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かしましかしましまし Vol.22(藤居)〜波を聞いてくれ〜 VI

9月入ってから恐ろしいくらい夏感なくなっちゃいましたね。
近頃の天候の崩れもどうやら秋雨前線と呼べるものらしくて、いよいよ夏は終わったということでしょうか。いや、いよいよというか例年よりもかなり早いですよね、寒くなるの。

ぼくはもう前回の急な冷え込みで学習しました。もう一度夏は帰ってくる、そのはずです。ですがおそらく次の夏が今年最後の夏になるになるとは思うので(ごちゃごちゃしてきましたが)、きたるときに何をしようか今から考えておこうと思います。そうですね、水族館とかいきたいですね、Tシャツで。

関西にいた頃は水族館やら動物園やらあんまり興味なかったんですが、川崎に越してからはあれこれそういうレジャー施設にも行ってます。スカイツリーの下にあるすみだ水族館とかレイアウトが凝ってて良かったですねえ。

なんか書いてて思うんですけどこういうちょっとした外出みたいなのって、ぼやっと頭上で思い巡らしてるときが一番ワクワクしませんか。そして予定が近づいてくるにつれ少しずつ気が重くなってきて、前日なんかは、明日か...なんか家で映画でも見てようかな...体もちょっと疲れてるし...みたいな感じになってます。

いくともちろん楽しいんですけど、何であんなにワクワクしてたことが次第に億劫になってくるのやら。もともとインドア体質というのもあって家でできることの優先順位が結構高くなっちゃってるのだと推測してます。

唐突ですが最近ちょっとびっくりしたことがあります。
近頃ジョージ・オーウェルというイギリスの作家が1949年に書いた「1984年」という小説を読んでおります。全体主義的な統治がなされる当時でいう未来のロンドンのお話なんですが、やはり歴史的名作と呼び声高いだけあってかなりおもろいです。ただ今回内容はどうでも良いのです。

びっくりしたというのは、村上春樹にも「1Q84」(1984)という三作にわたる小説がありまして、ぼくはこのどちらの作品も知っていたし興味も持っていたのにも関わらず、この2作を結びつけて考えたことがなかったということなのです。

はあ?ってなりました?ぼくも書いててちょっとなりました。
ただ本当にこの2冊がどちらも1984と読むし、おそらく断然後発の村上春樹は何かしらジョージ・オーウェルの1984年を匂わせるような仕掛けを施していると思うんです。まだ読んではいないのでわからないんですが、おそらく。

ただなぜかはわからないんですが、もう何年も前からこれらの名前を知っていたのにも関わらず、全くあれ?っていうようなデジャヴュだったり違和感を感じたことがありませんでした。つまり同じ名前や!って一度たりとも意識に上ったことがないんです。

ぼく、たまにこういう訳のわからん鈍さを発揮してしまうことがあります。

例えば10人いたら8、9人は気づくような仕掛けにもあっさりスルーしてしまうようなことがあるのです。

誰しもに起こりうることなのかもしれませんが、ちょっと今回のはおどろいちゃいましたね...本当に俯瞰して見たら死ぬほどどうでも良いことなのは百も承知なのですが、この気持ち、わかっていただきたい。

村上春樹で思い出しましたが、今上映してる彼が原作の「ドライブマイカー」という映画面白そうですね。原作自体は短編らしいのですが、映画は何と3時間あります。興味と時間がおありの方はチェックして見てください。

あともう一つ思い出しましたが、先週電子書籍アプリのジャンプ+から書籍となって発売されたチェンソーマン作者の藤本タツキ最新作「ルックバック」が死ぬほど良い漫画なのでこちらも要チェックです。以上でこのとっ散らかった雑談を終わります。

それではwaves解説に向かっていきますお。

よーし、いつものセットです。

前回も前々回と前前前回に引き続きA3の歌詞をやっとりましたね。

我ながら読み返して思うんですが今めちゃめちゃ良いとこやってますね。
まさに山場、正念場です。

「街」や「光の群衆」の正体を前々回から邪推も込み込みで推敲を重ねていき、挙句それらの道標たり得る「サーチライト背負った灯台」が前回現れました。

しかしその道標も呆気なく「波が攫う」のです。そう、タイトルにもなるWaveがここで初めて描かれるのです。

つまりこの「波」。とても重要な存在であることが窺われます。

ではその重要性を紐解くために、「波」が攫った「灯台」とは何の道標たり得たのか。そして「灯台」、つまり一つの指針を求めてきた存在は一体何だったのか。これらへの理解を高める必要があります。

これらに関しては実は一貫して、第1回から地続きで描かれてきた内容なのです。それはこの連載「波を聞いてくれ」の第1回目から今一度読み通していただけるとおそらく面白いくらいにその繋がりがわかると思われます。

ので、ここでは改めて要約は致しません。

リンクだけ置いときます。

ちょうど一ヶ月前......

8月!! から入る本文が眩しいですね。

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というわけで前回の続きです。2文目からですね。

drownというのは「溺れる」「沈める」みたいなニュアンスがあります。

他動詞的な読み方をするなら「悲しみを沈める」的な感じかと思います。
何に沈めるのか、もちろん「波」です。

「生き方」の指針を「波」に攫われた「彼ら」に対して歌は、「還ろう、悲しみを波に攫して」と呼びかけます。

ここをよりエモーショナルに捉えるならば、綺麗な音だけを鳴らす必要はないし、「縫い目にそびえる墓地」や「積まれた石ころ」に救いを求める必要もない。「操り人形」である彼らに対してかけがえのない「one」の悲しみを今ここで波に溶かしてしまえと呼びかけるのです。

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そしてようやくAメロの森を抜けここからBメロへと入っていきます。

英詩ですね。ちょっと難解なので本日はこの辺にしようかと思います。中2英語あたりですかね、自信のない方は予習をよろしくお願いします。

ではまた次週



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