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ビリー・ザ・キッド、真実の生涯―第2章

最初の馬泥棒—相棒を見つける—略奪品のために3人のインディアンを殺害—アリゾナの花形ギャンブラー—トゥーソンでの愉快な生活—インディアンとの競馬—全財産を失う—窮地—フォート・ボウイの殺人とアリゾナからの逃亡—オールド・メキシコ

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これから我々はアリゾナに逃亡した者[ビリー]の後を追う。アリゾナ準州における無鉄砲な犯罪行為は、昔からの住民にとってお馴染みの話だが、詳細について追うことはできず、正確な日付もわからない。彼の無効行為の多くは歴史記述や伝説から抜け落ちているだろう。法廷、インディアン局[訳注:インディアン政策を実行する連邦政府の機関]、駐屯基地などの記録、官吏や市民からの報告によって、彼の最も顕著な業績に関するすべての情報を獲得できる。こうした報告は、後年、暇な時間を過ごしている時にビリーが仲間達に対して語った断片的な言葉とぴったり符合する。

ビリーが初めて彼の手を血で染めて故郷を逃げ出した運命的な夜の後、彼は3昼夜、さまよったが1人のメキシコ人の羊飼いを除いて誰とも会わなかった。メキシコ人と同様にスペイン語を流暢に話せたおかげで彼は、この少年[羊飼い]からちょっとした食料—トルティーリャ[訳注:メキシコのパンケーキの一種、トウモロコシ粉をこねて円く薄く伸ばして 鉄板で焼く]と羊肉をせしめた。彼は徒歩でアリゾナの境界まで行こうとした。彼は道に迷ってぐるりと回ってしまってマックナイト牧場の近隣まで戻った。そこで彼は初めて馬を盗んだ。

次に我々がビリーについて聞いたのは、彼がシルバー・シティから旅立ってから3週間後のことである。彼はアリゾナのフォート(当時はキャンプ)・ボウイ[訳注:キャンプ・グラント]に仲間とともに到着した。2人とも荷鞍[下図参照]とロープのおもがい[下図参照]をつけた背中を痛めたポニーに跨がっていた。彼らの間には25セントもなく、一口の食料の蓄えもなかった。

ビリーの相棒は、法的所有権がある名前[訳注:正式な名前]を明らかに持っていたが、彼は名前を変更しなければならず、正しい名前に戻ることは不可能だった。ビリーはいつも彼を「エイリアス[訳注:「別名」の意]」と呼んだ。

ビリーの相棒の気力と財産権に関する特別な発想[訳注:盗んで何とかするという発想]のおかげで、困窮した状況は続かなかった。フォート[・ボウイ]で彼の衰弱した身体を回復させた後、彼と相棒は、兵士から拝借した不良品のライフル1挺とピストル1挺を持って最初の無法な襲撃に(ポニーを捨ててしまったので)徒歩で出発した。

よく知られているように、フォート・ボウイはアリゾナ準州ピマ郡にあり、チリカワ・アパッチ・インディアン居留地にある。この当時、こうしたインディアンは平和的かつ温厚であり、彼らの中に身を委ねても何の危険もなかった。フォート・ボウイの南西8マイル[約13キロメートル]から10マイル[約16キロメートル]にある山脈を抜ける道でビリーと相棒は3人のインディアンに出会った。アパッチ族の大半はスペイン語を話したのでビリーはすぐに安らげた。彼の目的は乗馬を自分と相棒のために入手することであった。彼は議論を吹っかけたり、甘言を囁いたり、支払いを約束したり、彼の鋭い頭脳が思いつけるあらゆる手段を試したが、すべて無駄だった。白人に対するインディアンの信頼は、インディアン監督官のクラムのせいでひどく損なわれていた。

ビリーは、この企てに関して曖昧な説明しかしていないが、推量の余地を許さないような断固たる調子で以下のように言った。

それは選択の余地がない状況だった。ここに12頭のすばらしいポニー、4つ、または5つの鞍、最高級の毛布、そして、毛皮が5梱あった。ここには3人の血に飢えた野蛮人がいて、こうしたすべての高級品を持ちながらも、足を痛めて腹を空かせた自由民の白人アメリカ人2人を助けようとしなかった。略奪品は持ち主を変えるべきであった。他に選択肢はない。そして、1人の生きたインディアンは100人の合衆国軍兵士を街道に2時間も張り付けておけるが、1人の死んだインディアンはきっとそのようなことはできないはずだ。我々は決意を固めた。3分間で3人の「良いインディアン[訳注:死んだインディアンの意、「善良な唯一のインディアンは死んだインディアンだ」という有名な言葉がある]」がそこに横たわり、[私は]ポニーと略奪品を持ってそそくさとその場を去った。戦いはなかった。これまでで最も楽な仕事だった。

インディアンの殺害に続く数日間の若き略奪者達の動向はわからない。 フォート・ボウイから数百マイル離れたテキサス州からの移民達に余分なポニー、装備品、毛皮を彼らが売り払ったこと、そして、彼らが華麗に馬に跨がって、武装して、ポケットにお金を入れて居留地へ戻ってきたことが知られている。彼らはフォート・ボウイ、アパッチ・パス、サン・シモン、サン・カルロス、そして、近隣のすべての入植地の官吏や市民と最善の関係を築き、トゥーソンで多くの時間を過ごした。ビリーのトランプ賭博[訳注:原文では「monte dealer and card player」、モンテとはスペイン起源のトランプ賭博の一種、下図参照]の腕前のおかげで、2人の少年はそこで豪勢に暮らすことができ、当時、アリゾナで非常に強力で影響力があった賭博師達の間で羨まれる存在になった。

インディアン殺害の件についてもし当局が何か知っていたとしても、それに関して何もなされなかった。インディアンが亡くなったことを残念に思う者は誰もおらず、 違反者を訴追するためにお金が投じられることもなかった。

街での静かな生活に退屈したビリーは、相棒とともに再び路上や山道に出た。ビリーの最も悲劇的な冒険でさえも一連のユーモアが常にあった。サン・シモンの近くで8人か10人のインディアンの一団に会った若き2人は、競馬を持ちかけた。ビリーは非常にすばらしい四足獣[馬]に乗っていたが、相棒が乗る劣った四足獣にインディアンが持つ最良の馬を競わせることで賭けの倍率をつり上げた。また彼は、相棒が賭けの対象であるお金とリボルバーを保管すべきだと主張した。

ビリーが馬で駆けることになった。ビリーが相棒の馬に乗り、合図が出され、3頭ではなく2頭の馬がスタート地点から飛び出した。インターローパー[訳注:「出しゃばり屋」の意]がビリーの相棒となる乗馬である。彼は気性が荒い四足獣を抑えきれなかった。四足獣はコースからはみ出し、はみ[下図参照]を歯で咥えて制御を拒み、即席のコースから数マイル離れた人気のない牧場に入るまで決して暴走を止めようとしなかった。

ビリーはレースに負けたが、誰が勝者だったのか。 ビリーの相棒が賭けの対象になった物をすべて持って、岩がちの道を小石をはね飛ばしてながら視界から消えて追跡の手が及ばない所へ去った。ビリーの流暢なスペイン語の語学力、言葉と身振りによる説得力、あどけなく無邪気な者が持つ最も甘やかで魅惑的な表情のすべてを使って、自分がこの中で一番の敗者であるだけではなく、自分が裏切り者の背信行為—インディアンのとって最も憎むべき恥ずべき行為—の犠牲者であると、粗野で道理が通じない野蛮人を納得させなければならなかった。

彼はすべてを賭けてすべてを失ってしまったのか。損失は6人[ビリーとインディアン達]に分散されたとはいえ、彼は、びっこのロバにも勝てそうにもないくたびれたポニーを除いて馬、武器、お金、友人、人間に対する信頼を失った。

見目良い若者が巧みな言葉と身振りを交えて悲しみと正当な怒りを示しながら、世間知らずで騙された者のように振る舞えば、アパッチ族が相手であろうともその心を動かせなかったはずはない。彼に同情した犠牲者達[インディアン]から慰めと励ましの言葉を受けたビリーは悄然と[ポニーに]乗って去った。それから2日後、そこから100マイル[約160キロメートル]先で逃亡した友人とまじめくさって戦利品を分けているビリーが見られたはずだ。

ビリーがアリゾナで犯した最後にして最凶の行為は、フォート・ボウイの兵士の鍛冶屋の殺人である。この殺害の日付と詳細は記録に残っておらず、ビリーはいつもそれについてほとんど言及しなかった。それに関して相反する多くの噂がある。ビリーを弁護する者達は、犠牲者は暴れ者であり、トランプ賭博でビリーがまともに勝ち取ったお金を渡そうとせず、髭も生えそろわぬ少年に襲いかかろうとして自らの運命を没落させたという根拠で彼のことを正当化する。1つだけ確かなことは、この行為のせいでビリーがアリゾナから逃げ出すはめになったことである。彼のことについて次に聞けたのは、メキシコ共和国ソノラ州においてである。

3章に続く

ソノラでの賑やかな暮らし—ホセ・マルティネスの殺害—窮余の一策—鋼鉄のような神経—命を賭けて—会心の一撃—沈着冷静—命懸けの騎行と幸運な逃亡

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