仕事を辞めたい女の話3

あたしは小さい頃から、滅多なことで体調を崩さない女だった。
いじめを受けてた小学校の時でも、読みたい本があるからと、1度も不登校にはならなかった。
中学、高校と、6年間皆勤賞を取って、卒業式ではいつも表彰された。
高校のワンダーフォーゲル部の合宿中、20kgのザックを背負った状態で鼻から斜面を転げ落ちても骨折ひとつしなかった。
大学時代、コロナのワクチンを打った時、それこそ10数年ぶりくらいに熱が出てテンションが上がった。
そんな、健康優良児を地で行くあたしは、生まれて初めてのズル休みを社会人になって、やった。

職場のおっさんに「店辞めるんで」と啖呵を切ったものの、どうにも店には行きづらくなった。
担当営業はまだ退職のことを店の偉い人に伝えてなかったらしかった。
おっさんが電話口で偉い人に確認を取ってたけど、何も伝えてなかったらしいことが分かった。終業後、退職を暴露したことを担当営業に謝罪した。
担当営業は「指導の仕方にも問題があるから」と言ってくれたけど、カッとなって言い返した自分が100悪くて、申し訳ない気持ちで帰路に着いた。

1人の部屋に帰ってから、近況を知っている父から電話が来た。

まずは、
おかしいよね、うちの店
どういうことなの本当に
頭おかしいでしょ
と、怒りに任せて現状を伝えた。
そして、
もうどうすればいいんだろう
何もかも無駄になっちゃった
就活も上手くいかなかったのに、またやり直せると思えないよ
と、ギャンギャン泣いた。
仕事用のうっっっすい化粧が全て流れるくらいに。

父は静かに全てを聞き、たまにあいずちを打ってはこう言った
「もう戻っておいで」
「バイトでもなんでも、こっちにだって仕事はあるから」
もう、あたしにはどうすることも出来なくなっていた。

夢があった
仕事をバリバリこなして、東京でのし上がって、マンションの上の階に住むの
白いふわふわの猫を飼って、毎夜、夜景を見ながらお茶を飲むの

漠然とずっとあった、手の届きそうで届かない夢

もう、だめだわ。

地元に帰って、バイトしよう。
バイトしながら服作りを続けよう。
それがきっと、正しい生き方だったのかもしれない。

あたしはいつも選択を間違える。
正しいことをしようと選択する度に、何かしらの間違いを呼び起こす。
まるで教習所のマルバツ問題みたいに、あたしの人生の選択肢は理不尽で、難しい。

みんな、どうして正しい道を選べるんだろう。
やりたいことをやろうと努力していたのは同じはずなのに、あたしはいつも道を間違えてしまう。

体は屈強に育ったのに、心は、頭は、貧弱なあたし。
皆勤賞なんか取れたって、どうしようもないのにね。

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