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てんのひかりはすべてほし

TwitterAPIを使用したサービス『リツイート直後のツイートを表示するやつ』が、2023年4月4日、APIの停止によりサービス終了してしまった。
このサービスはTwitter上でなんらかの表現活動やクリエイティブを行っていたユーザーにとってはかなり大きな存在であり、悲しみの輪が広がっている。

クリエイターにとって直接の感想やコメントが一番の励みになるのは自明の理として、そこまで行かない「直接伝えるほどではないが、ちょっとした好意や感想」もかなり必要栄養素である。
よく作家が「感想とまで言わないから『読んだ』だけでも教えてくれ」というように、「自分が送り出したものがちゃんと人に届いてるのか」というのはネットの大海に作品を流すものにとって一番の心配事である。それが「わろたwっw」「これ好き」「かわいい」などの一言でも、そのさざなみが大きな意味を持つ。
自分が投げかけたものが、どんなふうに受け止められているのか。
それを目視できるのが『リツイート直後のツイートを表示するやつ』だった。

もちろん、直接の感想やコメントが一番うれしいのは決まっている。
しかし、クリエイター側としても「クリエイターに直接感想やコメントしよう」とする行為がどれだけ重いのか知っている。
好きなクリエイターに失礼のないよう、不快な思いをさせないよう、万が一でも誤解を生まぬよう言葉を選び、書いて消して、消してまた書いて、ようやく送信ボタンが押せるものだ。
そして、それだけ気を使って書いていると分かっているからこそ、そのコメントがある種の忖度を含んでいることも分かっている。
その忖度はもちろんうれしいものだが、『忖度の一切ない、ただ溢れただけの感想』ってのは全く別の意味を持つ。
こちらに好かれようとか、こちらにいい気持ちになってもらおうとか、そんなの一切関係ない「つぶやき」が見たい。
ネットに流した作品は自分の手を離れ、ひとつのモノとして漂流し、それがあちらこちらでちょっとずつ人の心に触れていく。
『リツイート直後のツイートを表示するやつ』は、そのちいさな波紋を追いかけることができた。
「うふふっw」とか「いいね」とか、ちょっとしたつぶやきが、「ああ、この人に届いたんだ」と見ることができる。
それがどれだけ心救われることか。

コンサートにおけるサイリウムが好きだ。
サイリウムは、観客が自分の意志で掲げた光だからだ。
キンブレが好きだ。
どんな色にも設定できるからこそ、「この色にしよう」という人の意志が介在する。
キンブレは、観客が舞台の上に届ける「ここにあなたのことを見てる人間がいます」という小さな光であり、その光の価値は計り知れない。
ツイ廃にとって『リツイート直後のツイートを表示するやつ』は、自分に掲げられたキンブレだったのだ。

フェスや多人数コンサートで掲げられるキンブレは、「周りがこの色にしてるから、合わせるか」「よく知らない子だけど、衣装がこの色だから合わせとくか」くらいの軽い気持ちで掲げる色だが、それは「あなたがそこで表現していることを受け入れます」という意志にほかならない。
「頑張れ」や「大好き」の気持ちはもちろんものすごく大きな意味を持つが、それと同じくらい「あなたがそこにいるのを見ているよ」という小さな意志がぽつぽつと光ることは美しく胸を打つ。
『リツイート直後のツイートを表示するやつ』はその光だった。

RT数やいいね数にも、もちろん人の意志は介在している。
しかし、ツールとしてのそれは「好意」を示すものとは限らず、「備忘録」や「後で読む」の代わりだったり、時には「晒し」だったりもする。
『リツイート直後のツイートを表示するやつ』も好意的なコメントばかりがあるわけではない。
でも、自分のツイートが「人の心を打った」「それに打ち返してくれた」という光として、やはりちょっと特別な意味があったのだ。
『リツイート直後のツイートを表示するやつ』は、どんな人間でもそれを得ることが出来た。自分が何かを表現して、それが誰かの心に届いたことを可視化してくれた。

ありがとう、『リツイート直後のツイートを表示するやつ』。
またいつか会える日まで、さようなら。

本日はここまで。
次回はTwilogポエムの予定です。

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