昭和のプロレスの思い出
未知の強豪
昭和の新日本プロレスで、猪木さんと藤波さんに魅せられてプロレスファンになったおじさんです。
昭和のプロレスと令和のプロレスの大きな違いは、情報が常にリアルタイムで入ってくる令和と違い、昭和はインターネットなどなかったので、情報は
テレビ中継とか雑誌や東スポが情報源でした。
シリーズ終盤のテレビ中継では、次期シリーズに来日する外人選手の情報が流されていました。そのなかで良く出てきた言葉が「未知の強豪」です。
その言葉を信じて、次期シリーズに来日するのを胸をワクワクさせてました。
期待通り いや期待以上だったり、期待外れだったりしましたが、来日するまでは楽しめました。
海外武者修行
令和のプロレスでも、海外武者修行に出る若手選手がいますが、
昔は、島流し的な事も有った様ですが、若手選手にとってはチャンスでもありました。
そして海外武者修行に旅立った選手の情報は、中々入ってきませんでした。
時々は入ってくる情報で、「〇〇選手が△△王座奪取」などの修行している先で王者になったとの情報は嬉しかったです。
凱旋帰国
修行先で王者になった選手が、帰国したときは大きな話題になりました。
私はリアルタイムでは見てませんでしたが、藤波辰巳(現:辰爾)さんは
ニューヨークのマディソンスクウェアガーデン(以下MSG)で世界王座を獲得しての凱旋帰国は大きな話題になり、ドラゴンブームが起きました。
プロレスに魅了された
私がプロレスに魅せられたのは、父親と見ていた時に、海外で王座を防衛している藤波さんの姿を見て「この人が猪木さんの後継者か!」と思っただけでしたが、気が付くと私は、テレビでプロレスを見ている単なる視聴者から、プロレスファンへと変化(進化)していました。
それは、藤波辰巳と云うレスラーに魅了されたからです。
藤波さんを見ていなかったらプロレスをここまで長くファンでいなかったと思います。