今日みたく雨なら、きっと泣けてた

※暴力描写あり
※フィクションです

五月晴れが続く日の早朝、父からの電話で目が覚めた。

「おばあちゃんが死んだ」

久しぶりに聞いた父の声は落ち着いていた。いや、亡くなったのは父の母だから、落ち着いていたのかはわからない。平坦なトーンで、式の日程は未定なので決定次第連絡するということ、コロナ禍だから体調不良がある場合は無理して来なくていいということ、死因は老衰だということを告げた。
1、2年前から体調が芳しくなかった90歳超えのおばあちゃんを思い出しながら、出席の返事をして、あたしは電話を切った。
それから、集団接種ワクチンのホームページにアクセスして、今週末に入れてたワクチンの予約を取り消した。

シャワーを浴びて、トーストとコーヒー、旦那のお弁当を作る。カーテンを開けて部屋に光を採り入れる。今日は真夏日になるらしい。いつものお天気キャスターの爽やかな声が、あたしの鼓膜を素通りしていく。

旦那が起きてきた。
「おはよう。あのね、おばあちゃん、死んじゃったって。今週末はお葬式になると思う、週明けかもしれないけど」
「どっちの」
「父方」
「ふーん」
「今日が木曜日で、土日はお寺さん忙しいと思うし、月曜日は友引だから、火曜になった場合を考えて忌引とれるか確認してきて欲しいんだけど」
「·····めんどくさ」
そう吐き捨てて、旦那はシャワーを浴びに行った。

結婚直後から旦那は少し変わってしまった。
優しくなくなった。それから、ずっと誰かの悪口を言ってる。何を言うにもまず貶さないと喋れない人になってしまった。
旦那はあたしのおばあちゃんに会ってない。あたし達が去年結婚した時にはもう入退院を繰り返していて、認知症のような症状もあったらしい。コロナ禍で遠方からお見舞いにはいけない。結局、挨拶にも行けないまま、おばあちゃんは二度と会えなくなった。旦那からすれば、身内という意識は薄いのかもしれない。

ー·····最後に会ったの、いつだっけ。
ていうか、仮にも身内の訃報を聞いて最初に出てくる言葉、めんどくさいって、なんだそれ。

無味無臭の紙みたいなトーストを、ざらつくコーヒーで流し込んだ。

夕方、仕事が終わってから喪服を買いに行った。
最後に親族の葬儀に出たのは大学進学前の春休み。ギリギリ制服でOKな年齢だったので、喪服を持っていなかったのだ。
販売員のお姉さんと相談して、腰にリボンのついたワンピースを買った。自分で言うのも可笑しいが、あたしは黒が似合う。初めての喪服姿もそれなりに様になっている気がした。
着道楽でお洒落だったおばあちゃん。どんなイベントでもいつも背筋を伸ばして綺麗にお化粧していた。そんなおばあちゃんの最後のお別れ、あたしも綺麗で居たかったから、納得の行く洒落た喪服を選べて良かった。


「それ、いくらだったの」
帰宅して、新調した喪服やハンドバッグ、パンプスを見て、旦那が言った。
「えっと…全部で3万くらい」
嘘。ホントは小物も全部合わせたら4万近い。家計で足りない分はあたしのお小遣いを削ればいい。本当の金額を言ったら怒られると思ったから咄嗟に嘘をついた。
「たっか。葬式全部でいくらかかるんだよ」
「あとは交通費と香典くらいじゃないかな、家族葬だから貴方はスーツでいいと思うし、多少カジュアルでも…」
「いや、そのスーツはサイズ合わないから着れねぇし、そもそも行かなきゃいけないわけ?」
「え」
「忌引、使えないから」
「え、なんで」
「妻の祖母は遠いから対象外だって。上司も、会ったことない人の葬儀は行く必要ないって言ってたし。仕事のスケジュール立て込んでて休めないから」
上手く飲み込めなかった。
「腹減ったんだけど」
「あ、ごめんね、すぐ用意するね」
旦那はドカッとソファに腰掛け、TVを見始めた。

あたしの頭の中は疑問でいっぱい。
冷めてしまった料理をレンジで温めながら考える。
あたしが独身の頃に勤めてた会社は姻族の祖父母くらいまでなら忌引使えたはず…無駄に福利厚生充実してたから、お見舞金?まで会社から出た。でもそれは会社によって規定は違うから対象外なら仕方ない。おかしいのは上司が「葬式に出なくていい」ってアドバイスをすること。旦那からすれば会ったこともない親族、けれど結婚した以上は自分の祖母にあたる訳で。それに、都会の核家族は繋がりが薄いかもしれないけどあたしの実家は田舎、親戚も多い。冠婚葬祭に出ないなんて非常識。家庭それぞれの違いがあると分かって言ってるんだろうか?嗚呼、それから、この「面倒」だから断固として行かないとする姿勢はどうしよう。あたし達が結婚した時、父方の親戚からはそれぞれお祝い金を貰った。当時はコロナ真っ盛りだったから顔合わせはしてないけれど、だからこそ葬儀みたいに親族一同集まるところには出席をしてお礼と挨拶をするべきでは

ピリリリリ

思考の渦を切り裂いたのは父からの着信だった。

「お葬式、日曜日になった。お通夜は土曜の夕方だけど、土曜は仕事だろ?お通夜は来なくて大丈夫って、兄貴(喪主)も言ってるから」
「わかった、日曜は何時から?」
「12時半集合だな。コロナ対策で食事は無しだから、俺らだけで駅付近で何か食ってから行こうか。15時から火葬場で、焼いたら解散だから」
「じゃあ、11時くらいの電車探しておくね」
「おう。旦那さんは?」
「あ…」
一瞬、旦那の方を見る。
「ねぇ、お葬式、日曜になったんだけど…」
「行きます!」
元気のいい返事。
あれ?嫌がってたけど、来てくれるんだ。仕事が休みだからかな。
「あぁ、わかった。わざわざ出席ありがとうって旦那さんによろしく伝えておいてくれ」
父の背後から、母の「出席してくれるのね」と安心したような声が微かに聞こえた。あたしも少しほっとして、電話を切った瞬間。

あたしの横を、早くて重い何かが掠めた。

飲みかけの2リットルペットボトルだった。

「お前まじ有り得ねぇんだけど」
隣の家に聞こえるんじゃないかと思う怒声が耳を劈く。
「勝手に返事するなよなぁ!?」
は?
「え、だって、自分で、行くって」
「親と電話繋がった状態で話振られたら行くって言うしかねぇだろ!頭使えや!」
そう言いながらあたしの頭を叩く。
「会ったこともない人間の死体とか無理なんだけど。骨も拾わなくちゃならねぇんだろ?気持ち悪ぃ。無理だわー、最悪」
もう1発、殴られた。

ー·····気持ち悪い。
その言葉が頭の中で反芻されてて、後のことはあんまり覚えてない。
せっかくの日曜日を潰されたとか、勝手に死なれて迷惑だとか、喪服買わなきゃいけないのが面倒だとか色々言われて、ひたすらごめんなさいを繰り返してた気がする。

あたしのおばあちゃんの亡骸は、旦那にとっては気持ち悪いんだ。

暴言の嵐と、記憶の狭間で、口紅を引いて着物を着たおばあちゃんが思い浮かぶ。
夏に遊びに行くと自分は食べないのにアイスを沢山買って待っててくれたっけ。帰りに渡されるのは、夏はおこわやお赤飯。秋冬はおはぎ。おばあちゃんの作る餅米を使った料理は、今でも世界一美味しいと思っててー·····。

気持ち悪くなんか、ないのにな。

殴られた痛みも、向けられた言葉の痛みも大したこと無かった。
心の方が痛くて、何かがガラガラと崩れ落ちて、もう戻らなかった。

つけっぱなしのTVから、明日も快晴だと予報が流れてた。
お葬式が終わるまで、土砂降りであって欲しかった。

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