今日みたく雨なら、きっと泣けてた④

おばあちゃんを見送ったあと、母方の祖母の家に行った。
※亡くなった父方の祖母を「おばあちゃん」、母方は「祖母」と表記します。

祖母は今回の葬儀も出席したがっていたが、高齢により遠方への運転が危険なため、香典のみ送っていたのだ。

最後に会ったのはコロナ前、久々の再会。
聞かれたことはやはり「旦那さんは?」

祖母は我が家系のボスのような存在。
旦那が居ないことにサッと顔色が変わったが、コロナ禍なら仕方ない、次来る時は挨拶を、と渋々返事をした。

そして、半年ほど前におばあちゃんに会ったのが最後になってしまったと語った。
「あの時に、結婚したなら旦那様と会ってから死にたいねって、2人で笑いあったんだけど、思ってたより早く逝ってしまったねぇ」


帰りの電車の中で、Coccoの曲をリピートしていた。
最後のお別れの時でさえ、顔を見せられなくてごめん。声を大にして謝りたい。
夏に帰った時に、どんな顔で墓前に立ったらいいのか分からなかった。
イヤホンから流れるRainingの歌詞はこう結ばれる。

それはとても晴れた日で
未来なんていらないと思ってた
私は無力で
言葉を選べずに
帰り道のにおいだけ 優しかった
生きてゆける
そんな気がしていた
(引用  Cocco/Raining )

思春期の頃、何度もこの曲に励まされて、田舎道を自転車で駆け抜けながら生きる勇気を貰っていた。でも、車窓の風景が田舎から都会に移り変わる今だけは、どうしても生きていける気になれなかった。

帰宅すると、旦那から「お土産は?」と聞かれた。祖母から帰りに手渡された焼き菓子をあげる。葬儀のお弁当がないこと、あたしだけ海鮮丼を食べたことに文句を言われたが、肉体的にも精神的にも疲労がピークで取り合う気にもなれなかった。
最初から最後まで食べ物の心配しかしないこの男に、あたしは色々なことを諦めたのだった。

※葬儀当日の話はここで終わりです。
以下は後日談

葬儀の翌日からは雨が続いた。
おばあちゃんが亡くなってから葬儀当日まで、抜けるような青空で一滴も出なかった涙が、翌日から止まらなかった。仕事中でも、ふと泣けてくるので信号待ちで何度も涙を拭った。
葬儀の日も雨だったら泣けたのかな。

さて、驚くことに、旦那は月曜日の仕事を仮病で早退して、あたしのことを遊びに誘ってきた。
「忌引も使えないほど仕事が詰まってるんじゃなかったの?」そう問うと「いや、別に」と返って来たのはまた別の話。

1週間ほど、ずっとめそめそしていたのだが、楽しみな予定がひとつあった。
約2年ぶりに会える友達とのお出かけだった。
その日はとても充実していて楽しく、ずっとアイスティーが主食で食欲皆無だったが、ランチも美味しく食べられた。友達は葬儀の一部始終を知っていたので、あたしを励まそうとしてくれたのだろう。ランチを奢ってくれて、一緒にデパートのコスメを見たり買い物もした。片手の数しかいない友達だけど、恵まれたとつくづく思う。友達は量より質なのだ。
友達からの心遣いが嬉しく、そのままの気分で帰宅したらマンションの廊下で旦那が激怒していて、冷水を浴びたような気分になった。
「家、入れないんだけど」
「え、なんで」
「鍵忘れたのにお前が出掛けてるから」
「·····いや、前々から今日出かけるって言ってたし、鍵忘れたのはあたしのせいなの?」
「お前の方が家を後に出たんだから、俺が鍵持ってないの気づけよ!(玄関の)キーケース見てないわけ!?」
「ごめん、見てない」
「ほんっとに気が利かねぇな。仕事から帰ってきて締め出されてるとか有り得ねぇわ。疲れてるのに」
「ごめん、気をつけるね」
「俺は仕事、お前は遊びに行ってたんだから、そもそも俺より先に帰宅してろよな」
旦那から怒られてる時、ドス黒い感情が湧かないでもない。話し合いにならないのはよく分かってるし、あたしが謝っておけばそのうち機嫌はおさまるのだ。小さい頃、母親のヒステリーに付き合わされていたから、それもよくわかる。でも·····
「年に数回のランチくらい、いいじゃない」
毎週、毎月じゃないんだ。半年に1回あるかないか。それさえ旦那に許しを得て帰宅時間に気を使わなければならないのか。
「チッ、どうせ高くていいもの食ってきたんだろ」
「お洒落なお店だったけど、食事代は友達が出してくれたよ。あ、モッツァレラチーズの料理がすごく美味しくて、あとで貴方とも行きたいなぁ」
早く話を違う方向に持っていきたくて、料理の感想を述べたが火に油を注いでしまった。あたしはいつも上手くできない。
「くっだらねぇもん食ってんなよ!!それに何?また奢り?先週も海鮮丼を親に食わせてもらって今週も?周りの人に俺の稼ぎが少ないとか言いふらして奢ってもらってんの?乞食かよ!」
ー·····おばあちゃんを気持ち悪いと言われた時と同じ感覚があたしを襲った。
乞食と言われたことはどうでもいい。
美味しかった料理、今日一日の楽しかった時間、何よりそれを提供してくれた友達の優しさ。それらが「くだらない」と一蹴されたようで、悲しくて悲しくて堪らなかった。
旦那はモッツァレラチーズに対して「くだらない」と言ったのかもしれない。それでも、あたしと友達の二人で色々悩んで決めたメニューだ。そんな風に言って欲しくない。
それから、あたしの大事な友達を否定しないで欲しい。謝って欲しい。許可もお金も気にせずに遊ぶ時間が欲しい。全部全部ひっくるめて、あたしの口から出た言葉は
「·····ごめん」
友達の気遣いひとつ守れない弱い自分が腹立たしくて情けなくて、その日の夜は声を押し殺して泣いた。

事故でも心不全でもいいから、もうおばあちゃんの所に行きたい。
葬儀から3週間、少しづつ回復して食事も多少できるようになったけれど、その思いは変わらない。
今はまだ出口が見つからないけれど、「生きてゆける」と感じられる日は来るのだろうか。このまま一日一日を生き延びる運命ならば、天国にいるおばあちゃんがもうこれ以上悲しまないように生きていきたい。
















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