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琉球独立は夢ではなく、現実になります。#2

琉球独立は夢でも何でもなく、現実になります。


琉球独立を考える本の表紙

前文部科学事務次官で安倍政権の嘘を糾弾した前川喜平さんなど、大和ん人(やまとぅんちゅ。日本人)の有識者と、琉球人の松島さんを加えた4人が『琉球独立を考える』と言う本を発刊します。

日本の行政の中枢を担った方や、大学の名誉教授など、琉球人ではなく、大和ん人が琉球独立を支援しています。

もう、こう言う時代です。

沖縄県と言うのは日本の植民地であり、本来の琉球国を復国させるのは歴史を考えれば当然の帰結です。

琉球人の皆さん、琉球人は決して日本人ではありません。

つまり沖縄県民というのは本来琉球人であり、おかしな呼称です。

この事実を認識しない限り、米軍は琉球人に今後もやりたい放題できる、日米地位協定という名の嘘のルールを振りかざし、犯罪を犯し続けることでしょう。

この米軍基地が置かれる元凶は薩摩の侵略した1609年からだといえ、その薩摩の侵略後、1871年まで琉球人はほとんど何も抵抗することなく薩摩に支配されます。

しかしながら、270年近く薩摩に支配された琉球人は明治維新により、薩摩の支配から一時的に解放される事になります。

徳川幕府から明治政府になったので琉球人は祝いに来いと言われ、仕方なく行くと、東京で薩摩の支配から解放すると言われました。

それならば奄美諸島も返して欲しいと伝えると、協議すると言われました。

それを聞き入れられたと思い琉球役人は東京で夜も寝られないくらい喜んだそうです。

けれども今度は薩摩にかわり、明治政府が1872年より琉球国を支配すると言いだし、支配する際には、琉球国ではなく日本の領土として琉球藩にすると言いだしました。

その要求はエスカレートし今度は琉球藩ではなく沖縄県と名称を変更し日本の一県にすると一方的に通達してきました。

もちろん琉球人のすべては反対し嘆願に次ぐ嘆願を繰り返しましたが、まったく聞き入れられません。

あろうことか琉球人の抵抗に怒った明治政府は1879年3月27日に首里城を占拠しました。

その後4月4日に勝手に沖縄県を設置したと布告します。

そして5月には拒む尚泰王を東京に拉致しました。

その後、日本は沖縄県を設置したので早く行政につけと琉球役人に通達しますが、すべての琉球役人の反対にあったので、怒った日本の軍隊は琉球役人のおよそ300人余りを首里にて拷問します。

それに屈した琉球役人は沖縄県に強制就業させられます。

上記の歴史は琉球側の第一級資料である『琉球見聞録』(喜舎場朝賢 大正3)に詳しく書かれています。

琉球役人拷問事件についての詳細を書きましたので下記リンクからお読みいただければと思います。

なぜこんな大事件を我々琉球人は知らないのでしょうか?

それは日本から見る歴史観しか学校教育では学べないし、マスメディアも日本に不都合な歴史にはほとんど触れないからです。

そうするとますます我々琉球人は本当の歴史を知ることができないという状況になり、現に上記歴史をきちんと知ることができる琉球人はかなり少数だといえるのが現実です。

だからこそ琉球人は沖縄県民だということに対して違和感を持たないのです。

日本人側から見る歴史ではなく、琉球人側からみる歴史を知ってもらいたいです。

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