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拡張されたフィクション


近年インターネットでは実名性が推奨され、現実の拡張として扱われているところが目立つけれど、僕にとってインターネットは、『現実』と当てはめるより、『フィクション』と当てはめた方がなんだかしっくりくる。

時に、インターネットの深くまで潜っていると、びっくりするほど似ている人に出会う。

この間出会ったYは、先月1人で観に行った映画館が同じで、いま気になっているアーティストが同じで、この間友達といった美術展も同じ。生い立ちも少し似ていた。

お互い友達はそんなにいる方ではなく、どこか静かで、でも譲れない部分ももっていた。(僕にとってそれはコーヒー道であるように、Yもそれがあった。)

まるで、関係の長い幼馴染のようにYのことをスラスラと書いているけれど、僕の中にYという概念が生まれたのは、先月のこと。出会ってから3日間、帰宅しては電話をして、お互いのこと話し合った。

最近きにいったCDを貸す約束をし、最近気に入った詩を聴かせてもらった。


『仙谷高原の黄金のススキが見てみたい。』


この一言から2日後の木曜日、僕らは授業をサボって、新宿から高速バスにのり、16時に仙谷高原のバス停に降りたつことになる。

一面真っ白だ...

自分の身長より高いススキは、風が吹くとサワサワと気持ちの良い音を立て、だんだんと落ちていく日は、絵に描いたような景色を創り上げていく。

あの空間は、限りなくフィクションに近かった。とても現実とは思えなかった。

僕らは1時間くらいススキの上に寝そべりながら、たわいない話をし、帰路に着いた。


それからYとは、あまり連絡をとっていない。

そういうところも似ていた。


時に、インターネットは現実に拡張して、僕ごと飲み込み、フィクションをつくりだしているのかもしれない。

この話が現実だったかどうかは、僕とYにしかわからないんだ。



それでは、また! じゃっくでした。


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