Monsterと呼ばれた女性殺人鬼について

モンスターという映画を見た。
予告を目にしたことがあって、モデルとなったアイリーンの存在も知っていて、気になってたものの見たことはなかった映画。
脚色もあるだろうが実話を基にストーリー展開される。
シャーリーズ・セロンの美貌を崩した演技ぶりには目を見張るものがあるのでそこも是非見てほしい。

以下、ネタバレあり。




映画を見終えて、まずひとつ思ったのが
「あぁ、あたしはこの人をとてもじゃないけどモンスターなんて言えないな」ということ。

親に捨てられ、預けられた先で虐待を受け、兄弟を養うために幼くしてウリを覚えた。それでずっと生きてきた。彼女にはその方法しかなかったから。
映画の中で、彼女の恋人の叔母が「辛い過去があっても立派に生きてる人は沢山いるわ。だから売春婦なんてよしなさい」と忠告する場面がある(一語一句覚えてないけれどそんなニュアンスのセリフ)
親戚の子が売春婦と暮らすなんて言い始めたら、心配して出てくる至極真っ当な言葉にも思えるが、これは学があり職のある(=立派な)生き方の選択肢を知っている人でないと出てこない言葉だとあたしは思う。

凄惨な家庭環境の中育っても、立ち直って社会に適合していける人なんてほんのひと握りだ。底辺は底辺のまま、上流は上流のまま、生きて死んでゆくのが現実。
「四丁目の夕日」という漫画で、目を背けたくなるくらい山野一が描いてた世界だ。「鬼畜の家」で石井氏が取材し本に纏めた通りだ。
事実、彼女はカタギで生きようといくつかの会社の面接に行くが適応できずに落とされ、娼婦に戻っていく。
それでもどうにかして、やっとのこと掴んだ幸せと愛する人を守りながら生活しようと藻掻く彼女は本当に「モンスター」なのだろうか。
拙い生き方しか知らない、教えてくれる人にも恵まれなかった1人の女性ではないか。

これは遠い外国の話ではない。日本でも「鬼畜の所業」「異常者」などと呼ばれる犯罪者は今までも、これからも生まれていく。
映画の感想を通して、あたしは改めて問いたい。
「モンスター」を作り出してしまう環境自体が「モンスター」なのではないだろうか、と。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?