海でただただ漂う日々

日本に戻ってきて以来数十年。『アラビアに行ったことあります』なんてレアな話は父の会社の人間以外ほぼ聞いたことありませんが、それでもたまにいらっしゃいます。友人にエジプト料理の店に連れていかれた時、隣の席に座ってたおじ様がそうでした。
でもね。
『俺もアラビア住んでたんだよ!』
と言われて親近感が湧いて、よくよく話を聞いてみるとドバイとかなんですわ。

もうね…。

誰がそんな今をときめく金持ち都市の話をしてるんだ
と…。

大体あそこサウジアラビアじゃないし!
アラブ首長国連邦だし!!
こちとら高層ビルどころか、2階建ての建築物もないほどの田舎。砂漠と海しかない究極のド田舎。おそらくイスラム圏の中でもカフジは相当特殊な環境だったと思います。アラビアでも、例えばもし首都リヤドに赴任してたらまた違った人生になっていたんじゃないでしょうか。街めっちゃ立派ですしね。

さて、そんな田舎で私が毎日どうやって遊んでいたか。
小学校になってからは、一人で海へ行っていました。
現地人は(女性は言うまでもなく)男性もあまり泳いだりしないので、常にペルシア湾貸切でしたね。波は穏やか。しかもものすごい遠浅(50メートルくらい歩いてもまだ頭まで波が来ない時もある)。危ない生き物も少ししかいないため、学校から帰るとほぼ毎日海へ直行。日が暮れるまで遊んでいました。
一人で毎日海とかどんだけボッチだよwwwって思われるかもしれませんが、カフジの日本人小学校は全校生徒が10人程度。同級生も3人とかだったので、ボッチでしたよねリアルに。

運動会は人数少なすぎてバーレーンの学校と合同で催しました。

海に行くと普通は泳いだりもするんですけど、大体はそんなことはせず。
砂浜でチョウチョウ貝を標本にするため拾ったり。水泳帽でその辺に漂ってる藻をすくうと、そこを住処にしている小魚やタツノオトシゴが見つかるので、それを眺めて過ごしたり。足をつつくモンツキの稚魚のむれと遊んだり。どれだけ遠くの沖まで行けるか試してみたり。
冷蔵庫からイカの切り身をくすねて、サンゴがある場所で魚に餌付けしたり。素潜りして骨貝拾ったり、砂に隠れてるコチや水面をはねるトビウオを追いかけたりしてました。
海の中って本当に不思議で、次から次へと新しい発見があって何時間いても飽きないんですよね。日が沈んで海の中が見えなくなるまで、ずっと潜って遊んでました。

上記はそんな中捕まえたタツノオトシゴ。

ですがそんな安全なペルシア湾でもたまに刺激的なイベントがあって。
海中でなんかざらっとしたものを踏んづけたと思ったらサメだったり。
全身が透けてるすごい綺麗な魚を発見見したり。
クラゲに巻きつかれて絶叫&悶絶したり。
現地のオッサンにお尻触られたり
時たま起こる衝撃体験が、日々のまったりとした日常に刺激を与えてくれました。HAHAHA。

特にサメはびっくりでしたね。
父が沖合で釣りをする時たまに出ると聞いていたので、いること自体は知ってたんですけど、まさか自分が遭遇するとは思わないですよね。いつものように浅瀬で遊んでいると、足の裏にザラッとした感触。あれと思って水の中をのぞいてみるとまぎれもなくジョーズ
てっきり襲われるのかと思って「ギャーッ!!!!」って叫んだんですが、よく見ると子供のサメ。しかも浅瀬に迷い込んですごく弱っていたようで、なかなか動かない。

そこでね。
動かないとわかると俄然強くなるのがカフジ民ですよ。
可哀想と思いつつも食料ゲットだぜ!と尻尾に紐をくくりつけて子ザメを捕獲 。大人に手伝ってもらってヨットハウスの軒下に吊るしておきました
無知とは恐ろしいもので、この頃の自分は『サメをただ干せばフカヒレができる』って思っていたんですよね。今ならちゃんと下処理してから干すのに。
ところが翌日様子を見に行ったら、なんとそのサメが盗まれていましてね。
フカヒレ目当ての人間が、たぶん私以外にもいたんでしょう。くそーっ。
あの時逃したサメのヒレ、食べてみたかった…。

あと一番つらかったのはクラゲに刺された時。
いつも水クラゲを浜に投げて溶ける様を眺める…っていうサイコみたいなことしてたから逆襲されたんでしょうか。
サーフボードを浮き輪がわりに父と沖に出ていた時のこと。ボードから降りて海の中に入ったんです。浅瀬にいる時は水の温度が全体的に暖かいのでいいんですが、沖に出ると水面は暖かくても底の方がひんやりと冷たくて、なんだか海の怖さの一端を感じるようです。
そんな肝試し的な楽しさもあってよく父には沖へ連れていってもらっていたんですが、サーフボードから降りた瞬間、左脚に信じられないほどの激痛が。あまりに痛すぎて声も出ませんでした。脚がちぎれてるのかと思ったくらい。
異変に気付いた父が私を岸へ連れていくと、クラゲの長い触手の巻きついた痕が左脚にくっきりと。現地人が「あ~これジェリーフィッシュにやられたんだね~」なんて言ってて「あ、クラゲってジェリーフィッシュって言うんだ…なるほど確かにゼリーみたいだ…ってそんなことどうでもいいから助けて」なんてことを瀕死の頭で考えてました。
その後は家に帰って軟膏塗って包帯ぐるぐる巻き。
カフジには日本人医師も一人いたんですが、たぶんあの時は母が電話で聞いたのか、結局家にある薬等で対処したようです。
当時の同級生には「クラゲに刺されたくらいで大げさだよ~」なんてからかわれましたが、今ネットの文献を見るに大げさじゃなかったなぁと思います。自分今でも右と左の脚の太さ違いますしね。
いや~あれは本当につらかった。
おかげでそれ以来沖へ行く時は、よくよく海の中を観察するようになりました。彼等ちゃんと目視できるのでね。

以上、安全と思う海でもいろんなハプニングが起こるでした。