ビリー_ザ_キッド_真実の生涯

ビリー・ザ・キッド、真実の生涯―第15章

さまざまな家畜を強奪—ホワイト・オークス周辺での略奪—保安官の一団との戦い—ホワイト・オークスでの大胆な行動—バリケードを築いて包囲される—カーライルの殺害—さらなる逃亡

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ビリーの南下には特に重要なことは起きなかった。そして、フォート・サムナーに帰る途中、ビリーは、ビリー・ウィルソン、モース・デッドリック、パス・チャベス、イギニオ・サラザール、そして、セニョール・モアとともにインディアンのポニーを奪う目的で動き始めた。彼らはメスカレロ・アパッチ・インディアンの居留地に向かってインディアンから48頭のポニーを盗んだ。キッドは貪欲になっていた。奪ったポニーの中で30頭を自分の取り分にしてしまったという。 彼らはすべてのポニーをペコス川の上流や下流で中で売り払ってしまった。

上述の遠征は1880年2月にボスケ・グランデから行われた。5月、キッド、ボウディー、 プルーエット、そして、氏名不詳の同行者は、フォート・サムナーを出発して東の方角に向かった。ロス・ポーテルズの近くでテキサス州パンハンドルのカナディアン川沿いの牧場主たちのものである54頭の肉牛を盗んだ。彼らは牛の群れをホワイト・ホークスまで連れて行き、1頭あたり10ドルでトマス・クーパーに売り払った。

6月のある日、彼らはホワイト・オークスの近郊で盗んだ馬の群れを伴ってフォート・サムナーに戻った。

7月、彼らは、リンカンから50マイル(約80キロメートル)離れたシエラ・デ・ラ・キャピターナの麓にあるアグラ・アズルのジョン・ニューコムから牛の群れを盗んで、焼印を押して牧草地に放した。

夏の間、彼らはいくつかの襲撃を成功させた。 彼らはフォート・サムナーのメキシコ人の財産である10頭の役畜を奪い去って、他の20頭とともにラス・ベガスのジョン・シンガーに売り払った。メキシコ人はラス・ベガスの近郊でシンガーを捕まえて牛を取り戻した。

11月15日頃、キッド、オフォラード、トム・ピケット、そして、バック・エドワーズはアラモゴードにあるグレゼラチョースキーの牧場から8頭の駿馬を盗み、ホワイト・オークスの方角に向かって出発した。彼らは4頭をジム・グレートハウスに売り払って、2頭をシエネガ・ガチャに置き、残る2頭を自分たち用に取っておいた。この残る2頭のうち1頭は後にキッドが乗っていた時に銃弾を受けて倒れ、もう1頭はコヨーテ・スプリングスで捕らえられた。持ち主は殺された1頭を除いてすべての駿馬を取り戻した。

1880年11月22日夜、ホワイト・オークスの町の南西部に住むJ・B・ベルズの馬が誰かに持ち去られようとした。 翌朝、噂が広まって、町の近くにあるブレークス・ソー・ミルにキッド一味がキャンプしているという報告が保安官たちに届けられた。この情報を受けてウィリアム・H・ハジェンズ保安官補佐は、以下の市民、すなわち、ジョージ・ニール、ジョン・N・ハジェンズ、ジョン・ロングワース、ジェームズ・カーライル、ジェームズ・S・レドモンド、J・P・エッカー、J・W・ベル、そして、ウィリアム・ストーンからなる一団を集めた。この一団は時間を無駄にせずに無法者たちのキャンプを訪れたが、すでに放棄された後だった。しかしながら、彼らは痕跡をたどってコヨーテ・スプリングスの方向に追跡を開始した。ホワイト・オークスから5マイル(約8キロメートル)離れた所で一団は、町の方角に向かっているモース・デッドリックとW・J・ランパーに出会った。この男たちはキッドの友人であり仲間だと知られていた。保安官たちの一団とほぼ同時にその朝、ホワイト・オークスを発ったこともわかった。ハジェンズは、彼らが情報を伝え食料を運ぶためにキッドと合流しようとしているのではないかと疑った。こうした嫌疑によって彼らは逮捕された。

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