戸田真琴さんの写真展 ~星の欠片に~

12/17

通販で買ったつば付きニット帽が気に入って、ウキウキの週末。
白いダリアを買って会場へ。

果たして、僕らは戸田真琴さんに「失恋」というほど恋をしていただろうか。そうでないなら今日ここで、ここから恋も失恋もやろう。
・・・無理だ。失恋という言葉は、失った恋のすべてを忘れられない僕の傷をかきむしり、新たな血と痛みをもたらす。

館内には川のせせらぎのような音も流れていて、眠れない時に水の音を聞いている僕にはとても安らげる空間だ。これだけでも来てよかった
時間ごと写しとったかのような写真たち

戸田真琴さんは、こんなにも僕らを挑発していたのか、と驚く。
問われていたのかもしれない。

ワタシが見える? ワタシはどこにいる?アナタの目に映るワタシは、本当にワタシですか?

つかまえてごらん? こっち、こっちだよ?ほらほら、そんなところにワタシはいませんよ?

アナタには「ワタシ」が、本当に見えていますか?

(イメージ)

そうだよな、ずっと僕らは戸田真琴さんに挑発され、問われていたんだ。そんな風に納得できた。
答えを出せずにいる僕らを置いて飛び去っていく、のだろうか。

ついてきてごらん? 見えなかったものが見られるかもよ?

(同)

さらに挑発されているようにも思える。
戸田真琴さんに挑発され翻弄される日々というのは、実はかなり充実感のあるものだ。

デビューしたての頃なのか、今の姿に比べれば〈幼い〉とも言える写真を2枚お迎えした。

泣いているのか訴えかけているのか、そんな表情の全身。
あまりにも「ただ、そこにいる」でありすぎて気に入った。

思わず吹き出したような、あるいは照れ笑いのような、伏し目の笑顔。
不思議なくらい緊張感がなくて、いつも「私の好きな私を見てほしい」と頑張っている戸田真琴さんが、一瞬デビュー前の一般人にまで戻ってしまったかのような飾らなさに心をつかまれた。

12/18

病院で心理検査を受けて、白いカーネーションを買いつつバスを乗り継いで会場へ。渋谷までは電車の方が早かったかもしれない。

前日、一番気に入った写真があった。
バスか電車かの座席に座る、赤いワンピースの戸田真琴さん。憂いをたたえた表情に、
「そうそう、戸田真琴さんって〈これ〉だよね!」
一瞬で虜になった。

あまりに好きになりすぎて、
「今すぐお迎えしてはいけないんじゃないか」
そんな気持ちになってしまった。

今日はこのまま引き上げて、明日来るまで待っていてくれたら、この真琴は俺のもの。
それまでに誰かの元へ嫁いでしまったら、俺より強い思いや運命を持った誰かがいたということだから、負けを認めよう。

認めるも何も負け以外の何物でもないのだが、それくらいの〈試練〉を課さないと迎え入れてはいけないんじゃないか。そんな気がした。

誰かが、いた。
負けた。
気を取り直す。

飯田エリカさんがいらしたが、お話し中だったので声をかけるのは憚られた。
遠巻きに眺めていてもお人柄が伝わってくる感じ。こちらから胸襟を開きたくなる独特の雰囲気は、ご自身が〈開かれた〉お人なのだろう。懐の深い大人、という感じ。

徐々に写真が減って、空白が増える館内。これも表現の一つだろう。CGで実在するものしないものなんでも描けるようになった現代において表現者に求められるのは、伝えるためにいかに見せない/描かないか、いかに削り省略するか・・・だろうから。

この日も2枚。
今月のZINE、そしてこの写真展のキービジュアル的になっている黒ワンピース。これは一枚手元に欲しかった。
浴室での青ワンピースの写真。泣いた後のような、怒っているような、ふてくされているような、見るたびに表情が変わって見えそうな面白さ、楽しみを感じた。これはフォトフレームに入れて飾りたい。

代金を払いに物販ブースへ。
「えーっと、2枚で3000円・・・」
「トートバッグとセットで6000円!」
「うまい!」
あまりにも間が良かったので、思わず声に出してしまった。こうなったらこちらの負け、気持ちよく払うのが客の作法だ。

さてお昼は何を食べようか、考えながらバスを待つ。
(さっきのお釣りが6000円あるからちょっといいランチいけるな・・・)

ん?
さっき諭吉先生に働いてもらったよね?
10000-6000=6000?

急いで戻って、
「お釣り多かったよー」
と2000円返却。これをちょろまかすのは客の作法に反する。ほんの少しだけ備えた良心も痛む。

きっといいことありますよ
売り子のお姉さんのそんな声に送られてバスに乗った。

おねーさーん! いいことあったよー! ありがとうねー!

SNSで紹介されていた写真から、感じ取ってしまっていた。

これは生前葬、お別れ会だ。

来場者の持ち寄った白い花が飾られている様子は献花台
黒いワンピースは喪服
supernova=超新星は、星がその命を終える直前の最後の姿。地球で観測される時には、もう星の寿命は尽きている



僕らが持ち帰った写真は、戸田真琴さんの形見分け
折れた天使の羽か、太陽に灼かれて墜ちたイカロスの翼か

どれもこれもが〈最後(最期)〉〈終末〉を想起させる。

戸田真琴さんが〈戸田真琴〉を葬るための儀式。

死のような失恋。なんたる凄味か。

ぼくときみがここで別れて、もう二度と会えないとしたら、それはぼくときみのどちらかが、死んでしまうのと同じじゃないか。

出典失念

とにかく戸田真琴さんの〈終わる〉〈終わらせる〉にかける思い、意識の強さには感動する。
終わり方を間違えたら、ちゃんと終われなかったら、後悔がずっと残る。これまでの日々も、自分自身も嘘になる。それくらいのことは考えていそうだ。

僕たちは僕たちの戸田真琴さんを終われるだろうか。持ち帰った星の欠片を抱きしめるように眺めながら考える。
戸田真琴さんがここまで〈戸田真琴〉を終わらせようとするのは、戸田真琴さん自身のためであると同時に、僕らのためだからだ。

時の向こうに消えるものを、追いかけてはいけませんよ。

(イメージ)

これは愛だ。戸田真琴さんの大きな愛だ。大きな愛でもてなしてくれている。

僕らが自分の愛だと思っているものはきっと愛ではなくわがままや欲望で、自分が傷つかないように、自分を守ろうと少し腰が引けているけど、戸田真琴さんは全身を投げ出すように愛してくる。

全力で何か返すのが、全力の愛を受けた者の作法だ。ゼロから何かを生み出す技能も才能もなく、誰かが作ったものをいじくり回すしか能のない、しかも大した能でもない自分には、精一杯のリアクションを返すことしかできないから。精一杯やってこの程度しかアウトプットできない、そんな自分が嫌になるけれど。

戸田真琴さんは永遠を手に入れるのかもしれない。
一度終われたものは、もう二度と終われない、終わらないのだから。

迎え入れた写真たちは、今のところ『仮面ライダー展』のフライヤーと一緒に保管している。自分らしくて悪くないと思うけど、早くフォトフレームを買いに行こう。

今日の無関係

テーマと関係ない話をするというのが大好きでして。明らかに蛇足なので、興味を持たれた方のみ有料、かつ自己責任でお願いします。

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