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「民藝」はたのしい。なぜか。

福岡に行った理由のもう一つは、この本を書かれた工藝風向の高木さんにお会いするため。お尋ねしたいことがあり、勇気を出してメッセージしたら、快くお時間を割いてくださった。話した内容は伏せるが、最後にこの本を買い、一週間読みふけった。民藝と柳宗悦をめぐる問いに答えてくれる、すばらしい一冊だ。
わかりやすい民藝 | D&DEPARTMENT (d-department.com)

迂遠になるが、15年以上前の私に戻って、この本と「民藝」への所感を書きたい。

私の父と母は絵を描くので、あちこち出かけてインスピレーションを得るのが好きで、私の高校時代の2000年代前半は、いわゆる「生活工芸」全盛期で、地元の川越には「うつわノート」さんができて、週末の度に三人でよく見て歩いた。母は琴線に触れた器や骨董の類を躊躇わずにお持ち帰りしてしまうので、増え過ぎてしまい、ある時スッパリ行くのをやめた。今も実家に帰ると、あの店のこれ、それ、に会えて私は楽しい。

高校の時の世界史の先生が、やや左翼的な方で、授業中に教科書はほとんど開かず、どこにも書かれていない「歴史」を教えてくれた。韓国併合、朝鮮における日本の侵攻と統治について学ぶ時には、柳宗悦が民藝運動を始めるきっかけにもなった、浅川伯教・巧兄弟について教えてくださった。柳や民藝運動にはあまり触れてはいない。とにかくこの二人について細かくプリントを作って一時間話す。(もちろん朝鮮統治については後で自分で教科書を読め、という。)2012年に栃木県立美術館で「浅川伯教の眼+浅川巧の心」展が開かれるなど、徐々に知られてきたけど、2002、3年はほどんど目にしないトピックだった。今思うとすごい先生だ。そこで私は、母が大枚をはたいて買って嬉しそうにしていた李朝の花器は、太平洋戦争の前に浅川兄弟が日本と韓国の友好を願って伝えた民具の流れだったと知った。

それから柳宗悦の本を読んでみたり、日本民藝館に行ったり、民藝をかじった。一人で古道具・坂田や桃居にも行ってみた。ところが、まずお金がないので、買えなくて楽しくなかった(笑)というのと、柳宗悦につまづいてしまい、知的好奇心が沸かなくなってしまった。「美の法門」を最初に読んだのが間違いだった。独特の柔らかいけれど、つっけんどんで、曖昧な文体に疲れてしまった。両親が見て歩きを控えたこともあり、「民藝」についてはそれっきりとなってしまった。学芸員を曲りなりに始めて、何度かこれも戻る機会はあったのだけど。

前置きが長くなったが、そこでこの本「わかりやすい民藝」である。まず、決して「わかりやすい」易しい本ではない。また民藝が「わかりやすい」はずがないことを記している。

民藝運動はやはり、諸工芸の権威化に対する一種のアジテーションとして、柳が組織した面がある。高木氏は日本における「美術」の始まり、また「工芸」の始まりから、丁寧に説明し、民藝運動を説明する。柳は近代化する日本が忘れてゆく諸国のモノを「民藝」と名付けたのであって、制度化を目論んだのではないということを念頭に。

今日に至るまで語られる、「無名」「地方」「他力」などという民藝の紋切型のイメージに対して、むしろ「非有名」「非グローバル」「非自力」として捉えてみるとよい、という。「~だから民藝だ」と断定するのではなく、「~ではない。にもかかわらず良い」だから民藝的だね、という視点を持とう、それが柳のスタンスだ、という。あの曖昧な文章はそういうことだったのか、と合点がいった。

また、柳の文によく出てくる「不二」(ふじ)(物事を二項に分けるのではなく一体としてみる見方)の思想に関して、高木氏の実体験から「能の声」と比較して(ここはとても)わかりやすく説明してくださる。能の謡は、型に即しながらも一人一人異なり、歌う時は自分の体でありながら他人になる。「不二」の状態であり、名もなき「民」となって「藝」をする点で、柳の思想を追体験できる、というのだ。Eureka!

レビューはこの辺にして、とにかくおすすめの一冊だ。この本は「民藝」について語りながらも、「アート」について、あるいは「デザイン」について、考える視点を与えてくれるからだ。これが「アート」だ、「アート」とはこれだ、となかなか断定できないジレンマと、「民藝」のモヤモヤはかなり似ている。制度化・権威化に対して、あまねく表現の自由と美的私観。嗜好。私にとって良いものは、社会に対しても良いか。いつも自分に問うことが大切だ。