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#15ソウシェリフ選手インタビュー

高さ、スピードを兼ね備えたファイティングイーグルス名古屋のフォワード、ソウ シェリフ選手。アフリカ西海岸のセネガル共和国から日本の高校、大学に進み、大病を乗り越え、日本国籍を取得した28歳だ。特別指定の土家大輝選手のインタビュー(https://note.com/fightingeagles/n/n31a9628e4b25)で「愛されキャラ」のエピソードも明かされたように、チームの雰囲気作りにも一役買っている。

■自分は大阪人

 「去年からいじられるキャラになってしまったんです(笑)。以前はそうでもなかったんですけど。先輩たちが若手に『ちょっとソウにタメ語でしゃべってみてよ』みたいな感じが多いかなあ。でもまあ、うれしいです。愛されてるっていう証拠じゃないですか。外国籍のフィッツ(アンドリュー・フィッツジェラルド選手)も、みんながいじっているからオレもって感じで。ヘッドコーチまでたまにいじってくる。愛されている証拠ですね」
 「大阪にある近畿大学に通ったんですが、こうやっていじられたりするのも、たぶん大阪で生活したからこそ理解できるんじゃないかなと思いますね。自分は大阪人だって言っているんです。大阪が好きなので。静岡の沼津中央高校から大学へ進むときに先生から、向こう(大阪)の人はこっち(静岡)の人とちょっと違う、こっちはおとなしいけど、向こうはお笑いとかそういう冗談が多いって言われた。楽しかったです」

■お兄ちゃんがいるから安心

 「セネガルの首都ダカールから70㌔くらいのところにあるティエスの出身です。国内で2番目か3番目の街。バスケットボールを始めたのは中学校のころですね。元々はサッカーをやっていた。セネガルの学校は勉強優先。スポーツは学校とは関係のないクラブチームでするんですが、僕は毎日午後5時くいらいに小学校のグラウンドにみんなで集まって試合をやっていた。グラウンドのすぐ隣にバスケットのコートがあったので、中学校へ入る少し前からサッカーが終わった後に遊びでやっていた。身長が高かったんで、友達からバスケやった方がいいんじゃないかと言われて、とりあえず両方やってて、日本へ行くことになったからサッカーをやめたんですよ」
 「日本に来たのは2009年5月。バスケットボールのセネガル代表だったドンゴさんがいたんですよ。オーエスジー・フェニックス(現三遠ネオフェニックス)でプレーしたことがあって、たぶんその時に交流を作ったんですよ。セネガルの若者たちが日本へ留学できるようにできないかなって。そこから始まったんですよ。ドンゴさんからオファーが来るんですよ。日本で勉強したいか?バスケも一緒に、と。僕も声をかけられた。6歳上のお兄ちゃんがいるんですよ。岡山学芸館に留学して、今は岡山のナカシマプロペラという実業団でプレーしていると思いますけど。お母さんと相談して、お兄ちゃんもいて安心だから行ってもいいんじゃないかと言われたんで。平和やし、お兄ちゃんの写真を見てフレンドリーだと伝わってきていたんで、行きたいとなりました」
 「最初はたいへんだった。食べ物に慣れていなくておなかをこわした。ほぼすべてだめでした。僕らは白いご飯をそのまま食べないんですよ。必ず上になにかかけます。カレーみたいなのとか、タマネギソースとか。日本はそのまま食べるんで、最初は食べられなかった。あと練習がしんどいんですよ。日本の高校の練習はしんどい。朝練で走ったり、山を登ったり。早く起きるし。帰りたいって思ったことはあります。来るときにドンゴさんから、日本は身長が小さいからバスケが速いよと言われて、なにがあっても絶対辞めるなって、言われていた。でも1カ月、2カ月で慣れてくるんですよ、体が。試合も始まるし、楽しくなってくる。日本に来た2カ月後にインターハイがあって、福岡第一のイブラヒムとかが出ているのをテレビで見ていた。僕らはまだ弱かったんで、友達と見てて、ソウ、オレら2年後とか1年後にここでやろうよみたいなこともけっこう言われて、留学生だから責任もちょっと感じたんですね。チームを引っ張っていかなあかんって。みんなでがんばって、最後のウィンターカップでは3位になりました」

■感謝しかない

 「今、こうやってバスケットボールを続けていられることには感謝しかない。4年前に髄膜炎になった。命を落とすかと思うくらいのひどい病気だった。奇跡。自分の中では奇跡だと思いますね。言われた瞬間、どんな病気か分からなくて、調べたんです。調べたけどあまりいい結果が出てこない。先生からは、早めに分かった、それで助かったと言われた。チームは病気になった時にバスケットとか考えずにとりあえず治して、と言って支えてもらった。結婚して、子供が生まれて2カ月か3カ月くらいだったんですよ。まだ赤ちゃんです。そういう時に重い病気にかかってしまったんですよ。奥さんにも感謝しています。今、新型コロナウイルスで仕事をなくしたりとかたいへんな中で、自分たちがバスケットをいい環境でできているのも感謝するしかない。文句や言い訳をせずに、バスケットができることを喜んでいる」
 「2年前に日本国籍を取ったのはうれしかった。日本のパスポートを取るには自分の国の国籍を取り消さないといけない。パスポートもIDも全部国に返して、大統領の手で取り消しのサインもしてもらわないといけない。国を捨てた感じでつらかった。でも、そういう人生だから仕方ないなあと思います。自分の第2母国だし、日本国籍でも、セネガル国籍でも、自分にとっては関係ない。小学生のころ、先生になりたかった。セネガルで先生という職業は国のために働いているから安定している。数学が得意だったし、地理も好きだったんで、できればそういう教科の先生になりたいなと思っていました。多くの人は、こうしようと思っても全然違う道に進んでしまったりする。人生はだいたいそんなもの。日本に来たのは正解だったかなあと思っています。日本人と結婚するとかも一度も考えたことなかったんですけど、日本に来て結婚もして恵まれていると思います、僕は。すべて日本に来たのがこういう道を開いたんで」
 「人間的に成長できたと思います。日本に来て。世界トップの国なのでいろんなことが学べるし、バスケもできて、自分の親にも恩返しできている。安定した生活もできている。日本でもアメリカでも、海外へ行ったからだれでもできると決まっているわけではないので。アフリカの留学生が日本に来て、失敗してうまくいかない人もいる。それはもったいないと思う。来る前に、日本はどういう文化なのか、なにをやっているのか、ちゃんと教えて、行きたいか行きたくないか向こうでしっかり考えてから来るようにしないと。毎日学校へ行かないといけないし、朝練もあるし、いろいろしんどいことがあると知らずに来て、うまくいかないと帰されちゃって、人生がパーになってしまう。将来、引退したらそういうことを手助けする道につながればなあと思います」

■エナジーが大事

 「今シーズンの自分のプレーには満足していないです。ジェロウム・ティルマン選手は3番ができるんで、自分は4番としてフィッツジェラルドとかベン(ベンジャミン・ローソン選手)と3人で出られている。去年と比べたらプレー時間は延びたかなあ。たぶん泰三さん(川辺泰三HC)も使いやすくなったと思います。でも、うまくいかない時がある。特に3人がいるとスペーシングが悪いんで、そこを改善して、アウトサイドのシュートも確率を上げたい。そうするとスターターとして使われる可能性もあるんじゃないかなと思います
 「チームとしても、正直言って自分たちのミスとかで落とした試合もいっぱいある。今の時点で1位になっていてもおかしくないと思う。週末の連戦で、土曜に20点差、30点差で勝ってても、次の日は別のチームとやっているような感じがあった。自分たちがスカウティングされて、それを克服せずに自分たちではまってしまい、ずるずる40分間過ぎて、最後に2点差で負けたりする。本当に悔しい負け方になっているんですね。ツイッターでファンの方から土曜の夜に、また明日はどうせ負ける、とか書かれたりすることもあるんですが、それは『明日は負けないようにがんばってください』というメッセージ。それを見て自分たちも努力してがんばっているんですけど、なかなか勝利につながらなくて。今後はプレーオフに向けて修正していけたらいいと思います」
 「泰三さんから言われるのはエナジー。常に自分のすべてを出し切れと。スカウティングで読まれて終わりというのじゃなくて、読まれても絶対必ず違うプレーができるんで。そこも判断して思い切り攻めようと。エナジーの部分は僕も思います。1人でも2人でもエナジーを出し切ると、ほかの人もそれを見て一緒にがんばろうとなるんで。うまくいかない時間帯にコートへ入って流れを変えられるようなプレーヤーになりたい。スピードがあるんで。優勝を目指してがんばります」

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