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慰霊祭

2023年10月31日。ハロウィン。
世界が仮装という第二の自分になり。
「トリック・オア・トリート」を叫びながらお菓子を大人から合法的に搾取できる。子どもにとっては
クリスマス、お正月に次ぐ最高のライフイベント
なのではないだろうか。

すみません、話がズレました。

本日、私の通う学校のチャペルにて、Sr、並びに1Dの仲間と共に執り行われた「慰霊祭」
私の学校の敷地にあるチャペル。
2年ほど前まではsrたちが本当に寝食をしていたと聴き、驚きました。

服装はもちろん正装。
ジャケット、ブラウスにスカート、学校指定の
紺色ハイソックス。
相変わらず精神をじわりじわりと触むそれだけど。
チャペルの中に入ると同時にその精神的苦しさも
収まった。

太陽の光を反射して金色に輝くステンドグラス。
低く設計された天井が不思議と心地よかった。
窓から差し込む光の透明度に、揺れる蝋燭の淡い炎。
そして優しく揺うように話す彼女の安らかな声色。
危うく涙が出そうになった。

相手を想う愛。
それは自分が危機的状況に立たされるあるいは、癌や病気で自分の死期を悟るその時に、遺される人のことをちゃんと想い、最期に自分がどんな言葉をして逝くか、そういうことだと思う。

震災被害で逃げ遅れた親子がいた。
母親は腕にまだ幼い娘(名をみっちゃんという)を抱き、左手には5歳の息子の手を握りしめていた。
ふっと、振り返るともうすぐそこに津波が迫ってきていた。
子どもの手を引き、逃げようとした瞬間。
足がもつれ母親は転び、絶対に離すまいと握りしめていた息子の手を離してしまった。
あっ、と思うその誤間にはもう遅かった。
けれど彼は、こう彼女に叫んだのだった。

「おかあさん!ぼくは大丈夫!
おかあさんとみっちゃんのことずっとわすれないから!だいすきだよ!」

こんなにも極限の状況の中で。
たった5歳の子が言い遺す言葉で、大人びて相手を
思いやる想いに溢れる言葉を私は知らない。
それに、咄嗟な状況でこんな言葉が出てくるなんて
私が彼の立場だったら到底無理な話だろう。
さっと泣き叫び、こう言い遺すだろう。

「おかあさん!こわいよ!わたしの手をはなさないで!」

そう言葉を遺し、遺される方は
「どうしてあの時。あの時自分が手を離していなければ」とその後の人生、一生自分を責め続けるだろう。

自分のエゴに塗れたひとことは選される方の人生をも変えてしまうほどの力を持つ。
そのことを私は今日の慰霊祭のお話を通して感した。
きっと彼の言葉は先に逝き、遺される方が自分を責めないでその後の人生を送れるように、そんな願いのこもった「愛」故の言葉だったのだろう。
私はそう思う。

手渡された一枚の紙に祈りを書き、捧げる。
そのようなこともした。

『数えきれないほどの傷を隠しそれでも強くしなやかに生きる貴女へ』

私は貴女に平和の祈りを捧げます。
これがまだ届かぬ、二度と届くことのない私から貴女への最後の約束だと。
そう思いたい。
姿形、見えることのない貴女に。
私は貴女の生きる今世が。今日が。
『今』この瞬間も力強く『生』を生きる貴女へ。
貴女の生きる未来が平和に満ちることを願い祈ります。

アーメン。

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