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鈴木おさむさんが次に押すスイッチへの期待と応援

ぼーっとMacに向かっていた木曜日の昼下がり。ペケッターを眺めていたら、驚くツイートが流れてきた。鈴木おさむさんが放送作家と脚本家の仕事を来年の3月末で辞めるという。若い人たちを応援する新たな挑戦のために、断筆を決断したというおさむさんの連ツイを読み、真っ先に思ったのは、「らしいなぁ」ということだった。

「週刊文春」で新しく始まったコラム「最後のテレビ論」にも断筆宣言の話が書かれているというので、すぐに手に入れて読んだ。ツイートの内容をもう少し詳しく書いたものだったが、「おさむさんらしい」という印象は変わらなかった。決断し、発表するまでとても迷っただろうし、悩んだと思う。それでも過去の自分から脱皮し、新しい道を切り拓こうとする潔さ、周囲への気づかいと感謝にあふれた断筆宣言の文章に清々しさを感じ、「私も頑張らなきゃな」と励まされた。

おさむさんに初めて取材したのは、2008年始め。オレンジページが発行していた雑誌の企画だった。初対面の印象は、今も忘れられない。

おさむさんは、原稿のキーになるような閃きのあるフレーズを挟みながら、誠実に答えてくれた。頭の回転のよさと着眼の鋭さは、さすが売れっ子の放送作家だなと思った。でも、私がそれよりすごいと感じたのは、揺らぐことのない善良さと人に対する深い愛情が言葉の端々に現れていたことだった。「こんなに信頼したくなる人は珍しいな」と思った。

芸能界やTV局、広告業界など、華やかで猥雑とも言える世界で働く人たちと接すると、相手が見せたい姿とその人が本来持っている姿にズレを感じることが珍しくない。相手に見せたい姿が肥大化し、本来の自分が飲みこまれているのではないかと思うこともある。関係性に濃淡のある多くの人と接するなかで、精神の摩耗を防ぐために、自ら意識して、あるいは、いたしかたなく起きる変態なのだと思う。

おさむさんは、そうしたズレを感じない人だった。「この人は何があっても、自分にとって大切な人を裏切らないだろうな」と思わせる善良さや誠実さが太くしっかりと根を張っていた。その源から湧き出る発想がTVやラジオ番組、脚本などの創作につながっているのだろう。おさむさんの作品には、人は裏切ったり、過ちも犯すやっかいな生き物だけど、それでも信頼し、愛すべき存在なんだよ、というメッセージが込められているものが多い。

初めての取材以降、私は何度もおさむさんに取材し、「AERA」の連載コラムをまとめた『テレビのなみだ』の編集にも関わった。つい先日も、「AERA」のラジオ特集で取材をしている。そんな極細でゆるっとした縁だが、初対面で感じたおさむさんの印象は、ずっと変わっていない。だから、今回の決断も「らしいなぁ」と私は思ったのだ。

おさむさんが作るTV番組や映画、舞台が見られなくなるのは淋しいけれど、これからどんな挑戦をしていくのか、楽しみにしている気持ちもある。また取材できることがあればいいなぁと思いつつ、これからのおさむさんに遠くからエールを送っている私なのである。

仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。