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盛田昭夫によるテープレコーダー解説書 〜 『テープ式磁気録音 - テープコーダーとはなにか? 』 盛田昭夫 著 1950 (昭和25)

ソニー技術の秘密にまつわる話 (13)

1950 (昭和25) 年当時の日本では、放送局等ごく一部での輸入された物を除いて、「テープレコーダー」の使用方法どころか、存在そのものが、一般的にはまだ認知されていませんでした。

当然、国産初のテープレコーダーとして開発された東通工 (現ソニー)製の『G型テープコーダー』も、一般消費者から見ればまだまだ「未知の機械」にすぎなかったのです

ソニー創業者の一人盛田昭夫は、約40kgの大きな筐体の『G型』テープレコーダーを自ら担いで営業に奮闘し、販売に努めますが思うようにはなかなか売れません。
16万8千円 (初任給が4,000円程)という高額な価格設定もあり、面白がってくれるお客はいるものの、その用途がなかなか理解されず、実際に購入まで至らなかったのです。

そこで 盛田昭夫はテープレコーダー普及のため、アメリカのテープレコーダーに付属されていた『テープレコーダーの999の使い方』という小冊子をヒントに、テープレコーダーの歴史から原理、特徴や用途などをわかりやすく解説した冊子を制作します。
1950 (昭和25) 年8月に制作された『テープ式磁気録音 - テープコーダーとはなにか?』 は、営業先などでも非常に評判がよく、多くの人の手に渡ることとなり、最新の改良された機構や写真なども追加され、次々と版を重ねていきます。

テープレコーダーが開発されても、最初は裁判所や特殊用途にしか売れなかったために、盛田さんは『テープ式磁気録音機』を執筆し、この著作が三二版に上るほどのベストセラーとなって、世間の人々のテープレコーダーに対する関心を深めることができたのです。その結果、テープレコーダーはさまざまな使い方ができるのだということを、広い分野の人たちに理解してもらえるようになり、G型の販売が順調になると同時に、ユーザーからのテープレコーダーに対する要求も次々に出されてくるようになりました。
ソニー技術の秘密』第6章より

また、当時発行されていた電子工作や放送技術の専門誌『電波化學』では、盛田昭夫自身によるテープレコーダーについての解説コラム『テープレコーダーのはなし』を読むことができます。

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『電波化學』1951 (昭和26) 年7月号では『テープレコーダーの理論』について、続く8月号では東通工の技術者・木原信敏により開発され柳宗理のデザインが採用された『H型』テープレコーダーを引き合いに実際の機器の機構について詳細に解説されています。

また、『電波化學』1951 (昭和26) 年10月号では、

アルバムに貼った寫眞が眼で見る記録として数々の思い出を秘めるように、録音テープは耳で聞く記録として、多くの意義を持つものでありましょう。寫眞には報道寫眞、藝術寫眞、記念寫眞などいろいろな使いみちがあり、それぞれの用途に適した形式のカメラがあると同様に、テープレコーダーにも用途によっていろいろの形式のものがあります。
『電波化學』1951 (昭和26) 年10月号より

と前置きし、これまでに東通工が発売したテープレコーダーを4ページに渡り丁寧に紹介されています。

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現代においては

「経済界・産業界に大きな影響を与えた日本を代表する経営者の一人」

として語られることの多い盛田昭夫ですが、これらの資料は、優秀な「日本の技術者」の一人でもあった 盛田昭夫 の一面を知ることのできる貴重な冊子であるとも言えます。

盛田昭夫初の経営書として、ソニー創業期を経営者の目線で振り返り、自身の実際の経験から会社経営者や新たに社会でる学生たちに向けて書かれた1966 (昭和41)年に発表されベストセラーとなった『学歴無用論』の10年以上前。
テープレコーダーの普及に奮闘した一人の技術者によって制作された渾身の一冊は、隠れた初のベストセラーとなり、テープレコーダーの普及に大きく貢献したのです。

文:黒川 (FieldArchive)


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