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テニスは肉体を使う精神戦のスポーツ

選手の精神状態が勝敗を左右する

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210602/k10013063331000.html

 全仏を棄権した大坂なおみ選手の行動によって、グランドスラムの運営全体が記者会見のあり方を見直すことになったようで、よかったなぁと思っている。発端のあと、ちらほらと「賞金を得るトーナメントに参加するプロ選手なのだから会見に応じるのは当然。大坂選手の行動は甘えている」という意見を見かけたりして、「へーーー」と驚いた。テニスというスポーツの特徴が世の中には、あまり伝わってないのかね?と思ったりしている。

 野球やサッカーなどのチームプレイの競技だったら、その意見もありかもしれない。でも、チーププレイのスポーツは、試合の結果について基本的に監督が語るし、インタビューに答える選手も日替わりで違ったりする。デイリーニュースとしてメディアが取り上げるのも勝ったコメントのほうが比重が高く、負けたほうにはあまり価値を見出さない。

  ところが、テニスは違う。まず大きいのが、「メンタルのスポーツ」と言われるくらい、勝敗を選手の精神力が左右することだ。神がかっているんじゃないかと思うくらい圧倒的な優位で進めていても、勝ちを意識したとたん、崩れて負ける試合なんてざらにある。その逆もあって、マッチポイントを何度も握られながら、大逆転した名勝負も多い。試合では必ず双方に優位になる駆け引きのような流れがあって、片方だけに流れがくるということもない。自分に来た流れを掴んで絶対に離さなかったり、流れがくるのを諦めなかったほうが結局は勝つ。観客は、その精神戦を観戦しているところもあるし、肉体を使った将棋かチェスに近いスポーツなのだと思う。

テニスは究極の個人競技

 もう一つ、テニスのキツいところは、究極の個人競技であることだ。ダブルスならまだパートナーがいるが、シングルスの選手はコートに立ったら誰も頼れない。ダブルスでも試合中にパートナーとの関係性が悪くなれば、シングルスより孤独だ。

 トップクラスの選手となれば、コーチや練習のパートナー、栄養士、メンタルトレーナーなどで構成されたサポートチームを抱えているけれど、彼らの協力を得られるのは、コートの前まで。試合中のコーチングは御法度で、グランドスラムでいえば、コーチや家族を含めたサポーターはファミリーボックスで見守ることしかできない。つまり、どんなにピンチの状況でも、選手は自分で考えて切り抜けなければいけないのだ。男子なら5時間超、女子でも3時間を超すこともある試合の間、ポイントが取れるすき間を探し、相手の心理とプレイの意味を先読みし続けるわけだから、これほど頭脳と精神力、集中力が問われるスポーツもないと思う。

 そんな心身共に消耗する試合を終わらせたあと、大勢の見知らぬ記者を前にしてのひな壇での会見となれば、そりゃ負担は大きいよな、と大坂選手に気づかされた。グランドスラムでは、トップクラスになると、勝った選手だけでなく、負けた選手もひな壇に座るのが慣習だ。それも2週間、ほぼ毎日。勝っていれば翌日以降の試合に備えたいだろうし、負けた場合は事実を受け止め、反省を次の試合に生かしたいだろうに、その時間をインタビューに奪われることになる。

 欧米の記者会見は、日本みたいにぬるくないし、辛辣な質問もされる。テニスは紳士淑女のスポーツという建前なので、意地悪な質問をされても、うまくかわして、記事の見出しになるようなユーモアあふれる回答で返さなければならないというプレッシャーもある。

 ジュニア時代から将来を期待され、ステップアップしながら鍛えられてきた選手だったり、社交的な性格なら割り切って記者会見をこなすことができるかもしれないが、大坂選手はもともと内気な性格と言われている。2018年で初めて全米オープンを制した試合も内容が劇的だったし、過去の戦歴から言えば、新星誕生の印象が強かった。おまけに、これからのテニス界を背負って立つようなアイコンとしての魅力も備えていたことから、テニス関係者からだけでなく、ビジネス界からも注目されることになった。いきなり世界的なトップ選手としての振る舞いを求められることなり、かなりの負担だったんだろうなぁというのは、想像がつく。

人生の何かを諦めることがトップスリーに入る条件?

 テニスの場合、トップに上り詰める選手は、たいていハイティーンの頃にグランドスラムのどれかを制し、20代前半で向かうところ敵無しのような強さを発揮する。けれど、華々しくトップに立っても、その後、勝てなかったり、案外と選手生命が短かったりする選手も少なくない。そして、長くプレイできる選手は、やはりメンタルが強い。もともと強いこともあるだろうが、コントロールする術を身につけてるのだと思う。そして、あの強さやコントロール術は、日本人が苦手とする部分だよなぁ、とTVで試合を眺めながら私は考えてしまう。

 トッププレイヤーの厳しさについて、今でも強烈に覚えているのが伊達公子選手が1996年に一度、引退したときのことだ。世界ランキング4位になり、当時の絶対女王だったシュテフィ・グラフを追い詰めるだけの実力を持ち、日本人初のグランドスラム制覇もありうるかも、と期待されたなかでの引退だった。実力、人気とも絶頂期であっさりにも見える引退をした伊達選手の行動が、私は謎で仕方がなかった。しかし、その後、彼女が2000年に発表した『In & Out』(新潮社)というフォトエッセイを読み、納得することになった。

 彼女は、女子テニス界の頂点が見えたときに、自分がトップに立つだけの精神的な強さを持っていないことに気づいた。トップスリーの選手たちを押しのけ、頂点に君臨するには、人間として大切な、何かを捨てなければならない。自分はそこまでの踏ん切りがつかない。だから引退を選んだ、というような内容だった。原書が見つからないので、文章は違うのだが、意味としてはそんな内容だった。

 その後、伊達選手がトーナメントに復帰したときは、テニスプレイヤーではなく、一人の人間、あるいは女性として時間を過ごしたことで、人生の支柱を得たのだろう。そして、その糧が精神の土台を強くし、テニスへの愛を蘇らせ、以前とは違う形で戦いたいという気持ちにつながったんだろうなぁと勝手に想像していた。

テニスが教える人生を生き抜くグラデーションの感覚

 振り返れば、私も長短取り混ぜて、1000人(もっとか?)の人たちにインタビューし、人生のほんの一部ではあるけれど、話を伺ってきて、しみじみ思うのが、渋滞がゼロの快適な高速道路を走り続けるような人生はないってことだ。端からはうまくいっているように見える人でも、必ず陰や闇を抱えていたり、停滞や沈滞の時期がある。ものすごい上り調子の人ほど、話を聞くなかで、「あ〜、こういう人(あるいは感情)を避けきたから一気にここまで来たんだねぇ。でもなぁ、こういう人がそばにいたり、弱みに思えるような感情も大事にしたほうが、のちのち、いいんだけどなぁ」なんていうことが多い。光が強ければ、陰も強くなるのだ。

 どんなに準備したとしてもうまくいかないことはあるし、「失敗した」と感じるのは、たいていの場合、周囲の期待に応えられなかったときだ。それか、自分の思う通りに相手が動かなかったとき。生きていく間には、うまくいくことのほうが少なくて、失敗したり、がっかりしたりすることのほうがずっと多い。大切なのは、うまくいかなかったときに、どう自分なりに対処していくか。それも、1か0かとパッキリと二分法で対処するのではなく、問題や悩みにグラデーションをつけて、曖昧だったり、保留する部分を残しておくことが大事なんだと思う。そして、ちょっと横に置いているうちに、時間が解決してくれることもある。

 テニスは、精神戦のスポーツだけに、試合を観戦していると、人生を生き延びるために知っておきたい「グラデーションの感覚」を教えてくれる。試合の流れを見ながら、「あー、ここでこうやって掴むんだ」とか、「ここで諦めちゃったんだねぇ」とか、勘どころのようなものが伝わってくる。もしかすると、それも「勝負勘」と呼べるものなのかもしれない。

 大坂選手は、まだ23歳。最近はテニスも選手生命が伸びている。ゆっくり休養し、テニス以外の経験をしたりして、また「プレイしたい」という気持ちになったときに、コートに戻ってくればいいんじゃないかなぁ、と思っていたりしている。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。