イスラム教って…

アラビアに住んでいたと言うと、まず最初に聞かれるのが
アラビアに何年いたの?

自分は一度目のカフジ駐在の折に生まれたので、0歳からイランイラク戦争が起こるまでの3年間をカフジで過ごしました。そして二度目の赴任で、小学2年生の終わりから湾岸戦争が起こるまでの3年間を再びカフジで過ごしています。なので合計6年間ほどかな?
流石に3歳までの記憶はありませんが、やはり強烈な思い出だったんでしょうね。小学生の頃はよく覚えています。面白おかしく書いていますが、カフジの生活がイヤで家出したこともありましたね。随分と昔のことなのに、我ながらよく忘れずにこうして書き綴っているものです。

ちなみに次に多い質問が、
アラビアの国籍は選ばなかったの?


…ハハハ…アハハハハ…。


…。


いや、お察しくださいよ!!!!


知ってます?アラビアって国教がイスラム教だから、アラビア人になる=イスラム教に改宗するってことなんですよ?あの厳格なイスラム教徒に。
う、うん…まぁ教え自体は良いと思いますよ。お祈り毎日5回あるけど。一カ月断食とかしなきゃいけなくなるけど。お酒呑めないし、豚肉も食べられなくなりますけdいや絶対無理でしょ

特に酒!!!!

お酒呑めないとかマジ無理!!!!

言ってもこの身に流れているのは秋田県民の血。
私の人生を通しての目標は、死ぬまで楽しく飲酒することと言っても過言ではありません。
それにどこの国にも料理、酒、音楽って文化があるじゃないですか。それらを知ったり楽しんだりするためにかかせないものだと思うんです 酒って!

なのでアラビア国籍取得およびイスラム教に改宗する、という選択肢は全くありませんでしたね。気が付いたら二十歳過ぎてたし。
改宗しても隠れて飲めばいいじゃんとか言われそうですが、常に斬首刑のスリルを日々味わいながら人生送りたくありません(アラビアには未だに公開処刑があります)。
そんなワケで、今日も日本人である幸せをかみしめつつ晩酌を楽しんでおります。日本最高。

ところでさっき少し話が出ましたけれど、アラビアには(約)年に一度ラマダンっていう断食月があります。約って書いたのは旧暦をベースにしているためです。旧暦9月に行うため、毎年少しずつ開始タイミングがずれていくのですね。
ラマダンが来ると一カ月間、太陽が昇っている間はご飯を食べません。場合によっては水も飲まない人がいるとか。

あくまで現地に住んでいるイスラム教の方々のお話なんですけどね。
ラマダン中であっても、我が家はいつも通りの通常運転。ただ、外から見えてしまうと良くないとのことで、昼間はブラインド下げてご飯食べてました。

ちょっと変わったことというと、学校でなぜか日本製の乾パンが配られたこと。
乾パンって知ってる人いますかね。災害の時の非常食として、家によっては常備してたりするんですけど…最近は震災が多いから逆にメジャーかも?
見た目はちっちゃくてほんのり甘いビスケット。それが缶に目一杯入ってるんです。乾燥しているため、食べると硬い食感と共に口の中の水分が全部もってかれます
ラマダンが来る度に乾パンの入った缶が一人ひとつ配られるんですが、アレはいったいなんだったのだろうと今も頭をかしげます。たぶん学校側としては『うっかり食べないで倒れたりする子がいたら大変!』という思って配ってくれたんでしょうけど、 普通に家で昼ご飯食べてたしな
しかも、授業中にわざわざおやつタイム的な時間を取って食べてたんですよね。
教室のブラインドを閉めて机の上で隠れるようにして食べる乾パン。
いつもは配られないのに、なぜかあえて断食の時にだけ配られる乾パン。
ちょっと悪い事をしてるみたいですごく楽しかったんですが、未だになんの伝統だったのか謎です。

でも缶の中に入ってる氷砂糖は、当時のちょっとしたご褒美でした。
キャラメルコーンに入ってるピーナッツみたいな感じで、乾パンと一緒に少量の氷砂糖が入ってるんですけど、“氷砂糖をなめてると飛行機酔いしにくい”なんてジンクスが学校で流行ったことも相まって、食べずにとっておいたりしてました。
そもそも現地のスーパーにはたくさんのお菓子が並んでたんですけれど、どこで輸入してきたのやら、色がすごかったり匂いがキツかったり、はたまた甘すぎたりそもそも食べ物以外の味がしたり
美味しい!って思うお菓子はほぼ皆無だったんですよね…。
一度開けると部屋中匂いが充満するチーズボールが及第点。なので、氷砂糖を”シンプルだけどそこそこ美味しい飴”みたいな感覚で食べてました。
思えば乾パン自体、あんなにシンプルな食べ物ですけど『美味しくない』と感じたことはありません。やっぱり日本のお菓子って、昔からハイクオリティだったんでしょうね(乾パン自体はお菓子ではないのですけれど)。

そんな食事情だったので、現地の日本人のお母さん達はよくお菓子を作りました。母の十八番はチーズケーキでしたけど、マドレーヌとか場合によってはどら焼きとかも作ってたかな。
ただ流石に飴やチョコレート的なものまでは作れなかったので、日本からのお土産でお菓子をいただくと神の食べ物みたいな感じでしたね。ユックモックのクッキーとか風月堂のゴーフレットとか。デパートで買うような高級品は『大人のお菓子』と呼ばれて、私の口に入ることは少なかったんですが、あの頃の思い出に今でもたまに買って今度は一人で一缶空けてあの頃かなえられなかったささやかな夢の実現を楽しんでいます。

以上、日本のお菓子クオリティはパナいってお話でした。