ビリー_ザ_キッド_真実の生涯

ビリー・ザ・キッド、真実の生涯―第17章

平原での追跡劇—キッドの「城」—ボウディーとの話し合い—メキシコ人のならず者—サン・ミゲルの保安官たち—カナディアン川からの増援

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私はフォート・サムナーとラス・カナディタスの間の地域ををよく知っていた。我々は気づかれずに牧場に近づくために平原を横切った。そして、小型望遠鏡で周囲の丘陵から[牧場を]観察できるようにした。牧場までまだ8マイル(約13キロメートル)の地点で我々は、馬に乗ってその方向に向かう男を発見した。彼はフォート・サムナーから12マイル(約19キロメートル)離れた別の牧場からやって来て、ラス・カナディタスに向かう途中であった。彼は我々から遠く隔たっていたが、すばらしい小型望遠鏡のおかげでトム・オフォラードだとわかった。私を除いて一団の誰も知らない丘陵の間を通り抜ける道があった。もしうまく通り抜けられれば彼を先回りできそうだった。それは「移動するには非常に困難な道」であった。その道は雑草が繁茂していて岩がごろごろしていたのでほとんど通れそうになかった。 我々は非常に苦労してその道を通って、オフォラードから300ヤード(約270メートル)以内の平坦な道に出た。オフォラードは我々の接近にまったく気づいていなかった。彼も我々と同じような状況にあった。彼は我々を見かけると、鞭と拍車で急かされた馬が走り出した。そして、走り出すのと同時にウィンチェスター銃が鉛の銃弾をすばやく激しく吐き出した。 我々は追跡したが、期待とは裏腹に彼に追いつけなかった。彼は風のように我々を残していった。後に彼は26発の弾丸を発射したと言っている。私は3回しか発砲していない。 私とともにいたのはロートンとミッチェルだけであった。その他の者たちは渡ることができない細流のせいで後方に取り残されていた。この銃撃戦によって、オフォラードの馬が大腿部に負傷したほかは双方ともまったく被害は出なかった。すばらしい走りを見せて馬の背で勇敢に戦ったオフォラードは、 牧場にたどり着いて警告した。我々がそこに着いた時、すでに鳥たち[無法者たち]は丘陵地帯へ飛び立った後であった。

我々は、オフォラードが牧場にたどり着いたかどうかわからなかった。もし彼がたどり着いていたら一味が待ち構えていて我々に戦いを挑んでくるかもしれなかった。だから我々は注意深く進んだ。ロートン、メイソン、マッキニー、そして、ロバーツだけが私と同行した。私は、ミッチェルを後方に戻して他の者たちを引き連れてくるように指示した。私は我々が持つ戦力を分けて家を攻撃するように提案した。私の意見は覆された。私の仲間たちは、残りの者たちが到着するまで待つように助言した。我々は牧場まで歩いて行ったが何の妨害も受けなかった。我々の用心はまるで馬鹿げたことのように思えた。我々が見つけたのはボウディーの妻とメキシコ人女性だけであった。メキシコ人女性は「恐怖から生じた悲嘆」で我々の到来を迎えた。しかしながら我々の労力はまったく報われなかったわけではなかった。我々は、グランデ川の駅馬車会社からモース・デッドリックによって盗まれてキッドに引き渡されたラバの群れを回収した。我々は4頭の盗まれた馬も確保した。

我々はフォート・サムナーに戻って一夜滞在した。囚人たちを監視していた護衛の任を解いて、キッドの牙城であるロス・ポータルズに向かった。キッドはいつもそこに盗んだ家畜を隠していた。そこはフォート・サムナーの東60マイル(約96キロメートル)にあって、新聞記者の記述によれば、その見た感じはまさに城であった。通路は許された者以外は通行不可能であり、敵には接近不可能であり侵入不可能であった。若き山賊がオリエントを上回る豪奢さに囲まれ、すばらしい衣装を着て、東洋のハーレムで最も美しい女性にも負けないような美女の愛を堪能しているというロマンスが伝わっている。おとぎの国のお城からその荘厳さを奪い、巧みに織り上げられたお話からロマンスを奪ってしまうことは残酷なことかもしれない。しかし、真実は以下の通りである。ロス・ポータルズは石切場にある小さな洞窟にすぎない[訳注:ロス・ポータルズの写真はこちら]。高さは15フィート(約4.5メートル)もなく、美しくなだらかな平原の景観を乱している。二つの清冽な泉が湧き出していて、少なくとも1,000頭の牛に十分な水を行きわたらせることができる。建物はない。馬囲いさえない。人が住んでいる痕跡は、馬を繋ぐ杭、いくつかの工具、そして、毛布の山くらいしかない。「それだけで他には何もない」。

ロス・ポータルズの近隣にキッドは約60頭の牛を持っていた。それらはすべて8頭を除いてアグラ・アズルのジョン・ ニューコムから盗まれたものであった。我々は2頭の成牛と子牛、1頭の二歳牛しか見つけられなかった。そして、キッドが家畜を15マイル(約24キロメートル)東にある他の泉に移したとその直後に聞いた。我々は食料を携行していなかった。洞窟の中で黴びた小麦粉と少量の塩を発見した。 我々は二歳牛を殺してそこで食べた。翌日、我々はキャンプ周辺を探し回ったがそれ以上、家畜を見つけられなかった。四日間の滞在を経てフォート・サムナーに戻った。

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