今日みたく雨なら、きっと泣けてた②

※フィクションです

ひとしきり暴れた後、旦那はあたしに「おい」と声をかけてテレビの方に視線をやった。
これは「今からゲーム通話するから準備しろ」の意味。ヘッドセットを接続して、お酒とつまみを用意する。いつの間にかあたしの仕事になってたことの一つ。
準備が整うと、旦那は通話相手に早速あたしの事を愚痴り始めた。別に何と言われようが構わない。あたしも自室に戻り、友達にLINEで愚痴を零した。

通話相手が上手く宥めてくれたのか、床に入る頃に旦那は落ち着いていた。
怒ってごめん、と小さく呟く。
旦那は暴力を振るったあとは優しくなって謝罪する。何回目だろう。あたしはそれを1mmも信じてない。
「お葬式、来る?」
「仕方ないから行ってあげるよ」
「ありがとう」
言い方が少し気に食わないけど。あたしがお礼を言わなきゃいけないのも訳分からないけど。仕方ない。
許して貰えたことに気が大きくなったのか旦那は機嫌を良くした。
「葬式と言えば飯だよな!ローストビーフと刺身入ってるお葬式の定番のお弁当、あれ食べたいんだけど」
「コロナで食事がないからそれもないと思うよ。少し早めに行って別のお店でご飯食べようって家族と話してたんだけど、いい?」
「は?弁当ないとか楽しみないじゃん。じゃあ、海鮮丼出す店に行きたい。とびっ子が乗ってるやつ」
冠婚葬祭で相手の家に料理のリクエスト。神経の図太さに感心する。が、これ以上、機嫌を損ねぬよう、弟に連絡し「あたしのリクエスト」として海鮮丼を提供する店を探してもらった。
それから、旦那の顔色を伺いながら少し、自分の考えを話した。
従姉妹や遠縁の叔父叔母なら兎も角、姻族二親等の家の葬儀に出るのは常識だと思っていたこと。あたしの実家は田舎で親族も多いから親戚付き合いを最低限して欲しいこと。結婚祝を受け取っておいて、葬儀は行きませんと言うのはとても失礼だということ。うちの家系で義理を欠くことはかなり嫌われるということ。それから、おばあちゃんに気持ち悪いと言ったことを謝って欲しいと。
旦那は投げやりに頷いたり、苛立ったような溜息をつきながら聞いていて、途中で口を開いた。
「あのさぁ、俺が人と話すのが苦手だって知ってるよね?親戚だかなんだか知らないけどストレスしかないわ」
「ごめんね。親戚は高齢者も多いし、仕事と同じだと思って何とか乗り切れないかな?」
「いやいや、仕事では人と話せば金貰えるけど、お前の親戚と話したって金貰えねぇだろ。だる過ぎ」
言い様のない諦念があたしの中で漂った。もう、いいや。寝よう。目を閉じて、睡魔が来るのを待った。
「あー、あと、やっぱ人の骨とかキモイから、骨上げは外待機でいい?」
ー·····好きにしろ。

深夜、何度か旦那が御手洗に起きていた。緊張とストレスでお腹を下してるらしい。胃も痛むそうだ。気持ち悪いと訴えられたが、救急箱から胃薬を出してあげる気にはなれなかった。


翌日の営業の仕事は少し調整をした。
お通夜は出なくていいと言われたが、何かあった時に駆けつけられるよう、上司とお客様へ事情を説明し、土曜日は早退できるように図ってもらった。外交員の仕事は時間の融通が効くのが便利だ。
空はすっかり初夏の雰囲気で、視界には緑がチラついた。

「あらあら、それは大変ね」
訪問日時の変更の申し出を快諾しながら、常連のマダムは仰った。
「私もね、母を亡くした時すごく悲しくて…この歳になると結婚式はなくてお葬式ばかりなのよ」
マダムは、ふふ、と悪戯っぽく笑う。奥の部屋から紅茶の香りが漂い、鳩時計が正午を告げるメロディを流す。おばあちゃんが死んだなんて嘘みたいに穏やかに時間が流れてる気がして、昨日から続いてた緊張の糸が少し解れた。
「まぁ、そんな時は夫が側にいると心強いのよね」
あ。今、現実に引き戻された。
「お祖母様のお葬式ってことは旦那様も一緒でしょう?」
やめて。
「きっと支えになってくれるわ」
やめて、やめてやめて。
「まぁ、熟年の仮面夫婦とかなら別だけど、新婚さんなら」
ダメ、それ以上、あたしを刺さないで。
「旦那様は貴女に寄り添ってくれるはずよ」
息苦しさで早くなった鼓動を鎮めながら、笑顔を張り付けたまま答える。
「そうですね、旦那がいると心強いです!」
嘘をつく時、あたしの口は驚くほど滑らかに動くのだ。

外に出ると、陽射しが照りつけてあたしの影を焼いた。このまま焦げ付いて消えてしまいたかった。
身内の葬儀があった時は配偶者が寄り添ってくれるものなのだろうか?出席はやはり当たり前?
自分の置かれている状況が、人の持つ常識と激しく乖離していた場合、上手く受け入れられず、正解が分からなくなることがある。
あたしの旦那は寄り添うどころか出席さえ望んでいない。
·····惨めだ。
マダムの家の庭先の、手入れされた花々が歪んで見えた。

その日の夜、帰宅した旦那は言った。
「職場で体調悪くて咳してる人いたから、行かない方がいいよね?」
本当に体調を崩した人がいたのかどうか、今となっては分からない。どうしても行きたくない旦那の嘘かもしれない。
「万が一、俺が感染してたらどうしよう、周りの人に移したりしたら危ないよね·····?」
あたしは医者でもないし、その「職場の人」を直に見た訳じゃないからコロナか仮病かなんて見分けがつかない。今日は金曜の夜、葬儀は日曜。PCRを受けてる時間はない。
「·····そう、親に、伝えておくね」
頷くのを見て、旦那は満足そうにしていた。夕飯の天ぷらうどんを平らげ、おやつにスナック菓子を食べているところを見ると胃痛は治ったらしい。
あたしは昨日からずっと、食欲がない。胃の中はアイスティーだけだ。


日曜の早朝は、おばあちゃんが泣いてるみたいな小雨だった。履き慣れないパンプスの靴擦れを不安に思いながら家を出る。
片道3時間半、電車に揺られ、実家の最寄りに着く頃には汗ばむくらいの陽気になっていた。
空を見上げると雲ひとつない青空だった。
誰が死のうが生きようが、絶望しようが笑おうが、世界は変わらず朝と夜をなぞる。

旦那は、葬儀をドタキャンした。






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