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ブラックボックスの壁を越える「ハイパーハードボイルドグルメリポート」

世の中に無数にあるブラックボックスの壁

 世の中にはブラックボックスが多い。存在していることはよく知られていて、外側は誰でも簡単に見ることができるのに、なかの様子を肌感覚で知っているのは、内側で暮らす人だけ。会社も学校も、昨今はそんなブラックボックスに見えてくる。

 これまでは職種と働いている場所を聞けば、おおよその働く姿が想像できた。しかし、新型コロナウィする感染症は、「場」に多くの人が同時に存在することを許さない。自粛生活を余儀なくされてからは、人々の働く姿が想像しにくくなった。リモートワークと一言で言っても、勤務先によってIT環境のサポートも仕事の進め方も違うはずだ。同じ会社に勤めていても、家族構成や家の広さで快適性は異なる。出勤している人も同様だ。これまでと違う対応を迫られ、神経を使う場面が増えているだろう。

 そんな働き方の変化がブラックボックスの外側にいる人間には、うまく伝わってこない。新型コロナウィルス感染症は、「場」の共有を破壊しただけでなく、場を形作るボックスの内側と外側の壁を厚くさせたと私は感じている。その壁を越えるには、なかにいる人、外にいる人が具体的にどう感じているのか、どうしたいと考えているのか、状況や気持ちを個々に聞いてみないと分からない。

 私のようなメディア業界にいる人間は、世の中にあるさまざまなブラックボックスの内側、あるいは外側の話を聞き、壁の反対側にいる人たちに伝えるのが仕事だ。そして、そのアプローチには、いろいろな手法がある。

「ハードボイルドグルメリポート」のヒリヒリする緊張感

 2020年5月11日発売の「AERA」(5月18日号)に掲載された「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の記事は、私に久々に書く高揚感を味合わせてくれた。「ハイパーハードボイルドグルメリポート」は2017年から単発的にテレビ東京で放映されている海外ロケ番組。企画したのは、ディレクターの上出遼平(かみで・りょうへい)さんだ。

 番組のジャンルは「海外グルメ番組」になるが、取材対象の地域や画面に映し出される食べる人たちが極めて「ヤバい」。日本人の渡航が珍しいアフリカの貧困国やアメリカのギャングの街、台湾マフィア、ロシアのカルト教団の村など、「普通」の観光客は避ける「場」と人ばかりだ。上出さんとスタッフのディレクターたちは、それぞれの地域にたった一人で乗り込み、取材対象者を探し出し、会話を重ね、食事のシーンを撮影していった。

 地上波での放送は終わってしまったが、番組はNetflixで見ることができる。本編も面白かったのだが、それ以上に私が引き込まれたのが、Youtubeの公式アカウントで配信されている動画だ。本編で使われなかった映像がスピンオフとして配信されている。上出さんが「つねにカメラを回していた」と言うだけあって、取材者との出会いから、親しくなり食事を共にするまでの様子がヒリヒリする緊張感を伴いながら映し出される。

 食事が娯楽化している日本の一視聴者として「ハイパーハードボイルドグルメリポート」を見たとき、なによりも教えられたのは、食べる行為が命に直結している、という当たり前のことだ。とくに、新型コロナウイルス感染症が流行して以来、これほど病に対して無力な状態に置かれ、「死」を身近に感じたことはなかっただけに、よりいっそう「食べること」「生きること」「幸せ」とは、心と身体がどういう状態にあるときのことなのだろうと考えさせられた。

2時間を超えた上出遼平さんへの取材

 今年3月、上出さんはロケの裏話を1冊の本にまとめ、出版した。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(朝日新聞出版)だ。これがまたぶ厚い。526ページもある。私の『久松農園のおいしい12カ月』も324ページで今どきの本としてはかなり厚いのだが、上出さんの著書はそれをあっさりと追い越している。上出さんが編集者に渡した時点で700ページ分の原稿があったそうだ。それを削りに削って500ページに。「編集作業が大変だったろうなぁ」と制作の裏側を想像してしまった。

 私の上出さんへの取材はSkype経由で行われ、2時間を超えた。それくらい聞きたいことがあった。「なぜ番組を企画したのか」「訪問国や取材場所の決め方は?」「取材者はどうやって見つけたのか?」など、制作に関することも知りたかったが、それ以上に私が知りたかったのは、上出さんの取材に対する姿勢だった。上出さんと取材者の関係がカメラのレンズがあるにも関わらず、とてもフラットだったからだ。かといって馴れ馴れしいわけでもない。

 取材は原則として一期一会だ。私たちは取材者にとって「よそ者」でしかない。相手の好意に甘え、話を聞かせてもらい、それを原稿なり、映像に加工し、広く伝えることを生業にしている。伝える価値のある情報と信じていても、取材が傲慢な行為であることをつねに肝に銘じておくことが必要だ。とくに「ハイパーハードボイルドグルメリポート」のようなシビアな環境で暮らす人たちの取材は、相手の暮らしに土足で絶対に踏み込まない慎重さが欠かせない。そう思っても、失敗することのほうが多いかもしれない。

 インタビュアーは短い時間で関係性を構築し、話を聞く環境を整えることを課せられる。「ハイパーハードボイルドグルメリポート」からは、取材する側とされる側の関係性が構築されたことが透けて伝わってきた。その予測は、上出さんの本が裏付けてくれた。それも、「取材を通して知り合い、一緒に食事をして笑顔で別れることができました、めでたし、めでたし」という表面的な関係ではなく、人と人が出会うことでスパークする一瞬の光のようなものが生まれていた。彼らや彼女たちが笑顔の裏に隠す負の部分もひっくるめて、上出さんが受け止め、同じ場に立ち、それでいながら、その場から離れた日本で番組にするためにもがいたことが伝わってきた。そこに私は好感を持った。

 上出さんは1989年生まれ。「ハイパーハードボイルドグルメリポート」は、入社して初めて通った企画だ。私は年齢を知ったとき、ちょっと驚いた。番組で見せる体当たりの取材は若さゆえの賜だが、相手との距離の取り方、会話のなかでもっと押すか、あるいは引いて相手の出方を待つのか、といった瞬時の判断が求められる取材センスが抜群だったからだ。

「ハイパーハードボイルドグルメリポート」 は、出版の人間がテレビ番組を見ているときに感じてしまう「言葉」の過不足がなかった。放送時間が長い番組ではないのに、編集も巧みで、「ここまでは伝えて欲しい」と視聴者が感じることが抑えられていた。また、過剰に押しつけてくる言葉もなかった。一視聴者として、そんな発見があったので、上出さんの年齢を聞いて、「どこで取材センスを身につけたのだろう」と疑問に思ったのだ。もちろん、これまでの取材経験で鍛えられたのだろうが、紙媒体的な取材センスを持っている理由が知りたくなった。

体の奥から生まれた言葉を慎重に扱う

 答えは私が取材をしている間、端々に現れた。上出さんは、「言葉」を慎重に扱う人だった。語る言葉の一つひとつに厚みがあり、上出さんの体を通して出てきたことがよく分かる血の温かみがある。「言霊」という言葉は、よくぞ世の中に生まれたものだと思う。言葉に魂が宿っているかどうか。ライターの仕事をすればするほど、音が伝える「意味」ではなく、その裏側にある魂を見たくなってしまう。言葉を支える肉体の核のようなものを掴まないと、話し言葉を書き言葉に移し替える作業はできない。取材中、私は感覚でしかつかめない、その人の核のようなものを求め、角度を変えていろいろな質問をするのだが、上出さんの言葉には、私が「これが見たい」といつも願う、人として美しい核があった。

 おそらく上出さんは相当な量の本を読んできたのだろうと想像している。取材時に確認してもよかったのだが、野暮に思えたので、あえて聞かなかった。しっかりと自分の血になり、肉になる本を読んできた人は、言葉を裏付ける厚みが違う。そのことを語る言葉のあちこちに感じることで想像はついたし、出版の片隅にいる人間として上出さんの読み方はうれしくもあった。また、上出さんが山歩きが趣味なのも、精神と身体を結びつける感覚を鋭敏にすることに役立っているのだろうと感じた。

「ハイパーハードボイルドグルメリポート」は不定期の放送であることと、新型コロナウイルス感染症の影響で、新作の放送は未定だそうだ。テレビも番組作りが難しくなっているだけに、「ハイパーハードボイルドグルメリポート」のような海外ロケはしばらく難しいかもしれない。

 とはいえ、上出さんはこれからの人だ。チャンスはいくらでもある。また、さまざまな経験を経るなかで、道に迷うこともあるだろう。だが、私は上出さんが言葉の力を大切にしてくれる限り、これからもいろいろな形でブラックボックスの壁を越えるような、ワクワクする番組を作ってくれると信じている。そんな未来を担う世代のテレビマンを取材することができて、私はとてもラッキーだった。

 自分でも不思議に思うのだが、社会が不安定になったとき、私はその後の仕事の方向性が変わるような相手と出会い、原稿を書くことが多い。それも自分から動くというより、ふっと舞い込むような形で、だ。東日本大震災のときもそうだった。相手に何か影響が出るわけではなく、私自身の問題なのだが。現時点ではその読みが外れる可能性も大と思っているが、もしかすると、上出さんの取材がそうなるかもなぁ、とぼんやりと考えたりもしている。


『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(朝日新聞出版)

AERA2020年5月18日号(上出さんインタビュー掲載号)

AERA.dotでも読めます。

この記事は本当は紙の「AERA」で読んで欲しい。この虹の写真とタイトルの組み合わせは、雑誌ならではの格好良さだと思うので。タイトルは私ではなく、デスクがつけています。

Netflix『ハイパーハードボイルドグルメリポート』

Youtube公式アカウント

※イラストは、上出さんが「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の初海外ロケで出会ったリベリア人女性、ラフテーさんが食べていた白米とポテトグリーンのスパイススープ。食欲を刺激されました。「ハイパーハードボイルドグルメリポート」に出てくる料理は、どれもすごくおいしそうなので、やっぱりグルメ番組です。ああ、おなかが空いてきた……。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。