1990年代と2010年代の「自立した」女性像の相違

以下、基本的に日本での話だと思ってください。

フィクション作品において1990年代は「恋もそれ以外も全力投球」という形での、たくましく強い、自立した女性像が増えた時期だったと記憶している。90年代といっても幅広いが特に後半か。女性の方が年上のカップルも増え、セーラームーンやスレイヤーズのように相手役の男性が浚われたり守られたりするような作品も目立った。それが当時の「自立した」女性像の主流だったと思うし、女性が元気でなおかつ対等な男女の恋愛に溢れた作品の多くは見ていてとても気持ちが良かった。

実写ドラマでも女性が年上の恋愛ものが流行ったりしていた。とにかく1990年代は女性が元気で、自然な形で「自立」しその中で男性との恋愛も描いた作品が多かったと思う。

FFで言えば7のエアリスや8のリノアがまさにそう。強くて積極的、恋にもそれ以外にも一生懸命。良い時代だったなと思う。

対して2010年代の昨今においては、「強く自立した女性像」は大分違う方向になってきたなと思う。今は男性との恋愛を求める女性は基本的に否定され、それだけで「自立していない」「異性愛中心主義だ」と認定される傾向にあると思う。そして百合と女の友情万歳思考。アナと雪の女王やマッドマックスのブームに顕著。魔法少女まどかマギカでも、美樹さやかの上条恭介に対する恋愛はファンから概ね否定的に見られ、佐倉杏子との百合カプ人気ばかりが目立った。

何かなー、私が古い人間だと言われればそれまでだけど、昨今の「とにかく女同士の関係性こそが至高」「『男の為』に何かする女性は恋愛脳と蔑まれる」風潮には馴染めないし、とかく不自然なまでに異性愛を排除しているように見えてあまり魅力を感じない。

別に百合や女同士の友情、恋愛しない女キャラそれ自体が嫌いだって訳じゃないんだ、ただねー…。それらを持ち上げる人々が必ずと言っていいほど「ヘテロ恋愛」を叩くのとセットだから余計苦手に思うというのもあるんだろうか。現実がそうであるように異性愛も同性愛も無性愛も同時に存在すればいいだけの事なのに、なんでわざわざヘテロ恋愛を叩く必要があるんだろうか。

そうそう、別に百合は嫌いじゃないけれどFF7のエアリスとティファの間柄に百合思考を持ちこむのは大嫌い。この二人はそういうキャラじゃないから!って思う。FF7の『ダブルヒロイン論争』を遠巻きに語る人達がやたらと「二人ともクラウドには勿体ない、エアリスとティファがくっつけばいいのに」と語るのにも吐き気がした。「カプ論争・ヒロイン論争はくだらない」と主張するためにクラウドの人格を貶める必要があるのか。大体、クラウドとティファの人格を考えたらどう考えたってクラウドの方が人格的にまともだしエアリスとはお似合いだ。ティファより年上のエアリスを、年上の同性を年増女と叩くティファとくっつけたがるだなんて何の罰ゲームだ。クラウドも確かに「女の力なんて」なる発言をした事はあるがその後エアリスの力を認めたように見えるしティファよりはずっとマシだと思う。女同士だから男と女よりも進歩的で発展的だと思っているならそれは大間違いだと思う。エアリスとティファで百合を主張しクラウドを貶める人達は単に男女二元論で考え個々のキャラクターの人格を無視していると思う。エアティ百合とか気軽に言ってる人達はティファがもし男だったらと考えてみて欲しい。

エアリスは誰でも友好的なキャラだがティファはジェシーにすら無関心に見えるのに、エアティ仲良しなどと言われても違和感しかない。ニブルヘイムがいくらど田舎でも村に他の女の子がいなかったとは思えないのに、ティファはいつも男三人の取り巻きに囲まれていたし、ことさらに同性との友情を求めるキャラだとは思えない。この二人が一緒にいる場面があるのは単にユフィが隠しキャラで、パーティの強制メンバーの中で女性が二人しかいないからだと思う。仮に「仲良し」だとしても、パーティ全員や、ユフィも入れた女性トリオでいいだろうと思う。特にエアリスとティファだけを「仲良し」と強調されると違和感しかない。同じFFでは5のファリスとレナ姉妹という強い関係性のある組み合わせや、4のローザとリディアの師弟のような関係の方がよほどしっかり描かれていたのに何故7だけこうもうエアティエアティと連呼する人間が多いのか。単に7が人気作だからかもしれないがそれにしても腹が立つ。別にこの二人そんなに仲良く見えないっすよ、特にACのティファはエアリスを「思い出」として切り捨てようとした後にとってつけたようにありがとうとどや顔で女の友情アピールされるのでとても不快。ACのティファがエアリスへ友情と嫉妬心の狭間で苦しんでやっと答えを出したような描写があるならまだしも、そんなのまるっきりなかったかのように「最初から信じてました」とばかりの「ずっと、いてくれたんだね、ありがとう」。あの台詞は本当に嫌だった。ティファのこのお綺麗アピールが本当に嫌。こんな関係性なのにエアティ百合だなんて冗談じゃない。女同士の絆をしっかり描いた作品は好きだよ、でもFF7はどう考えてもそうは見えないよ!という。(見返したらACのティファがほんと酷過ぎてますます腹が立ってきた。こんな間柄なのに女同士の絆アピールはないわー、ホントないわー。)

百合は嫌いじゃないけれどエアリスとティファという、双方明らかに異性愛者で好きな男がいるキャラ同士をわざわざくっつけたがる意味が分からない…。別にこの二人そんなに仲良くないだろ…。

とにかく、「女同士の絆」ばかりを持て囃す、2010年代のサブカル世論にはいまいち馴染めないし、不自然なまでに男女の恋愛を排除しようとする最近の傾向は女性が元気な男女恋愛が多かった1990年代よりも男と女の対等さにおいては寧ろ退行しているようにすら思える。結局、男との恋愛を排除することでしか「自立した」女性像は書けないのか?と思うから。

今の時代、男性との恋愛に積極的な女性キャラは、男からはビッチビッチと叩かれるし女からは恋愛脳・男に依存する女としてやっぱり叩かれる。男女どっちからも否定される流れなのがいたく辛い。女性キャラが「男のため」に行動する事の何が悪いのか分からないし逆に男性キャラが「女のため」に何かを頑張っても別にいいいよ、恋愛脳と叩くのはおかしいよ、と思う。「愛する人のために」、というのが(それが異性であり恋愛対象である場合には)恋愛脳と他叩かれ否定される風潮。でも同性愛だったり友情や家族愛なら寧ろ賞賛されるらしい……よく分からない風潮だ。

オタクから叩かれる、否定的な意味での「恋愛脳」という言葉が生まれたのはいつ頃だったかな。2000年前後だろうか?検索してみてもヲタク的な使い方での意味の方はあまり出て来ないのでよく分からない。

2000年代は過渡期だったと思う。1990年代の延長線上のような話もあれば、現在の異性愛嫌悪に繋がる流れも既にあり。FF初の女性単独主人公作品であるFF13が出たのは2009年の12月17日……FF13はもう「こっち側」かなと思う。ライトニングは恋愛しない女性キャラだ。まあ、90年代の作品であるFF5の女性陣や6のティナも恋愛しないキャラだが彼女達には未来の可能性がある。ニュートラルに仲間の絆を描いていただけで、特に男性との恋愛を排除しようという方向性ではない。

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