ビリー_ザ_キッド_真実の生涯

ビリー・ザ・キッド、真実の生涯―第13章

さらなる流血—バーンスタインの殺害—チザムに対する脅迫—馬泥棒—こけおどし屋が脅される—テキサスのパンハンドルへの旅—リンカンの牢獄—逃亡—キッドとジェシー・エヴァンズ、再び

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前章で詳述した破滅的な出来事の後、キッドはまだ動けそうな仲間たちを集めてリンカンの南部の山間に入った。そこから彼らは何度も襲撃を行って、ダウリンズ・ミル、インディアン管理局、タラローザ、そして、ペコス峡谷の近隣から馬とラバを盗んだ。やり方はいろいろで時にはメスカレロ族から数頭のポニーを奪うこともあった。彼らはますます大胆になって恐れることもなくインディアン管理局に近づいた。

1878年8月5日、彼らは馬に乗ってインディアン管理局の前に姿を現して、数頭の馬を淡々と盗んだ。バーンスタインという帳簿係が馬に乗って彼らを止めに行きたいと言った。キッドと仲間たちを知る人々から彼はその危険について警告を受けたが、それを気にすることなく馬に乗って大胆にも彼らのもとに向かってすぐに止めるように命じた。キッドのウィンチェスター銃からの銃弾が唯一の答えであった。哀れなバーンスタインはその無鉄砲さを命であがなうことになった。この紳士はユダヤ人であり準州でよく知られていた。彼はシュピーゲルベルグ・ブラザーズ社とマーフィー=ドーラン社に以前雇われていて、その縁故でインディアン管理局で働いていた。非常に優秀なビジネスマンであり優れた紳士であった。

ペピン保安官と一団は、血腥い7月19日の後、現役から退き、この郡では法律は完全に死文と化した。バーンスタインの殺害の直後、キッドはオフォラードとフレッド・ワイアット、ミドルトン、そして、ブラウンを連れて、ペコス川沿いのロズウェルの北方81マイル(約130キロメートル)にあるサン・ミゲル郡のフォート・サムナーに向かった。そこで彼らは合流を果たして、この歴史の最後の章まで一緒にいた。ボウディーとスカーロックは両方とも結婚していた。彼らのメキシコ人の妻たちは非常に献身的であり、彼らの運命に忠実に従った。ボウディーとスカーロックは、しばらくの間、リンカン郡に留まったが、頭がいないので姿を隠していた。その一方、キッドと友人たちは愉楽に耽っていた。彼らはバッカスとヴィーナスの神殿に足繁く参詣した[訳注:酒と女遊び]。彼らはフォート・サムナーに8月18日に到着した。9月1日頃、この5人の一団は、家族をサムナーに移そうとしているボウディーとスカーロックを助けるためにリンカンに向けて出発した。この作戦は特に何の冒険もなく達成された。

9月10日、キッドは3人の仲間たちを連れて再びリンカン郡に向けてサムナーを発った。今回は略奪を行うためであった。リンカンの東方8マイル(約13キロメートル)にあるボニート川沿いの牧場に住むチャールズ・フリッツ氏は、すべての紛争の間、マーフィーとドーランの忠実な友人であった。そして、彼の心地良い住居は常に友人たちに開かれていた。したがって、キッド一味は彼のことを良く思っていなかった。彼らはフリッツの牧場に赴いて18頭から20頭の馬を奪い去った。その大半は非常に価値が高いものであった。戦利品とともに彼らはサムナーに戻って、家畜をすぐ近くに隠した。

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