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タスク管理の観点からみる「清濁併せ吞む」ことのススメ【ユタカジン】

 おはようございます。今日も今日とてタスクシュート、ふぃるです!

 私たちはつい「きれいである」「良いことである」と言われることばかりを続けていけばよい、続けていきたいと考えがちです。

 そういっている私自身がそう考えている時があると感じるくらいです。

 ですが、その思考はとても自分を追い詰めていく、苦しめてしまうことに気付いていますか?

 今日は、「清濁併せ呑む」ことのススメについて、お話してきましょう。


誤用しがちな「清濁併せ呑む」

 ことわざの「清濁併せ呑む」は、良く誤用されがちなものでもあります。

 今回の肝となる言葉なので、きちんと辞書を使って定義しておきましょう。

【清濁併せ呑む:せいだくあわせのむ】

心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ。

(引用〈小学館 デジタル大辞泉〉より)

 こちらが本来の意味です。
 つまり、自分が善だと思っていることも悪だと思っていることも分け隔てなく受け入れることを言います。

 もちろん、絶対に受け入れられない悪もありますが、今はそれは置いておきましょう。
 今日の話のテーマは「清濁併せ呑むタスク管理」ですので、絶対悪が発生することはありませんから。

 清濁併せ呑むの由来は、どんな水をも受け入れる海です。
 川の底が見えるほどの透明度を誇る清流も、泥川の濁流もありますが、海は水が綺麗か否かで選別することはありません。どんなに濁っている水でも受け入れます。

 清濁併せ呑むという言葉は、このように清らかな水と濁った水を区別せずにすべてを受け入れる大海が由来となっています。
 情景をイメージしやすい、美しい表現です。

 また、清濁併せ呑むの出典については諸説ありますが、中国の前漢時代の歴史書の『史記』であるとされています。『史記』の中に「法令は治の具にして制治清濁の源に非ず」という記述があります。

 意味は「法令はあくまでも統治のためのものである。決して清濁を裁く物ではない」というもの。この文章が、清濁併せ呑むの語源であるという説が有力です。

 ちなみに、「清濁併せ呑む」のありがちな誤用例は、以下のようなものです。

  • 善悪両方を併せ持っているという意味ではない。この場合は、「清濁併せ持つ」ということわざになる。

  • 「酸いも甘いも嚙み分ける」とも意味は違う。こちらは人生経験が豊富で人の心の機微や世間の事情に通じていること。つまり、世の中の裏表問わずいろいろなことを経験してきて知っていること。

 さて、「清濁併せ呑む」の定義が終わったところで、タスク管理の観点から考えてみましょう。

「清濁併せ呑む」をタスク管理の観点から

 タスク管理における「清」と「濁」はどういうものでしょうか?

 いろいろな考え方はあると思いますが、一般的には次のようになるのではないでしょうか。

タスク管理における「清」

  • 遅滞なくタスクが完了している

  • プラン通りに完了している

  • 先送りがない

  • やりたいことが出来ている

  • やるべきことがすべて完了出来ている

タスク管理における「濁」

  • タスクが遅延する

  • プランを立ててもその通りに進まない

  • 先送りが発生する

  • やりたいことをやる時間がない

  • やるべきことが遅延したり先送られたりする

 これらはだいたいが表裏一体なので、片方に入ったらもう片方には逆の言葉が入りがちです。
 ですが、この通りに単純に二元論で語ってよいものなのでしょうか?

 私はそうは思いません。なぜなら、これらには周辺状況が一切考慮されていないからです。
 どのような状況であれ、自分は「清」のタスク管理ができるはずだ、と考えてしまうからです。

 この二元論はどんどん自分を追い込んでいきます。
 追い込まれた結果、自分の実力が発揮できなくなり、より自信を無くし、自分の成長を阻害して、色々諦めていく。そういう人たちを私は何人も見てきました。

 ですが、この誤った二元論から脱却できればまた実力を取り戻し、自信を取り戻し、自分を成長線に乗せなおして、色々始められるようになります。

 この二元論から脱却するために一番大切なポイントは、「タスクを片付たい」という意識から離れていくことです。

「片付けたい」意識が自分を苦しめる

 「タスクを片付けたい」と思っているとき、私達はとにかくそのタスクをこなして完了させようと考えています。

 この意識が自分を苦しめていると気づかずに。

 この意識の何が自分を苦しめているのかと更に分解してみると、完了させることにこだわっていることが一番苦しめていると気づけるかどうかに境界線があります。

 そもそも、そのタスクをなぜ完了させなくてはならないのでしょうか?

 色々思いつくことはあると思いますが、本当の意味で完了させなくてはならない理由は一つしかありません。

 そこまでに完了させると約束したからです。
 いいかえれば、約束した期限までに完了出来れば問題ないのです。

 ですが、私達は手を付けたタスクを完了させたいと考えます。
 それは、そこに沢山の不安があるからです。

 曰く、途中で止めて期限に終わらなかったらどうしよう。
 曰く、途中で止めたらタスクを忘れてしまう
 曰く、途中でやめたら収まりが悪い
 などなど。

 それらの不安は本当に発生するのでしょうか?
 それらの不安は対策することはできないのでしょうか?

 そんなことはありません。
 本当は、タスクを途中で止めて複数日にわたって完了させても問題など発生しませんし、むしろ、複数日にわたって完了させた方が最終品質が上がることまであります。

 ただし、途中で止めるには必須のルールが一つだけあります。
 それが、約束したことは絶対に守る、ということです。

絶対に守らなくてはならないことは何か

 絶対に守らなくてはならないこと。
 それは、他者と交わした約束です。

 いつまでに完了させる。こんな内容を追加する。何ページ以上作成する。何文字から何文字の範囲内に収める。

 約束には色々ありますが、これらの約束が守られていれば、それ以外の手段は本来問われません。

 期限内に終わりさえすれば、作業に何日かけても問題ないのです。

 この言い方をすると、他にもやることがたくさんあるからそんなに何日もかけてられない、という返事が返ってくることがあるのですが、そもそもそのタスクだけを何日もかける必要もありません。

 例えば1日1時間、3日前まで作業を繰り返してみて、3日前で進捗を確認して作業量を調整するとか。
 この辺りの時間感覚は人によって変わるので、今あげた時間配分が絶対正しいわけではないですが、このように作業を分割することは可能です。

 さらに言えば、少しずつでも手を付けておくことで、作業で難しい点が見えてきたり、翌日に悩んでいたことの答えが思いついたり、一日空けたことでより品質が上がるやり方が見つかったりすることもあります。

 これは、一日で仕上げようと集中しすぎている限り絶対に見えてこないものです。

 だから、私達は絶対に守らなくてはならない事だけ考えて、それ以外はタスクシュートに記録しておけばよいのです。

 一日何時間で、何月何日までとルーチンを設定すれば作業忘れはなくなりますし、毎日レビューしていく中で、もう少し時間を増やした方がいいな、など見えてくるものもあるのですから。

 だからこそ、私は、私達は、タスクシュートをお勧めし、その使い方を皆さんにお伝えしていきたいと考えているのです。

最後に

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