせたりネガティブな声かけをした場合は同様に悪い態度を見せる傾向があることが判明した。このように親の観戦態度が子供がスポーツを楽しんだり続けたりしたいかに影響を与えるようだ。2016年のアメリカの研究では「過剰な期待などプレッシャーをかけることがスポーツに対するマイナスなイメージの定着につながる」とされている。さらに親だけでなく、コーチや審判の指導方法もそれらの要因に大きく関係しており「もっと強く蹴る」などの一見アドバイスに見えるような声かけも子供にスポーツを強要しているようにも捉えられる危険性があるとされている。
これら指導等の問題は教育のマルトリートメントに分類され、子供に対してネガティブな声掛けを行うことで親の顔色を伺うようになりアダルトチルドレンに陥る可能性があると考えられる。近年、躾と暴力の境界線が曖昧になってしまい、躾としてのげんこつなどが虐待として認識されるようになってから、親は干渉しすぎず、愛情を伝えることが難しくなっているのではないだろうか。


4/25 The Guardian 書評

4/18 "New types of mosquito bed net could cut malaria risk by up to half, trial finds." 「新型の蚊帳ではマラリアのリスクが最大半減することが試験で判明」

2022年のマラリアの感染者は2億4900万人、死者数が60万人以上となっており、その90%はアフリカで発生している。1990年以来予防として蚊帳を利用していたが、それに含まれる殺虫剤に耐性を蚊は獲得してしまっていた。そこで、ピレスロイドと殺虫剤ピリプロキシフェンまたはクロルフェナピルで2重コーティングした蚊帳によってマラリアの感染率が最大50%減少し、その有用性を確認した。結果、世界基金は新作の蚊帳を3ドル未満で提供することで、各国の政府支出を最大3000万ドル節約できる見込みを持っている。
マラリアの問題は各国の格差の問題のみならず、人権問題も関係している。人はみな等しく健康に生きる権利を持っているはずであるが、その権利を十分に行使できていない。SDGs3つ目の目標の「すべての人に健康と福祉を」を実現するために、世界基金が新作の蚊帳を低価格で提供することは人権の保護に直結するが、提供する側とされる側という暗黙の上下関係が隠れており、平等とは程遠い状態になる。他者が人権を守ることと対等な立場に立つことは両立が限りなく難しいだろう。


5/2 The Guardian 書評

4/25 " ‘Are we joking?’ Venice residents protest as city starts charging visitors to enter."「冗談か? ヴェネツィア市が観光客に入場料を請求し始めたことに住民が抗議」

観光公害に悩まされていたヴェネツィアで日帰り旅行客に入場料を課す世界で初めての政策をとった。旅行客に5ユーロの料金を課すことで過剰な観光を抑制しユネスコ世界遺産などを守ることがルイジ・ブルニャロ市長の狙いである。しかし、市民は都市に入場料を課すことは都市をテーマパーク化することと同義であるとして政策に反対している。入場料については都市の中心部にのみ適用される予定で、オンライン予約によってQRコードを発行する必要がある。万が一入場券を所持していない場合は50~300ユーロの罰金が科せられる可能性があるという。この政策によって得られた資金は住民の地方税を減税するための財源とされるそうだ。一見住民にメリットのある政策に見えるが、5ユーロの入場料を課したところでなんの抑止力にもならない懸念があり、本来の目的である住みやすい街文化遺産の保護が達成できない可能性がある。
観光公害はヴェネツィアだけでなく文化遺産を持っている国や自然豊かな国でも深刻化している問題である。京都の景観保全や市バスの混雑も同様の問題と言えよう。ただ今回の記事で面白いところは入場料を課す対象が日帰り観光客のみで宿泊する観光客は免除されるのである。日帰り観光客のみ入場料の対象ならばまさにテーマパーク化である。入場料を課すことによって更なる観光公害の懸念があるのだろう。

5/9 The Guardian 書評

5/6 "The big idea: why we need human rights now more than ever." 「なぜ今まで以上に人権が必要なのか」

かつての人権は単純明快な善であり、権力者による権力乱用から弱者の尊厳を守るための道具であるとされていた。また現在では、基本的人権と自由の必要性の両方を正当化させる必要があるがその両者は対立している。自身の権利と他者の自由の共存は両立の難しい問題であり、特に両者の間の格差が大きいほどこの論争も大きくなる。だからこそ必要なのは政府によって与えられたり剥奪されたりする一時的な「特権」ではなく、交渉したり救済したりするための枠組みのとしての「権利」である。気候変動や人工知能、紛争などのグローバルな社会問題は各国が手を取り合ってアプローチするしか対処できない。しかし、国際的な取り組みの上で権利と自由の対立によって不公平や差別が生まれてしまう。地球規模の問題解決のために国際社会が対等に渡り合うことが必要になってきたからそこ、権利が今まで以上に重要になってきたとシャミ・チャクラバルティは語る。
自由と権利の対立は非常に難しい。例えば「私らしく生きる権利」と「発言の自由」が対立することはよくあることだ。J・ミルの危害原理に基づいた考えならば、他者に危害を与える自由は規制されるべきである。ヘイトスピーチなど、他者に精神的苦痛を与えていることから規制されるようになっているのである。しかし、物理的な危害は判断しやすいが、精神的な苦痛は誰が判断するのだろうか。インターネットによって公私の境目がぼやけた自由と多様化する生き方の権利の対立を解消するために、自由と人権の原点に立ち戻る必要があるだろう。


5/16 The Guardian 書評

5/9 "Malaysia plants to give orangutans to countries that buy palm oil."「マレーシアがパーム油を購入する国にオランウータンを供与する計画」

食料品や化粧品などスーパーに売っている包装商品の半分以上にパーム油は使用されている。パーム油の生産国第2位であるマレーシアの森林は世界的なパーム油の需要で破壊されている。しかし、今や日常品の大半に利用されているパーム油の取引をやめることは国内外両方の経済的な問題を引き起こしかねない。そこで商品大臣のジョハリ氏はマレーシアが持続可能なパーム油生産国で森林の保護に積極的に取り組んでいることを世界各国に示すために、貿易相手国にオランウータンを与えることで生物多様性保全に取り組んでいることを証明する必要があると語る。この戦略は中国のパンダ外交になぞらえてオランウータン外交とされている。
世界各国の持続可能な貿易か?という疑問に対して途上国側からアプローチしたユニークな戦略だと感じた。今までは途上国の経済や環境の方向性を決めてきたのは先進国の行動であったが、途上国の行動に主体性が出てきたことは非常に喜ばしいものではないだろうか。世界が持続可能な社会という共通の目標を掲げたことで、貿易活動にも影響がみられている。


5/23 The Guardian 書評

5/15 "No internet, no phone: Canada wildfires expose fragility of rural infrastructure." 「インターネットなし、電話なし:カナダの山火事で地方のインフラの脆弱性が露呈」

カナダで発生した大規模な山火事の影響で、カナダでインターネットにアクセスできなくなった。電子決済をはじめとしてATMも機能せず電話も繋がらないため、警察や救急車、消防を呼べない状況である。今までにも山火事は発生していたが、通信が完全遮断したのは今回が初めてだという。特にカナダ北部では外とつながるファイバー線(通信回線)が1本しかないため、それが破損した場合広範囲に影響を与えるとして、カナダの通信の脆弱性について強い懸念を示している。また、ファイバー線だけでなく、北部へつながる主要な道路が1本しかないことや2021年に発生した河川の氾濫による各インフラの閉鎖などその脆弱性が課題とされている。カナダ北部において連鎖災害は深刻でありバックアップシステムの必要性を浮き彫りにしているという。
インターネットが生活の基盤である現在、災害で通信やインフラが停止すると社会が混乱に陥ることはカナダに限った話ではない。ただ、地震大国であり自然災害が比較的身近である日本と比較すると人々のレジリエンスが低いことも問題であろう。地球温暖化の影響で台風の強力化、乾燥による山火事などは発生しやすくなるため、今後はどこの国であっても災害が起きうることを前提にインフラ整備や市民の意識改革が重要になるだろう。


5/30 The Guardian 書評

5/21"Behind the alarming rise in US gun suicides among youth of color."「アメリカで有色人種の若者の銃による自殺が驚くほど増加している背景」

銃の新規所有数の急増によって過去4年間でアメリカの若者の銃による自殺率が上昇している。過去15年間で銃による自殺率はラテン系若者の間で63%、アジア系アメリカ人の若者の間で71%上昇しており、有色人種の若者たちの割合が増加していることがわかる。銃のある家庭では銃を所持していない家庭に比べ自殺リスクが4倍以上高く、自殺増加の原因は銃への自由なアクセスが要因の一つであることがわかる。しかし、自殺研究者らによると人種的トラウマの悪化も関係しているという。研究者らによると若者の銃による自殺は衝動的なものであることが多いことが分かったという。また、人種差別、暴力などの絶望感の蔓延が有色人種の若者の自殺率を高めているという。銃へのアクセスを制限することで銃による自殺が減少するとポール・ネシュタットが言うが、規制のための法整備は非常に難しいという。また、根本的な問題を解決しなければ銃による自殺が減少しても別の方法での自殺の割合が増えるだけである。
また、銃へのアクセスの規制はリアル世界だけの規制だけでは不十分であると私は考えている。現代ではオンラインゲームなどで銃を取り扱うものがあり、そのようなゲームでは銃で倒されても再度復活するような設定になっており銃が危険なものであるという認識を阻害しているのである。


6/6 The Guardian 書評

5/30"‘Termination shock’: cut in ship pollution sparked global heating spurt."「『終了ショック』:船舶汚染の削減が世界的な温暖化の急増を引き起こした」

2020年まで船舶は大気汚染を引き起こす汚れた高硫黄燃料を使用しており、汚染粒子が太陽光を遮る雲を形成していた。その雲によって地球温暖化が抑制されていたが、2020年に作られた新しい規制によって燃料の硫黄含有量が80%以上削減されたため汚染粒子による雲が減少した。雲が減少したことにより地球内に閉じ込められる太陽光による熱量が大幅に増加したことで地球温暖化の速度が平均の2倍に上昇したと推定されている。地球を冷却する方法として意図的にエアロゾルを放出し雲の量を増やすことが提案されている。
環境問題を解決するため汚染物質の削減をしたことで別の問題を引き起こされてしまうほど、地球環境は人間の手によって複雑化され何をするにしてもジレンマを抱えることになっている。意図的に雲を作るとしても、水蒸気も温室効果を持っていたり意図的に放出するエアロゾルが人体に有害化不明瞭であったり、雲が増えることで降水量の大幅な変動が起きたりする可能性も否めない。確かに一時的に冷却することは可能であるため研究する意義はあるだろうが、根本的問題を解消しなければ、いつまでたっても鼬ごっこになるだろう。


6/13 The Guardian 書評

6/6‘At heart it’s the same technology’: the heat pump that uses water instead of air.’「本質は同じである:空気の代わりに水を使うヒートポンプ」

エディンバラの科学者たちが水からエネルギーを引き出す家庭用暖房システムを開発した。この装置では、空気熱源ヒートポンプと同じ技術を使用して、海水、川などを使用してお風呂やシャワー用の水を加熱することができるという。海や湖の温度は一般的に一定に保たれているため、外気よりも予測しやすいエネルギー源である。このシステムは、水に含まれている熱をグリーコールによって捕捉し、ヒートポンプで圧縮することでお風呂の水を温めるのに十分な熱量を確保することができ、ヒートポンプを通過すると液体が冷えこのプロセスを繰り返すことができるという。このシステムを「ホットツイスト」と名付け、現在は空気熱源ヒートポンプより高価であるが、最終版では地中熱源ヒートポンプよりも安価になると予想されている。ホットツイストは稼働に必要な電力の350~400%もの熱を供給することができ、空気熱源ヒートポンプの効率に匹敵するという。
水で熱エネルギーを生み出すことができるのは画期的であるが、そのシステムを稼働させるための電力は必要なためあまり意味がないのではないかとも感じた。地球上にある豊富な資源である水を使うことに意義があるとしても、水が豊富にある地域は偏っている。また、冷蔵庫のフロンのような温室効果ガスを排出する恐れがないことに意義があるとしても、現代では代替フロンによってその心配がない。そのためなぜこの開発が行われたのか少し疑問である。


6/20 The Guardian 書評

6/13'More than half of UK students working long hours in paid jobs.'「英国の学生の半数以上が有給の仕事で長時間働いている」

生活費危機のため、学生の半数以上が大学での学費を賄うために長時間の仕事をしており、学期中はほぼ週2日を仕事に費やしている。高等教育政策研究所が英国の全日制大学生1万人を対象に行った調査によると、在学中に仕事をしていた学生の割合は過去最高の56%で、平均で週14.5時間働いていた。生きていくために長時間働かなければならない学生と、裕福で自由に勉学に集中することができる学生との格差が広がっていると専門家は指摘している。また、全国学生連合は新たな報告書でフードバンクを利用する学生の割合が2021年のころに比べ倍増していると発表した。これらの報告から、大学での勉学だけでなく、ほぼフルタイム状態の労働と食費の削減によって疲れ果て、勉強に十分な時間とエネルギーを注げなくなっているとNUSの副学長は述べて居ている。この学生貧困の解決策の一つに生活費補助金を再導入することが挙げられる一方で、価値の低い大学を廃止し学生を職業訓練に転用すべきだという声もある。しかし、その主張は保守派の人間から批判されている。
私はマージナル大学(※価値の低い大学は差別的発言であるためマージナル大学と言い換えておく)を廃止して、手に職をつける方法は国全体の利益を上げるためには最も良い方法だと考えている。日本でも、大学の中学校化などと大学に行く意義について少々疑問視されている側面がある。大学での学びを修了しても大学時代に学んだことを活かした職業に就く人は少なく、特に日本においては総合職という形で専門性の低い職に就く人が多い。ならば、大学で学ぶのではなく手に職をつける学びをする方が「生産性」という意味では良いのではないかと感じるのである。しかし、誰もが高等教育を受ける権利を有すること、それを誰も妨害してはならないことが前提にあるためなかなかそれは実現できないだろう。


6/27 The Guardian 書評

6/19 'Stonehenge sprayed with orange powder paint by Just Stop Oil activists.'「石油反対運動家らがストーンヘンジにオレンジ色の粉塗料を吹き付ける」

石油反対運動家(JSO)らがストーンヘンジにオレンジ色の粉塗料を撒いた事件で2人が逮捕された。JSOは声明で次期英国政府に対して2030年までに石油、ガス、石炭の採掘と燃焼を停止する計画に同意するように求めている。JSOの言い分としては、石油石炭などを使い続けると何百人もの命が危機にさらされる。そのため人類を守るために我々は団結するべきであるため、化石燃料の段階的廃止の法的拘束力のある条約に署名するように求めているのである。その主張のために世界的文化財に塗料を撒いたことは、冒涜として専門家から批判されているだけでなく、観光に来ていた人々からも批判されている。
化石燃料を使い続けることは地球温暖化を促進させるため、そこから派生する様々なグローバルレベルの問題を解決するためにはその根本を解決するのが一番ではある。また、政府の行う政策は全てがその場しのぎの対症療法になっていることはもちろん問題である。しかし、人類は後戻りできない段階に足を踏み入れているので政府も動くに動けないのが現状である。また、政府を構成している人が保身を第一とすることが多いので自らすでに持っている権利や資源を手放すわけがないだろう。


7/4 The Guardian 書評

6/25'African and Asian artists condemn ‘humiliating’ UK and EU visa refusals'「アフリカとアジアのアーティストが英国とEUの屈辱的なビザ拒否を非難」

アフリカ、アジアのアーティストマネージャーらは英国や欧州連合諸国を訪問するアーティストに対するビザ拒否が文化の多様性に萎縮をもたらしていると非難した。昨年英国は主に低所得国と中所得国からのビザ申請に対して4400万ポンドの手数料を徴収し却下しているだけでなく、短期滞在訪問者ビザの申請料が15ポンド値上がりしている。また、アフリカからの訪問者へのビザ拒否率は40~70%に上るという。国別にみると、アルジェリアへの拒否率は71%、バングラディシュへは53%、ガーナ、パキスタン、ナイジェリアへは30~46%である。ケニア人歌手が述べたのは、「航空券とビザに2000ドル、健康保険に290ドル支払うのに、1公演あたり150ドルの報酬しかもらえず、価値がない」といった内容で、高額なビザ申請費と高い拒否率はアーティストの英国や欧州連合諸国での講演の意欲をそいでしまう。結果として英国やEUに入ってくる音楽の多様性が失われ、音楽業界に大ダメージを与える可能性があるという。
音楽業界の萎縮と非難されているが、今の時代はサブスクやYoutubeなどインターネット上で公開することができるので、わざわざ目的地に赴いて講演する必要性はない。しかし、特定の国や地域への拒否率が異常に高いことは人種差別的であるためその点に関しては早急に解決すべきであろう。

7/11 The Guardian 書評

6/29‘It’s not beautiful, but you can still eat it’: climate crisis leads to more wonky vegetables in Netherlands「『不格好だが食べられる』:気候危機によりオランダで不格好な野菜が増加」

異常気象によって現代の「完璧な基準」を満たす野菜を育てることが困難になっていると専門家は言う。実際にオランダの農家ブロックさんは収穫した約12万キロの玉ねぎが人参ほどの大きさにしか育たず、売れないと嘆いている。基準に満たなかったり、不格好な野菜は市場で取引されず廃棄されることがほとんどであるが、フードバンクに送ったり加工し販売することで対策が練られている。ブロックさんの野菜も加工やフードバンクによって廃棄されず、彼の1年の労力も無駄にならずに済んだ。ブロックさんだけでなく、オランダの農家の61%が異常気象による悪影響があると述べており、早急な対策が求められている。
不格好な野菜を救うための方法がフードバンクに寄付することや加工することとあるが、あまりにも農家への負担が大きすぎると感じる。不格好でも味に変わりはないのであれば、市場で取引しても良いのではないだろうか。実際に、安価で取引するビジネスが 開始されつつあるのだから、それをもっと普及させるべきだと考える。特に日本においては物価高で主婦層はできるだけ特売など少しでも安く食材を購入することを意識しているのだから、選択肢の一つとして提示すれば積極的に購入してくれるのではないか?

7/18 The Guardian 書評

7/7 ‘We sell it in secret, like drugs’: Brazil’s appetite for shark meat puts species under threat「『大麻のように秘密裏に売っている』:ブラジルのサメ肉への要求が種を脅かす」

ブラジルはサメ肉の最大の輸入国であり最大の消費国となっている。なぜサメが好まれるのかというとサメには良質なたんぱく質が含まれ、安価でやり取りされているためである。このサメ肉の需要を背景としてかなのか、国際自然保護連合の4月の発表によるとブラジルで販売されているサメやエイの種の83%が絶滅危惧種に指定されていることが判明した。
サメ肉は現在切り身やステーキとして売られ、ブラジル人の食生活に溶け込んでおり学校や病院の食堂でもよく見かけることができる。しかしながら、「サメ」として食しているのではなくサメとエイの両方の総称「カサオ」として食されている。またブラジル人はカサオがサメだということを知らないため、自分がサメ肉を食べていることを自覚していないという。たとえ自覚していたとしてもサメが絶滅の危機に瀕していることに気づいていないことが多いと海洋保護団体の会長は述べた。
人間の活動により自然環境や野生動物が危機に陥ることはよくある話だ。文明の発展による環境破壊は間違いなく制限されるべきであるが、厄介なのは伝統による環境破壊である。文化の保護か環境の保護かその2択を迫られる。もちろん、両方を保護するために均衡点を見つけることも可能であろうが人間の価値観により判断される問題ほど厄介なものはないと感じる。

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