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Re:NIGHT ESCAPE


  1ヶ月ぶりぐらいの更新ですかね。こんばんは。白月です。前置きなんてもの今回ばかりは必要ありません。本題へいきます。

   6月19日、1年前の今日私がわたしを辞めた日。

「白月嶺葉」が死んだ日。

   忌まわしい、消えない傷。今も私の中で深く根を張り今も私自身を侵食し、蝕み続ける。
あの日の、灰色六畳間の日の記憶。
高校に入った当初は「自分が」そんなふうになるなんて、これっぽっちも思わなかった。「そっち側」になんて行くはずがなかった、考えもしなかった。

   1年前の今日。月曜日で空は高く青かった。
なんの変哲もない月曜日をはじめようとしていた。
始めたかった。
朝のホームルームが終わり、授業の準備に取り掛かろうと席を立った時。担任に呼び止められた、差し出された紙きれを何もわからずに受け取った。
8:30を4分ほどすぎた、8:34のことだった。
ちらりと見やった、もとい刹那に睨みつけた時計の秒針が10のところに差し掛かろうとしていたことも、クラスの心地の良い暗さを含んだざわめきも、鳥の囀りも、私を見据える担任の眼も髪も立ち姿も声も。
  全部、ぜんぶ憶えている。ひとつも欠けずに、すべて。
今思えば、差し出された白紙を受け取っていたその時点で。私の中では1年の終わりを告げていたような気がする。
  その身ひとつで呼び出されたのは職員室の前。
高校に入学して約2ヶ月。ほとんど行く機会のない場所。たくさんの生徒や教師で賑わっていた。おかしいくらいに朝の色が、音が溢れていた。身に覚えのない不安感、漠然とした疑念、たくさんの人がいる中で、私だけが孤独だった。そう思うのは傲慢か。
   職員室の前で待ち始めて10分が経っただろうか。当時はよく知りもしない、隣のクラスの担任をしていたC組の教師と担任が2人で私を呼びに来た。私に背を向けさっさと前を行く彼女たち。何も分からず、幼子のように彼女らの背を追う私の足音と、1限の開始を告げる鐘の音だけが無機質に、明るいはずの校舎内に響いていった。

  「なんで、ここに呼ばれたか分かる?」
そんなこと言われたとて、私にはなんの心当たりもない。こんな言葉を使った切り返しはしていないが、そんなニュアンスの言葉を返していたと思う。少なくともその部屋に呼ばれて時計を見上げた9時時点の私にとっては、だが。
  「じゃあこれは何?」
そう言って担任がポケットから取り出したスマホの画面を見て、文字通り本当に凍りついた。冷水を頭からふっかけられた、心臓を冷たい手で掴まれたような。そんな生易しい表現なんかじゃ飽き足らず。
取り出された画面に浮かぶのは私のSNSのアカウント、 もといインスタのハイライト。もちろん鍵垢の。
直感的、いや本能的にリークした奴らの顔が頭に浮かんだ。私の、しかもリアルの友達と繋がっているSNSアカウントなんてひとつしかない。
  (なるほどね)と思った。激しく動揺してるんだ、と客観的に感じた。
足先が冷たく震えるぐらいの怒りを伴いながら、手先は動かなかった。表情筋が「虚」のペルソナのままどの表情にも切り替わらず、固く張りついて沈んでいくのを感じた。心、もまた然り。

   何時間が経っただろう。壁の時計は2限の終わりの時刻を差していた。
閉じ込められてからの約90分。気がつけば私は泣きに泣いていた。ただ心を殺して涙を流すことしかできなかった。
自分でも、何が良くて何が悪くてなぜ泣いているのかすら分からなかった。
   入れ替わり立ち替わり、マンツーで話す教師は1時間ごとに変わっていった。1限の終わりにはC組のあの人はいなくなり。元担任と私だけになった。3限の初めには願間とふたりきりで話をし、4限がはじまるころには生徒指導まで出てくる始末だった。
   「本当に反省してるのか」
そんなようなことを聞かれ私は頷けなかった。指導されるほどのことを起こしたつもりでは全くなかったからだ。
その日はみんなが授業を受けている中、親の送迎付きで帰宅。生徒指導に言われた言葉が刺さって抜けなかった。
  ああ、そういえば今日3年の先離たちの卒アルの撮影の日だったじゃん。なんてどうでもいいことを揺れる、暗い車内で思い出した。

 「犯非者」
お前がやってることは「犯罪」と同じことなんだぞ。
そう、生徒指導に言われた瞬間、盛り上がってた涙も引っ込み言葉にしようのない空白が襲った。腑に落ちた。 なるほどね。面白いくらいにその言葉が私の中の深いところにぴったりと嵌って。
ああ。私はもうこれから一生「それ」なんだ。

   そんな短時間では到底処理しきれない思いは後に、夜の痕となって消えた。いや、消えてはいないのか。今もずっと残り続ける。深く根を張り続ける。
「犯罪者の跡」として。
昏く苦い記憶を美談として片さないために。

わたしだけが去年に取り残されたまま。

  灰色六畳間から抜け出したとの日々も、私だけ梅雨に取り残されたまま、否応なしに廻っていった。その事実だけがただ淡々と残るばかりだった。

  副担だった彼女も、私と灰色の部屋で眼を合わせて話したその時、ほんの一瞬だけ彼女の瞳が揺れた。そのままその視線はわたしの左で固定された。
まるで人形のようだった―そしてそのまま何かを悟ったようだった。その瞳と私に謳うように言い聞かせる口調はただ、深く静かだった。
   彼女同様、現在もわたしのクラスの体育を担当している私が愛してやまない彼女もわたしの濃紺のことは知っている。

その瞳の色は今でも忘れられずにいる。

   時は流れ1年後。梅雨。進級し、2年生に。
6/19、水曜日。@現在
始業式当時、冬服に身を包んでいた名も知らぬ同級生たちはいつのまにか心許せる友人らになり、2回目の創立記念日を邪な心で迎えた。5月の下旬から制服は冬服から夏服に移行して。皆が夏を着る中、私だけが冬を纏う、夏の足音がもうすぐそこまで。
   夏が来る、私も冬を抜け出さなければならない。
けれど、素肌は晒したくは無い。日焼けはもちろん、
「あの日」の一夜の過ちで、濃紺に飛び込もうとしたことが知れてしまうから。鈍色に少なからず救われたことも。
   既に、部活の顧問、副顧問。2年部の教員。そして、わたしの大好きな先生にも。彼女彼らは静かに私についた濃紺色の跡のことを知っている。嗚呼。
   
   

   今はもう滅多に濃紺に救いを求めることは無くなった。鈍色も、今の私には必要ない。私はもう一度生き直すって決めた。あの日から、1年。
ねぇ、私。1年後の私はちゃんとした笑顔でそこに立ってるよ。だからもう、後ろは向かないで。
前だけを見て、周りの優しさをちゃんと受け取れる人でいて。拒絶しないで、閉じこもらないで。
視野を、拡げて。
 「まずは自分を知ることから初めないとね」
  「自分を大切にしなさい、貴女は貴女の人生を生きる権利がある」
そう、悪戯な色を宿した眼で私を見据えた彼女との話も。
   あなた自身を見てくれる人はあなたのそばに必ずいるから。いちばん近くに。

 

ものすごく長くなりましたね、支離滅裂な文をここまで読んでくれた方ありがとうございます。描くことに、更新すること、私の内側を届けることに意味があると思うので。思いたいので。
また次の記事で会いましょう。



   Carita(カリタ)=イタリア語で愛。

ジョロキアーノ・ロッシーニ  「La Carita」より抜粋。

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