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追悼

桑山忠明が今年の夏にお亡くなりになられていたことを、12月に知った。
ニューヨークに渡り現代アートの世界で活躍した日本人として、河原温に並ぶ大巨頭だ。

2014年頃だっただろうか。館にある桑山氏の作品を調べ、館蔵品図録に載せることにした。氏の作品群では珍しい、作品に筆跡が強く残る中期のものだ。絵画と彫刻の両面を持つ、曖昧な物体とでもいえるようなそれは、手軽に展示できるようなものではない。

少しでもヒントになればと、桑山氏が来日する際は、展示やトークイベントを積極的に聞きに行った。遠くは愛知県立芸術大学の長久手キャンパスへ。大阪のギャラリー山口へ。あまり多くを語らない桑山氏が日本人の若い人へ自らの思想を伝えようと言葉を発せられた貴重な機会だったと思う。

「観念、思想、哲学、理屈、意味も、作家の人間性さえも、私の作品には入っていない。アートそのものがあるだけである。ただそれだけれある。」という桑山氏の60年代のステートメントは、恐ろしいほどに桑山の作品を表現しきっている。

かつての私はそれを、アド・ラインハートのような究極の否定(Twelve Rules for New Academy)の宣言に近いものと捉えていた。全てを否定し尽くした先に残る、極めて機械的なものが桑山にとっての作品である、と思い込んでいた節がある。しかしそれは間違えではなかったか。

桑山のステートメントは「~ない」の方が重要なのではなく、「アートそのものがある」ということの方が核であるはずだ。「抽象画」=Abstractionが当たり前に使用された戦後に、「抽象」は思想や意味を伴うか、形式的諸要素(線、形態、色彩など)によって成り立つか、そうでなければなぜ描くのかが問われたはずだ。しかしそのような批評の目と関係なく、画家たちにとって「作品」はただひとつの「現実」であったはずだ。現実、すなわち、生であり、自己の分身である。

カンディンスキーやナウム・ガボ、モンドリアンら、戦前の「抽象」画家たちは皆、「抽象」という言葉を好まなかった。カンディンスキーは「抽象」ではなく「絶対」や「実在」を使おうとしていた。作品は自らに外在する、一つの揺るぎない存在であるからだ。ドゥーズブルクがこれを「具体芸術」=Concrete Kunstと言い、ヨーロッパにおけるデザインやミニマリズムの呼び名ともなった。

ただアートが存在している、という桑山の言葉はヨーロッパの言説と比べることでより鮮明になってくる。桑山の作品を「抽象」だとか、「ミニマリズム」だとか、一言で片付けてしまうのは、観る側の特権かもしれないが、作家の主体を中心に考えた時、もっと広く曖昧な意味、例えば「空間」や「呼応」のようなものが思い浮かぶ。静かなように見えて、饒舌なのだ。

話は変わるが、「コンクリート・クンスト」を考えるきっかけのひとつに、倉智久美子氏との出会いがあった。倉智氏は長くドイツで制作を行った。そのミニマルながら温かみのある作品は、毎回置く空間に合わせて表情を変える。倉智氏はアメリカの「ミニマリズム」よりも、ヨーロッパの「コンクリート・クンスト」に共感した。そして自らの作品は「問いかけ」の形であると言っていた。答えに到達し得ない、アートという「問い」そのものを、背負い込んだ人といえる。論文を書くにあたりいろいろ教えていただいた。群馬県立近代美術館でようやくお会いできてからまもなく、ドイツで亡くなられてしまった。

桑山忠明や倉智久美子のようなアーティストは、これから日本に生まれるだろうか。それは、制作や実験や発表よりも、自らと作品を見つめることに重点を置くアーティストとしての在り方。アリストテレスの唱えた概念に、「プラクティス」「ポエーシス」「テオリア」があるが、桑山も倉智も「テオリア」の作家だった。時間のかかることだ。

桑山忠明の作品紹介
大分県立美術館 研究紀要 第1号 (opam.jp)

倉智久美子の作品紹介
Publication_76_file.pdf (opam.jp)