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ええ道やで

観察会の下見をかねて盛岡市郊外の鬼ケ瀬山を歩いた。
登山口までの道路は工事中とのこと、その日の道案内は春に鬼瀬山を歩いたという息子②に頼んだ。ススキ、ササの藪漕ぎをしながら進む。夏を過ぎ、育ちに育ったススキの葉は、なかなかのクセモノで、私の手の甲や頬は瞬く間に擦り傷だらけになった。草丈も高く、少し先を行く息子と連れ合いをすぐに見失う。
GPSで確認すると正規の登山ルートとほぼ平行しているものの、時に大きく回り込むやら、戻るやら。クリも良い感じに落ちていて、草藪からいつクマが出てきてもおかしくはない。

「この道で大丈夫かなぁ」
私が呟く。すると連れ合いは
「ええ道やで〜」

なだめることも強がることも叱責することもなく、ごく自然に、心底いい道だなぁと思っているらしい。「…この道の、どこが…」という言葉は飲み込む。
いつでも私が大丈夫かなぁ…と呟く時には、既に9割の違うよなぁという思いが存在している。あとの1割は、そうだねと軽く同意してもらえればオッケーくらいの感覚。ところがその1割を連れ合いは大概肯定の直球で返してくる。
もちろん、これで行こうと思う、こうしようと思う、という時だって同じく肯定の言葉が返ってくる。
違う、やめときが出るのはよっぽどの時。
いつだって「ええやん!」「行こや!」「やりや!」

鬼瀬山の山頂の手前で通常の登山道に合流した。一般的にはこういうのが、ええ道と言うのだよと思う。その辺りから巨岩がゴロゴロ。かつて山賊が住処としていたという昔ばなしにもうなずける。山頂の木立の合間から姫神山のなだらかな山容、そして稲刈りを待つ黄金色の里を望む。
観察会当日は連れ合いが言うところの「ええ道」ではなく、復路に確認済の安心の尾根コースとなります。よろしかったらご一緒に。

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