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中平卓馬 火|氾濫

「なぜ、植物図鑑か」を15年近く愛読している。たしか写美のナディフで、てっきり新即物主義の本かと思って手に取り、違ったけどまぁいっかぐらいのノリで買ったものの、あまりの難解さに、はじめは読んでは閉じるの繰り返しだった。折に触れて気になって読み続けて、美術館に関わるようになると、中平の言説に改めて驚き、深く読むようになった。

中平は写真家というより、批評家に近いと思う。あるいは中平の写真は批評と不即不離の関係にあると思う。常にオモテの美術史に中指を立てるような、中平の鋭利な批評は刮目に値する。

アーカイブをフルで活かし、中平の仕事の全容を明らかにした本展は、それこそ生きていたら権威の象徴である美術館での展示など拒否したに違いないこの稀有な写真家の、カタチに残ったものを提示しても、破天荒な人となりや危うい批評にはあまり触れておらず、なぜ、今、中平卓馬か?の答えを見つけることはできなかった。

ディスカバージャパンや風景論をめぐる中平の考察、パリ青年ビエンナーレで「展示」した《サーキュレーション》が運営側に撤去された際の分析と抗議。そうした中平の外部と一触即発な部分が割と省かれていた。

「なぜ、植物図鑑か」という不思議なフレーズは、中平が自分のスタンスを宣言する一種のポエジーである。パネルでは、PROVOKE時代のアレブレボケからの脱却が、あるがままの実体として「図鑑」のように撮る行為に移行した、というような何ともストレートな解説で済まされていたが、そういうことだろうか?

せめて、中平の次の文を引用してほしかった。

ーいま私は漠然とではあるが、しかし強固な強迫観念のように私自身にのしかかっている仕事をできるだけ早く開始したいと思っている。それはなぜか「植物図鑑」と名づけられている。…なによりも図鑑であること。
…図鑑は直接的に当の対象を明快に指示することをその最大な機能とする。あらゆる陰影、またそこにしのび込む情緒を斥けてなりたつのが図鑑である。"悲しそうな"猫の図鑑というものは存在しない。もし図鑑に少しでもあいまいなる部分があるとすれば、それは図鑑の機能を果たしてはいない。…ではなぜ植物なのか?なぜ動物図鑑ではなく、鉱物図鑑でもなく、植物図鑑なのか?動物はあまりになまぐさい、鉱物は初めから彼岸の堅牢さを誇っている。その中間にあるもの、それが植物である。葉脈、樹液、etc. それらはまだわれわれの肉体に類似したものを残している。つまりそれは有機体なのだ。中間にいて、ふとしたはずみで、私の中にのめり込んでくるもの、それが植物だ。植物にはまだある種の曖昧さが残されている。この植物が持つ曖昧さを捉え、ぎりぎりのところで植物と私との境界を明確に仕切ること。それが私が密かに構想する植物図鑑である。
(中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」1973年)

「植物図鑑」とは、中平にとっての撮影行為の謂である。カメラという特権的な機械によって作為や自己表現を意識するのではなく、もっと自意識を解体して自分を外部化する思考。しかしギリギリのところで自分を失わないのが中平だと思う。「私」を捨て去った表現という意訳はしてはいけないと思う。

70年代後半にアル中から記憶を失い、闘病の中、記憶がリセットし続ける状態と向き合いながら写真を続けた中平は、かつて狙った、自意識の解体と再生の繰り返しを、図らずも(?)味わうことになり、それを引き受けた。その頃の、非常に痛ましい日記や映像は胸を打つが、記憶喪失前の中平の強烈な言説を出してこそ、この事後の中平が鮮やかに見え、展示が引き立つ。

簡単に扱える人物ではないからこそ、国立だからこそ踏み込むべきポイントがあったのではないだろうか。ご遺族への配慮や、展示の制約など、さまざまな事情があっただろうが、図録も出来上がってないとなると、初めて中平卓馬を知る人には、なんとなくスタイリッシュな写真展としてしか伝わらないのではないだろうか。

皮肉をいって担当の方にはたいへん申し訳ないが、展覧会はさしずめ「中平卓馬図鑑」であった。世間に爪を立てた中平のその鋭さを知らしめねば、写真の魅力も十分に伝わらないのに、どうやら爪をうまく研いで刺さらないようにしてしまった感あり。既定路線の言説に果敢に挑み、ついには身を滅ぼすほどに自己の仕事に邁進した中平をなぜ今、多くの人に知ってもらいたいのか。肉体も意識もスマート化・均質化し、誰もが責任を負わなくなってしまった現代だからこそでしょう。遅れて出版されるカタログを買うかはちょっと微妙だ。それよりまた「植物図鑑」をいちから読み直したいと思う。