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足踏みしながらの再スタート! わずか4ヶ月で完成させた「国産第1号機VTR」

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (34)

1958 (昭和33年) 年に入り、東京通信工業 (現 ソニー)はさらなる飛躍を誓い、社名を『ソニー株式会社』へと改名。

1954 (昭和29) 年に、資金面での問題で一時中断を余儀なくされたビデオテープレコーダーの開発を、この記念すべき年にソニーの技術者・木原信敏は再開させます。

既にアメリカのアンペックス (Ampex)社が、1957 (昭和32年) 年に放送用VTRの試作に成功し、1958 (昭和33年) 年4月よりアメリカ国内で販売を開始するというニュースを耳にしていましたが、木原は日本初のトランジスタラジオ『TR-55』やトランジスタテレビの開発関係で忙しく、すぐには本格的な実用化を目指した研究まで手が回らなかったのです。

1958 (昭和33年) 年4月、
当時の部下だった堀内昭直 (ほりうち あきなお)、盛田恒男 (もりた つねお)を含む少人数で、これまでに入手したVTRに関する技術情報を基にして開発がスタート、その後NHKの技術研究所で、NHK主催のVTR調査会が開かれるようになり、VTRの測定結果の検証と勉強会なども行われるようになります。

ビデオが短時日で開発できた理由は、少なくとも三つあったと思います。
 一つは、もちろんテープレコーダーを開発してきた技術力であったことは間違いありません。次は井深さんのツルの一声でした。これで優秀な人材が集められたのです。もう一つの決定的な理由は、我々が開発に必要な情報、器材、データを、快く提供してくれた人々がいたことです。
 アメリカのアンペックス社が回転ヘッド方式を完成させて、昭和三二年四月からアメリカで発売を開始していました。しかし、技術内容は我々の手に入らず、翌年の四月に大阪テレビにアンペックス型VTRが設置されて、初めて全貌が明らかになったのです。
 続いてTBSテレビ局にもアンペックス型VTRが入荷されたときに、吉田稔部長にお願いして、記録及び再生の状態をつぶさに見学させてもらい、多くの技術情報を得ることができました。
 吉田さんは、「日本の企業になるべく早くVTRのような放送用機器を開発してもらい、日本の放送事業が発展して、質や内容のよいテレビの放送ができるように希望しています」と言っていました。


ソニー技術の秘密』第4章より

1958 (昭和33年) 年8月、
通産大臣より昭和33年度研究補助金の交付指令を受け、『ビデオテープレコーダーの試作研究』に関して580万円が交付。

これを機に本格的にVTR研究がスタートし、アンペックス方式VTR機の制作が開始されます。

10月末には、アンペックス方式1インチ幅テープ、回転する多数ヘッドによる走査方式、真空管200本以上を使用した (4ヘッド真空管式) 試作が完成。

再生画像の質は、雑音や安定度ではまだまだ満足のいく仕上がりではなかったものの、TV信号を記録できるようになります。

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1958 (昭和33年)年12月、
アンペックス方式 (2インチテープ使用)による白黒放送用真空管VTRが『国産第1号機VTR』として完成。

この『国産第1号機VTR』の出来栄えは抜群で、アンペックス社が4年の歳月と膨大な資金を投入して開発した機械を、東通工は僅か4ヶ月程度という短期間で作りあげられる技術力を持つまでに成長していたのです。

文:黒川 (FieldArchive)


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