誰も現実を直視しない金持ちの論理「身だしなみ」の闇

今回は「身だしなみ」についての話です。

この身だしなみというもの、できる人とできない人がいるんですが、これが社会に出ると「できて当たり前」とされるもの。
どこに行ってもそれはできないといけないことなのですが、明らかにその基本的なことができていない人と遭遇することがあり、言っても直らないということも珍しくない。

それもそのはず。身だしなみ即ち「衛生観念」とは、その人の価値観だからです。

しかしながら、身だしなみはやればできるものと勘違いしている人の多いこと。ネットで検索しても身だしなみの整え方や場面ごとの対応などばかり…要はできるのが当たり前とされているが故に、そもそもなぜ身だしなみができない人がいるのかという疑問に誰も辿り着かないのです。
だから婚活にしろ就活にしろ何にしろ、最低限のことであると同時に、みな最低限の思考しかしない。いや思考停止していると言うべきです。だから身だしなみのできない人に救いはなく、社会がその人の価値観を永久に否定し続けることになるのです。


経験則から学んだオタクにありがちな身だしなみの真実

僕の話をしましょう。ちょっと長くなりますがどうかおつきあいください。

中学時代は3000円のお小遣いをもらっていました。お小遣い帳はつけていましたが、収入が入ったらまず趣味(当時はポケモンカード)に投資するのはこのころから現在まで変わっていません。
高校生になると、学校でバイト禁止にもかかわらずバイトしてる人が何人もいましたが、クソ真面目だった僕はバイトもせず携帯も持ちませんでした。中学高校は制服ですから、身だしなみに気を遣う機会もなければ校則を破ってまで身だしなみに気を遣う理由もなかったのです。ですから普段から服装検査時のようにきっちりボタンさえしていれば身だしなみはできているという勘違いすらしていました。こうして身だしなみについての間違った価値観ができあがっていったのです。
今思えば、この価値観の形成とともに周辺からは避けられる傾向にありましたが、この身だしなみの価値観の間違いに気づくことはありませんでした。そしてこれが、大学生になって悲惨な結果をもたらすことになるのです。

さて、大学生になるとお小遣いはありませんからバイトすることになりますが、「身だしなみができている」という勘違いをしたまま社会に放り込まれるのですからバイトの面接には当然のように受かりません。大学1年生の最初の半年で13回の面接に落ちました。コンビニのオープニングスタッフも落ち、最初の3回でサークルの先輩からお前それあり得ねぇよと言われました。そしてこの間に10万ほどあったお年玉貯金を普通の大学生活と携帯代ですべて使い果たしました。
そして14回目の面接で受かった営団地下鉄(当時)某駅のバイトを大学卒業まで続けることになりますが、時給がいい(1200円)とはいえ時間が短いので収入は微々たるもの。趣味に投資して残ったお金でオシャレに気を遣おうと思っても、コナカで売ってる500円のチェックのシャツしか選択肢がありません。普段は服を買うことがなかったので、それを買うことがコスパ最強のオシャレだと思っていました。あまつさえ服に金をかけるのは馬鹿だとすら思っていたのです。よくチェックのシャツはオタクの定番だと言われますが、まぁ御多分に漏れずこの定番に陥ってしまったわけです。
身だしなみの間違った価値観はそのままなのでそれを就活に引きずることになります。合同説明会にスニーカーで来て人事担当者に怒られたこともありました。しかし価値観が間違っているので自分の非であることを理解できません。内定もないまま大学卒業が迫り、卒業1週間前に最初の会社に内定を頂くまでこのままの価値観を継続していくことになったのです。

しかしここに救いがありました。ひとつは入った会社の恵まれた人間関係と収入、もうひとつは内定をもらう直前に受けた2chで割と有名なSE派遣ビジネス系ブラック企業の研修です。ブラック企業でビジネスマナーを徹底的に叩き込まれ、その後に入った会社のおかげで潤ったので身だしなみは改善の一途を一旦はたどりました。そしてチェックのシャツを買う枚数が増えました(苦笑)。ダメなところは先輩が優しく指摘してくれたのでよかったのですが、趣味に投資することを前提にして身だしなみを後回しにする根本的なところは変わりませんでした。

ひとまずここまでをまとめると、あくまで僕の一例にすぎませんが、いわゆるオタクのチェックシャツ現象はなるべくしてなるものだということが見て取れます。趣味が早いうちから確立していることが要因の一つと、それをもとに経済観念ができあがったのが原因かもしれません。カギになるのは経済観念…要は金銭感覚です。
何にせよひとつ言えることは、高校時代までに身だしなみに気を遣う機会がなければ手遅れになるということですね。
中学高校で私服の学校を探して行けば手っ取り早く身だしなみを身につけられたんでしょうけど、そんな学校を探すのはまぁ現実的じゃないですし、高校時代に校則破ってバイトしてればと思いましたがこれも結果論ですね。結局のところ趣味を早い段階で持ってしまったら最後、社会に適応不可能な価値観が形成されてしまいます。オタクが身だしなみのできないのはもはや"習性"であるということで割り切る以外にはないのです。

経済状況と身だしなみの密接な関係

さて、ここまででわかる通り、身だしなみに必要なものは金です。それも莫大な。
莫大な、というのは僕の感覚であり、他人からすればそんな大袈裟な…と思うかもしれません。つまり身だしなみが当たり前にできてる人とそうでない人はまず金銭感覚が違うのです。
多くの人は経済観念と身だしなみの関連性を理解していません。ここに「身だしなみの闇」があると考えられます。

脱オタクファッションガイドを参考に一般論と現実の乖離を考えてみましょう。

この本に限った話ではありませんが、身だしなみに対する最大の誤解は「ちょっと気を遣えば変わる」という安易な一般論です。繰り返しますが身だしなみは価値観と経済状況に左右されます。金のない人間に身だしなみをひたすらに求めても絶対に変わりません。まずもってそこを前提としなければならないのです。

・主人公が大学生

幼なじみが最終的に彼女になるというオタク的王道展開にはこの際目を瞑りましょう。しかし問題は、彼女をつくるのにうってつけな理由かどうかは知りませんが、経済的に多くの場合余裕のない大学生をターゲットにしていることです。
現実の大学生は既に身だしなみができるかどうかの価値観が完成しているばかりか、経済的に余裕がない人が少なくありません。また、少ないお金をやりくりしているわけですから、身だしなみのできている人は何も気にする必要はなくても、そうでない人にとって身だしなみは容赦なくコストカットの対象になります。生きるために身だしなみを捨てざるを得ないのです。本当にそうかどうかは別にしても、価値観がそう判断せざるを得ない経済状況に陥っているのですから、涙を飲んで身だしなみを諦める人もいるはずです。
大学生をターゲットにするなら、経済状況を勘案することが必須事項となります。これを一冊にまとめるのは無理があるかもしれませんが、それならシリーズモノとして続編で経済状況との関連性を示すべきです。そこを考えずに身だしなみはできて当たり前という理想論をいたずらに流布するのは大罪と言っても過言ではないでしょう。

経済状況を勘案しているという点では、30歳の保健体育のほうが社会人をターゲットとしている分まだマシです。しかしアレもターゲットが正社員という前提で話を進めていて、収入が十分にない本当にターゲットとすべき層をないがしろにしている点で共通しています。これも非正規雇用を勘案したものに即刻改訂すべきだと強く思います。

・オタクがオタクファッションになる理由

本に書かれているオタクの間違ったファッションセンスとして「アニメやマンガに影響されて時代の先端を行く俺カッコイイ」と表現されている節がありますがとんでもない誤解です。バッジなどで自己主張する今で言えばラブライバー等の一部のオタクのファッションを例に挙げているのでしょうが、あれは例外中の例外です。多くのオタクはむしろ逆で、服なんかで自己主張しようなどとは考えません。合理的に服装を選択して購入し、手間暇を最小限に抑えます。費用対効果を勘案した結果がチェックのシャツやリュックになるのです。つまり機能性が優先されるのですから、下手すれば服を買うこと自体がオシャレだと勘違いしている節があります。
これは一種の経済観念ですから、もはやどうしようもありません。こうなると、仕事がなくなるという地獄を見ない限り変わることはないでしょう。経済的にも人間関係にも救いがなく、自分の身だしなみが間違っていると気づいたときに突き付けられるのは理想論ですから、変わりようがないのです。

・服を買うためにバイトを増やす主人公

順番が逆です。服を買わないとバイトの面接に受かりません。スーツを買って身だしなみをきちんとしないと就活に臨めないのと同じです。筆者はここでも大学生の経済事情を勘案することから目を背けています。
そして主人公のバイトは警備員という描写。おそらく筆者にとっては「警備員=高給」というイメージなのでしょうが大間違いです。警備員は身だしなみのできなかった人間が社会から弾き出された末路であり、端金にもならない賃金で劣悪な環境で奴隷のように働かされるのです。言うなれば「カイジ」における地下帝国の強制労働なのですから、身だしなみなどできるはずもありません。警備員という職業は身だしなみの概念とは対極の位置関係にあるものであり、ファッションについての内容で警備員の描写は言語道断です。そういえばカイジは金に困ってるからアニメ版の服装もチェックのシャツでしたねぇ。
僕が警備員のときに、元コックの男性が新人として入ってきたことがありましたが、服装検査の際に会社の不手際で制服を準備できず他人の制服で代用を…ということがあったときに彼は怒ってその場で即退職しました。当たり前ですね。衛生面にシビアな外食産業で働いていた人に警備業界の劣悪な衛生観念は堪えられるはずがないのです。

警備員の話はさておくとしても、身だしなみにかかるお金は尋常ではありません。服もグッズも消耗品ですから定期的に予算を割かなければいけません。そこまでしてする身だしなみに多くのオタクはメリットを感じるでしょうか。限られた予算をそこに費やす価値観は持っていないのですから、興味のない物事はコスパでしか判断できないのです。


筆者はオシャレについてまだ手遅れでない高校時代に気づいてしまったからでしょうか、身だしなみの闇をおそらく理解してないでしょう。それゆえに「身だしなみのできる人の論理」で解説しているのです。できる人の理想とできない人の現実にはとてつもない乖離があり、実際に会人1年目の身だしなみや自己投資にかけた額の調査でも

額面区分構成を見ても、男性のボリュームゾーンが3万円から5万円なのに対し、女性は1万円から3万円にあること、男性の10万円から20万円層の回答率が高いこと、そしてゼロ円から5000円までの層でも男性の方が回答率の上では女性以上である

という具合にできる人(10~20万円層)とできない人(ゼロ円~5000円までの層)に二極化しているのです。個人差の大きさは身だしなみへの価値観の違いということになるでしょう。
身だしなみのできる男性のかける額は最低でも年間平均十数万円と見ていいでしょう。それもビジネスの場に限った場合だけでです。プライベートまで含めたら、私服は毎日同じものは着ませんからもっとかかるはずです。おそらく年間30~40万円…月平均2万5千~3万5千円という膨大な金額になります。それを当たり前だと突きつけるのが理想論であり一般的な身だしなみの実態なのです。


身だしなみは金持ちの論理なのか

ここまでの話で見る限り、身だしなみに気を遣うことに十分な経済力が必要なことは明らかです。さもなければ経済的に困窮して身だしなみが整えられない負のスパイラルに陥ります。そうなったら最後、抜け出すことは非常に困難です。
このスパイラルに陥らない方法はたったひとつだけ、それは法的に労働による収入を得られない中学生までに身だしなみを完璧に実践することです。これが人生の明暗を確実に分けるでしょう。最初の労働への従事に失敗したら、あとは真っ逆さまの人生です。
そしてこれを実践する条件として、両親に衛生観念が備わっている(それが維持できる収入が家庭にある)必要があります。そうでなければ就職で詰んでしまうダメな身だしなみを当たり前のように教えられる結果となってしまいます。まぁこれは運としか言いようがありませんね。早期の身だしなみはある意味金持ちの特権です。

身だしなみで最も厄介な点は、モノ(物理)の必須な概念であるということです。考え方を変えるだけならタダですが、身だしなみをいくら意識したところで必要になるのは"モノ"ですから、その"モノ"を入手するのにどうしたってお金が必要になるのです。
それがどうしてだか「当たり前」と一般論で論じられ、物理的に不可能ならば社会から弾き出される…これほど理不尽な概念もなかなかありません。身だしなみは金持ちが基準の概念なのです。


残念ながら、この「身だしなみは金が全て」という理論を覆す概念は確立していないようです。ですからどうあっても金を手にしなければ社会の中で生き抜くことはできない…これが身だしなみの闇でなくて何でしょうか。
我々は自覚の有無にかかわらず、常に身だしなみの可否に恐れおののきながら人生を歩んでいるのです。

身だしなみをきちんとするには、お金の概念を変える必要があるというのがとりあえずの結論です。これについては次回に回そうと思います。

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