TRPGプレイヤーの、周りと同じように夢中になれたらなの話

これから述べる感覚は誰にでもいえることだと思うので、ただただ自分が日頃から思っていることの備忘録程度の意味合い。つまり深い意味はない。


日曜日になると、自分のTwitterのタイムラインは仮面ライダーの話題でもちきりになる。マギアとか、1000%とか、そういうものだ。最近というか少し前から、自分の周囲では仮面ライダーと戦隊物が流行っている様に思う。自分は(齧ってはみたが)積極的には嗜まない分野なので外から眺めているのだが、皆とても楽しそうだ。物語の展開に一喜一憂し、キャラクターの心情に感情移入し、時には涙を流すほどに心を揺さぶられている。

話は変わり、特定のゲームやキャラクターに心を射抜かれ、作品の理解を深めようと考察したりグッズを集めたりキャラクターの心情に想いを馳せたり呻いたりしている人々もTwitterでときどき見かける。彼らもとても楽しそうだ。己の財力、体力、精神力をつぎ込んで自分の好きなものに一直線で、見ているこちらも「どうかあの人の明智君攻略がうまくいきますように」等と祈らずにいられない。

もっと広いことを言うと、旅行を勧めるCMやポスター、旅行を楽しむツイート。彼らもとても楽しそうだ。見知らぬ土地に降りて美しい風景を見たり、アクティビティをしたり、もしくはほかの何かをしたりするそれは、多くの人々の「暇があったらやりたい娯楽」として認識されている。

逆に狭いことを言うと、自分が嗜んでいるTRPGのセッション中、NPCや他プレイヤーキャラクターの死に涙を流す人々もいる。彼らもとても楽しそ………楽しいから涙を流しているわけではないと思うが、それほどまでにセッションに夢中になれるのは凄く好ましい。そんな人を見ると、また一緒にセッションをしたいなあ、と思う。


何かに夢中になっている人はとても素敵だ。抑えきれないほど自身の感情を揺さぶられる何かに出会える、そしてそれが発する情報を受け止め、理解し共感するだけの感性がある。それにのめり込むだけの行動力がある。


逆にいうと、仮面ライダーを見たいという衝動に駆られず、殊更グッズを集めるキャラクターや作品を持たず、旅行そのものにそれほど価値を見出せず、セッション中泣いたことが無い自分は、なんだかつまらない奴だなあ。そんな気持ちになる。


別に夢中になれないわけではない。学生の頃は夢中でクリアして何年もひきずったキャラクターがいた。今でもずっと影響を与えられている小説にもいくつも出会った。泣ける映画だって少しはある。好きなものだってあるし好きなことだってある。ただ、胸焦がれのめり込むような「好き」という感覚を、久しく味わっていないように思う。自分の「好き」は「他と比べて好き」くらいであることに申し訳なさを感じるし、周りの人々や「一般的」な人たちが好むものに興味が持てないことはなんだか寂しい。

別にセッション中泣けなくたって不便はない。今周りとちょっとブームが違うとか、グッズは部屋が狭くなるから買わないとか、外に出るよりゲームしてる方が好きだとか、そんなの個性のレベルだ。自分は自分に何か欠陥があるとは思っていないし、そういう人であることを矯正しようとも思わなくなった。

でも、自分は「このキャラクターが好きだから」とためらいなく財布を取り出すような、そんな人が好きだ。きっと、自分の「好き」だという感情、心を揺さぶられていることを表現できることが素晴らしくて、素敵で、憧れているのだ。

自分がそんな自分の理想の素敵な人になれないことは、ちょっと残念に思う。理想はいつも遠い。


ここまで書いておいてあれだが、現状の自分を憂いているわけではない。理想の素敵な人になれない自分は自分なりに、なれるぶんの素敵な人を目指そうと思う。今の私にとってそれは仕事で求められた成果を上げることであり、誰かに楽しんでもらえるシナリオを書くことであり、遊びやすいゲームマスター・プレイヤーであることだ。今はこれだけでいい。


もしかしたら、いつか心身貯金全てをつぎ込む何かに出会うかもしれない。

猫とか。


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