墓標を打ち立てるように

滅茶苦茶久しぶりの更新だな。ずいぶん前は月に一回は更新するって決めていたけれど、一度更新ができなくなると途端に続かなくなる。
文章書くことすら続かねえんだもん、何が続くんだろうな果たして。

あの頃から比べてさ、だいぶ色んなものが落ち着いてきたんだ。生活そのものもそうだし、希死念慮もそうだけど。
ここでの記事を書くって言う作業は、精神生命を削って自分を救い出すとても歪な作業だったから。書かなきゃ死ぬから書いてたのもあったんだ。
その時と比べりゃ、今はだいぶいい。どう考えてもADHDなのに何箇所発達障害の外来行ってみても診断されねーから俺のこの生きづらさをもう何かのせいにもできなくて、どうしようもねーからと少しずつ少しずつ、他の連中が万力使ったり溶接し直したりしながら矯正しているねじれくねったものを、一人でいい感じの石とかでチントンカントンやってたらようやく少し人間になれてきた。相変わらず少し押せば切れそうなくらいにきりきりと細い糸のままではあるけど、前のようにぶちぶちとちぎれては無理やり下手くそな固結びをする、みたいなことは減ったような気がする。

それでも依然として死にたいなと思いながら朝は迎えるし、理由がない不安感にも襲われるし、酒はやめられねえし、自分のことが好きにもなれてない。
ここが天井なのかなと思うくらいに、ゆっくりと、牛歩なんて俺からしたらハイドラくらい爆速なんじゃねーかくらいの速度でしか変わることはできなくて。
今ここまで変われたこと自体すげえなって思うけど。けど逆にここから、俺の中のこの澱みてえなやつが綺麗さっぱり消えて無くなるのなんて、ピンク色の朝を迎えることができる日なんて果たして何十年後なのかって絶望だって同時にあって。

なあ、お前はさ。前よりどのくらいの距離歩いてきたよ。
以前、死にたくて死にたくて仕方なくて、もしかしたらその淵にまでいくようなことをしたり、呼吸できないくらいに頭が痺れるほど泣きじゃくってたお前が、振り返っても小さくなってぼやけるくらいには歩けてきたんかなあ。
だとしたらそれは本当に凄いことで。きっと健康な奴らなら、小さくなるどころかもう地平線のあっち側にでも行くんだろうけど。俺たちは牛より遅い歩みを、牛より重い鉄球がついた足をそれでもそれでもと前に運び続けているから。
その鉄球は錆びつくばかりで全然軽くなんてなっちゃくれないけど、かといって俺たちが筋骨隆々になれてるかと言われれば全然そう言うわけでもなく、
辛いのってずっと続いていて。俺もお前も、ずっと続いていて。

でも、よく歩いてきたよな。すげえなあ俺たち。凄い。
足を動かしているときは、いや今だってそうだ。本当にたかだか10m進むことすら苦しすぎてこんなん無理ゲーにも程があるだろって。笑ってしまうんだよ。
それでも、あのときの沢山泣いてしゃがみ込んでいた自分があんなに小さくなってんだもんな。

まだそんな泣きじゃくる自分がすぐそばにいるお前。お前だよ。
よく死なないで今これ読んでくれてるよ。ありがとうね。ありがとう。
進んでいればいつか小さくなるよなんて言わない。ほんのたまにしか前に足を運べないやつだっていることを知ってるし、その選択って無理にでも足を前に進めることの何百倍も勇敢な選択だってことも知ってるから。
それでも、死なないでこれを読んでくれてありがとうね。

別にそこにいていいよ。ここに来るまで俺はずっと待ってるなんてことしないし。普通に俺がそこまで行くよ。本当にしんどいんなら、ガッションガッション鉄球ぶら下げながらお前んとこまで行くからさ。
だからちゃんと死にそうなときは連絡しろよ。2度と連絡してこないやつだって少なくない数いるんだから。今でも全員たまに思い出しては、幸せになってたらいいなあって思うんだ。できたら、鉄球なんてもの消えてなくなって、羽みたいに軽やかに過ごしてくれていたらと思うんだよ。

1年間また生き延びて、また一年、生き延びる一年が始まる。
世の中って基本的に俺たちの敵だけど、赤黒のフィルターが網膜と脳みそにかかってる俺たちはどうしても敵にばかり見えてしまうけど、
それでも俺たちだけはそうじゃない。一緒に生き延びよう。鉄球をごろごろ転がしながら、それでも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?