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国際人種差別撤廃デーに祈ることの背後にある109回を超える祈り会

今、働いているマイノリティ宣教センターで国際人種差別撤廃デーについて学び、さらにこの日を「合同祈祷」の集まりを持って心に留めていこうというプログラムが今年で6回目になる。コロナのためにオンラインビデオだけが配信されたり、ハイブリッドでなされたりという怒涛の3回を考えると、実際の対面での活動は2回、そして今回は思い切って完全オンライン。
この日にあったことを知り、今ある人種差別から目を逸らすことなく、それを止める、やめる、具体的には差別禁止法を制定し、法的にも、そして日常生活レベルで、「これはもういい加減やめてください」を堂々と言いながら、生きていきたいというような結構素朴な思いで私は関わってきた。
「合同祈祷」になっている経緯は私の理解では市民運動の中でもこの日は集会がもたれるがその仲間たちとキリスト者の信仰実践の一つになっている「祈り」との重なり合う部分のことを指して「合同」と言っているのであって、何かをいっしょくたにするとか、同時にするとかそういう意味ではないということだと思っていた。
これは第一回目が構想されるときに実際に話し合われていた。実際は1回目のような準備はもう、今の状況では無理だと思う。私はバイト状態で、全ての日々をそこに費やせないモヤモヤやそれだけでは生活が立ち行かない現実にぶつかっている。ここはもう三つ巴のぐちゃぐちゃである。

ちゃんと伝えられていないということもわかってきた。

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