もあさんの記事をきのさんに紹介したくて書いた記事
もあさんからすれば実に戸惑ってしまうタイトルだろうな、とは思いますが、なんだかんだいって状況を察して許してくれるだろうと期待し、この記事を書きます。どうかお許しください。一年以上続いているnote上の付き合いに免じて。(この言葉、本記事内であと三回は唱えます笑)
きのさんはnote上のアカウントにまとまったプロフィール記事を載せてくださっているので、私から説明をする必要はないと思うのですが、もあさんは今、そうした記事を目立つ場所に公開されていないようですので、私から少し語らせていただこうかと思います。こんな不遜なことをしてしまって申し訳ないな、と心から思うのですが、一年以上も続いているnote上の付き合いに免じて、どうかお許しください。
もあさんは地方の中高一貫の進学校に通うのを、きのさんと同じ14歳でやめました。理由は成績不振でもコミュニケーション不全でもありません。むしろ彼女はそうしたことが得意な生徒でした。これは私の見解になるのですが、もあさんも、きのさんも、おそらくはある種の能力が高すぎるがゆえに集団内で少数派にならざるをえず、居心地の悪さや疎外感を覚えずにはいられなかったのではないかと思います。(誤っていたらごめんなさい。)
その後、もあさんは三年生の間、ほとんど登校しないまま中学を卒業し、通信制の高校を経て都内の大学に進学しました。そして、その大学を設立以来、最優秀の成績で首席卒業し、今年から一人前の社会人として所得税や年金をきっちりと納めつつ働いてらっしゃいます。以下、そのことに関する記事です。
私はもあさんのことを、心の中で勝手に「体当たりのもあさん」とお呼びし、尊敬しています。あらゆる問題に真っ向から立ち向かって考え抜いているように思えるからです。もちろん、人間、少しくらいは逃げますし、嫌なものから目をそらしたりもします。それでも彼女は「自分は今、逃げてる」という自己認識からすっかり逃れることができるほど鈍感にはなれず、ともすれば「この記事はフィクションです」という自嘲的なタグを隠れ蓑にして踏み込んだ内容を書いてしまいます。私の拙い人間観察から得られた知見を申し上げれば、普通の大人はもっと保身が上手で、卑怯です。(私を含め)
そんな彼女は大学時代、あまりにも意欲的な生徒で、また聡明でもあったため彼女の卒業後、大学に取り残された教授たちは「もあさんロス」に陥り、その悲嘆を訴える声ははるか銀河を隔てたクリプトン星にまで届いたとのことです。こんなふうに書くと、いかにもビン底の分厚いメガネをかけた、すっぴんのガリ勉優等生を思い浮かべてしまうかもしれませんが、実際の彼女は膝丈よりも短いスカートを履き、指先にはピンク色のジェルネイル、明るい色をした長い髪にミニー・マウスのカチューシャをつけたいわゆるギャルで(ミニー・マウスのカチューシャ、というのは私なりの誇張表現であり、小説を書く人間の罪のない嘘です。ごめんなさい^^;)、美容室では小難しい仏教入門書や哲学書なんかを膝の上に開いて読み、イケメンの美容師さんに「見た目とのギャップがすごいっスネ」と言わしめてきたらしいです。とてもかっこいいです。憧れます。
さて、もあさんについて語るという不遜な試みはこのへんにしておきます。繰り返し、もあさんには謝っておきます、ごめんなさい。
私自身もまた、中学三年生あたりの時期で深刻に悩んだことがありました。きのさんの独創的な表現を拝借すれば、「大人で毎日、保育園で鳩ポッポ」に耐えられなかったわけです。それでも私には「家」という帰る場所がなかったので死にそうになりながら無理して鳩ポッポを続け、その結果誰よりも上手に鳩ポッポできるようになり、一方で自尊心を損なっていきました。
そんな風に私は弱さゆえに鈍感になろうと努め、そして実際に鈍感になってしまったことを悔しく思います。一方で、そうした鋭敏さを保ちつつ、日々に体当たりするもあさんや、きのさんの記事に勇気づけられてもいます。この世界にはこんな人も(数は本当に少ないけれど)存在するのだ、と。そして私もまた「自分で自分のことを認められるようになるまで頑張ろう」と思います。ずいぶんと多くの時間と手間がかかりそうですが。
そんなわけで、本日はもあさんの記事をきのさんに紹介する記事を書かせていただきました。最後までお読みいただきありがとうございます。