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「おしん」からトレンディドラマに見る「家」思想

「家」に閉じこめられた女性たち

テレビドラマ最高視聴率を記録したNHK朝ドラ「おしん」といえば、少女期の小林綾子のけなげさがクローズアップされることが多い。が、田中裕子が演じた青年期のほうが、きな臭さが漂う令和にはピタッとはまるのではないだろうか。

明治から昭和を生き延びた女性の一生を1年間の長丁場で描く波瀾万丈のドラマなのと、ネタバレしてもつまらないので、ストーリーは「まぁ、とりあえず、興味があったら見て」と言うしかない。今週で言えば、関東大震災ですべてを失ったおしん(田中裕子)は、夫の竜三(並木史郎)、長男の雄と着の身着のまま東京を脱出し、竜三の実家、佐賀の田倉家に身を寄せる。ここから脚本家の橋田壽賀子の真骨頂とも言うべき、壮絶な嫁いじめが始まるのだが、何十年ぶりかに見ていて、「あれ? これ、そう遠い話でもないのでは?」と思ってしまった。現政権が目指している「子育てを家族で支え合える三世代同居・近居がしやすい環境づくり」などと、少子高齢対策に見せかけた「家族」回帰思想の究極の姿はここに行き着くんじゃないかと思ってしまったからだ。

初めて「おしん」を見る人は、これから始まる田倉家のおしんへの仕打ちにショックを受けるかもしれない。究極の嫁の立場地獄が描かれるからだ。それも、おしんは、三男の妻。長男の単独相続で、次男以下は何一つ相続できない明治憲法下で、おしんの立場はよそ者であり、下位の身分待遇だ。人権もなく、最低限の生活も保障されないような状態に置かれる。いびるほうも「家」の呪いにとらわれている。姑の「清(きよ)」を演じた高森和子の名演もあって、どこか憎めない。彼女なりの理由があることが伝わってくる。おしんも清も、田倉家の女性たちは「家」に「個」の存在を閉じこめられ、出口がないまま生活は続いていく。

「場」と「個」で揺れ動いたホームドラマ全盛期

「おしん」が放映された前後の1970年代から1980年代前半は、ホームドラマの全盛期だった。アットホームな微笑ましいドラマもあれば、家族の暗部や崩壊を描くドラマも数多く作られた。そういえば、「家」にかけられた呪いが殺人事件につながる横溝正史原作の映画がヒットしたのも70年代後半だ。当時の日本人には、生活の「場」である「家」に対する共通認識があり、祖父母からつながる先祖との関わり、夫や妻、子どもの家庭内の立ち位置は今よりずっと明確だった。一方で、1人の人間として「個」の生き方も問われるようになり、「場」と「個」のバランスが崩れ始めていた。ホームドラマは「場」に寄せるのか、「個」に寄せるのかが、それぞれのストーリーの骨子になっていたと思う。

さすがに今の日本で、当時のおしんのような立場にある女性はいない(と思いたい)だろうし、遠い戦前の話と思いたいが、「家」思想が日本から消えたわけではない。私と同世代の多くが結婚したのは、1980年代半ばから1990年代。大枠で言えば「バブル世代」と呼ばれる年代だが、厳密に言えば、1985年施行の雇用機会均等法が適用された年齢かどうかの差は大きい。時代を区切るとき、0年で分けることが多いけれど、過去40年ほどの流れを考えると、75年、85年、95年と5の年で区切ったほうが変化がわかりやすいのではないかと思うくらいだ。

私は1985年施行の雇用機会均等法にはギリギリで間に合わなかった。間に合っていたとしても、当時は地方在住で、今よりもずっと東京と地方に格差があった時代なので、就職が有利になることはなかっただろう。それでも、学校では男女同権を教えられ、卒業後は就職するのが当たり前だった。受け入れる企業側が、3、4年の勤務で退職する「腰掛け」や男性社員の嫁候補と考えていたとしても、私より上の世代よりは、まだ働く環境が広がっていたと思う。

結婚に立ちはだかった「家」のしきたり

そんな1950年代後半から1960年代に生まれた女性たちが、おしん時代と変わらない「家」思想にぶち当たったのが、結婚だった。音楽や雑誌文化が花開き、最新ファッションに夢中になり、女性の自由と権利をそれなりに謳歌していたのに、結婚となったとたん、古くさい「家」のしきたりが立ちはだかったのだ。

昔ながらの仲人が間に立ってのお見合いで結婚する人もいたが、多くは恋愛を経て当人同士の合意で結婚を決めていた。ところが、結婚式の段取りになると「家」同士の交渉になった。実家が離れている場合は、両家のどちらに近い場所で結婚式と披露宴をやるか、招待客は誰を呼ぶか、料理は和食か洋食か、引き出物はどんなものを選ぶか、仲人は誰がやるのか、面倒な決めごとが山ほどあった。新郎新婦だけで決めることはまず許されず、両家の意向も重視された。物わかりのいい親同士なら当人たちの意向が尊重されたが、親類縁者や地域との関係が深い家だと、交渉が揉めることは珍しくなかった。面子が保てる披露宴を開かなければ、「家」が恥をかくからだ。

結婚後も夫の実家との関係に苦労し、疲弊する女性は多かったと思う。実家と離れて暮らしていても、盆と正月の帰省は悩みのタネだった。夫の実家で同居することになった女性が、どんな着物を持ってきたのか、親戚の女性たちに全部、引っ張り出され、品定めされたという話もあった。子どもがいつ生まれるかも「嫁」の責任だった。生まれたら生まれたで、初孫の顔を見に産院を訪れた舅に、「男じゃなくてがっかりした」と言われた人もいた。それが30年くらい前の話。古い話と思うだろうか。団塊世代が中心だったフェミニズム運動の尻尾に触れてきたこともあり、そうした「家」思想がまだ色濃く残る結婚に苦労したり、距離を置こうと自分なりに闘ってきたのが、今の50〜60代の女性たちだ。

トレンディドラマの「個」はどこで消えたのか

1980年代後半にヒットしたトレンディドラマは、男女の恋愛、友情に特化していた。親が登場しても陰は薄く、「家」は辺縁に押しやられている。今となっては、バブル期の脳天気さと金満ぶりを冷笑する象徴として取り上げられることが多いトレンディドラマだが、「家」思想の側面から考えてみると、日本人の「場」と「個」に対する意識を刺激し、「個」に寄せる役目も果たしてのではないだろうか。あるいは、この頃から「家」思想が陰を潜め、その社会の変化をすくい上げた結果、生まれたドラマだったのかもしれない。

「おしん」や向田邦子の「阿修羅のごとく」など、戦前の「家」思想を引きずっていた70年代から80年代前半のホームドラマをリアルタイムで見てきただけでなく、その呪いを半分かけられきた世代からすると、現政権の「家」回帰を主張する思想にはぞっとする。女性が1人の人間として自由に生きる権利を奪われる「おしん」時代に逆戻りするのではないか、とまで想像してしまう。いったいどこから始まった揺り戻しなのだろう。もしかすると、1991年のドラマ「東京ラブストーリー」の「おでん」からなのか。

たまたま100作目の記念の年にあたっただけだろうが、「おしん」全話が放映されることになったのは、何かの巡り合わせなのかもしれない。男性だけに権利がある「家」思想の負の面をあまり感じることなく育った世代に、女性が「家」に閉じこめられると、どのような境遇に置かれ、どう扱われるのか、ドラマの誇張を差し引いて見たとしても、「おしん」は、その怖さをリアルに教えてくれると思う。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。