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絵師レイノルド・ブラウンと、『妖怪巨大女』をティム・バートンがリメイクするという話

 以下は「映画.com」からの引用です。
 米ワーナー・ブラザースが、1958年のSF映画「妖怪巨大女」をリメイクすることがわかった。米Deadlineによれば、新作はティム・バートンが監督、ギリアン・フリン(「ゴーン・ガール」「KIZU 傷」)が脚本を務める。

 ネイザン・ハーツ監督、アリソン・ヘイズ主演の「妖怪巨大女」は、虐げられてきた裕福な人妻ナンシー(ヘイズ)が、地球外生命体により体を巨大化されたことをきっかけに、不倫している夫とその愛人を追いかけ復しゅうを果たすカルト映画。93年にクリストファー・ゲスト監督、ダリル・ハンナ主演のテレビ映画「ダリル・ハンナのジャイアント・ウーマン」としてリメイクされた。新作でバートン監督はメガホンをとるほかプロデュースも手がける。

 本当にリメイクするんでしょうか?ハリウッドにはこうしたニュースはたくさん飛び交っています。過去に何度も誰それが名作をリメイクする話は何度もニュースにはなるものの、結局は至らずという話も多かったです。
 それはさておき、この1957年から翌年までの2年間、どうやらハリウッドでは人間を大きくしたり、小さくしたりするブームがあったようです。
 並べてみると、
 『戦慄!プルトニウム人間』(1957)
 『縮みゆく人間』(1957)
 『巨人獣』(1958)、『戦慄!プルトニウム人間』の続編
 といった具合。
 人間の巨大化や縮小は映画作りにおいて、何かやってみたくなる要素があるのでしょうか、ハリウッドは定期的にこのテーマに取り組んでいますよね。
 この一連の後、『アルゴ探検隊の大冒険』で巨大なトリトンが海中から現れて探検隊を助ける場面があります。これが1963年で、50年代の作品に比べて飛躍的に映像技術が進歩したことがわかります。
 まあ、ティム・バートンが今のこのCG全盛期に巨大な女性をリアルに表現するなんて、簡単すぎてどうしようもないはずです。問題はオリジナルのシンプルすぎるストーリーをどれだけ膨らませることができるのかです。
 オリジナルは極めてシンプルで、そこが物足りないといえばそうなのですが、時代もあってかなり道徳的な話です。
 裕福だけどいろいろ問題のある主婦アリソン・ヘイズがヒロインで、旦那は浮気をしています。ある日ヘイズはUFOに遭遇します。それがきっかけで巨大化します。で何をするかと思いきや、邪魔者の自分を抹殺しようとした不貞の夫に復讐しようとするのです。
 ここは、リメイク版ではやはり町で大暴れしてほしい。本人は旦那を探しているだけなのかもしれませんが、一歩歩くごとに町が破壊されていき、それまで彼女をないがしろにした町の人々が何らかの形で、怪我したり事故にあったりするという感じで。
 せっかく巨大化したのであれば、町を壊すという連動性がフューチャーされないと意味がないじゃないですか。

 ところでわたしは特撮の歴史に詳しいわけではありませんが、『戦慄!プルトニウム人間』よりも『妖怪巨大女』の方がアイコンとして知られているのは、やはりインパクトのあるオリジナルポスターのせいでしょう。

レイノルド・ブラウン画

 やっぱり映画っていうのは「絵」のポスターやビジュアルはずっと頭に残りますね。本作を手掛けたレイノルド・ブラウンと言えば他に、

なんといっても『ベン・ハー』
SFの古典『禁断の惑星』
『縮みゆく人間』も
わたしの好きな『千の顔を持つ男』も
スティーブ・リーヴスの『ヘラクレスの逆襲』もそうでした
ウイリアム・キャッスルの『地獄へつゞく部屋』もたまりません


『生れながらの無宿者』もそうです
『大アマゾンの半魚人』どれほど多くの人に影響を与えたのでしょうか

 こうして並べると、レイノルド・ブラウンの映画ポスターというのは、この時代の映画文化の結晶というか、時代の雰囲気、映画の世界観、映画の大衆性、それらをすべて包括して「形」としてある感じがしますね。
 ブラウンに匹敵するのは007シリーズの絵師、ロバート・マッギニスですね。こういった人たちはもう映画作りの一部分を背負っているのと同じです。そして日本には生頼範義先生がいます。

この絵が無ければどうなっていたことか


ルーカスにも起用されました


もとは海外版ポスターで今は文庫カバー



これもですよ

 映画のポスターというのは、世界観が一番大事だと思います。多少コストをかけてでも、ぜひ配給会社はイラストや絵のポスターを制作してほしいものです。日本映画もぜひポスターデザインで新しい才能を発掘してほしい!

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