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第1話 絵里と莉愛葉……1/13(金)夕方カフェ 

 ペイズリー柄のM65……色は白黒。
 素材はピュア・モヘアのシャギー。
 ライナーにブラック・クロス・ミンクファー。

 それをそろいでゆったり羽織はおる手足の長い女が二人。
 組んでいる脚の先にも揃いのソール靴……白黒モノトーンのペイズリー柄ベルベット・スリッポン。シャープなトオつま先からもイタリア製らしいのが見て取れる。

 さらにはリブパンツとシャツの総柄そうがらセットアップ、それを色違いで着用している。片方は赤、もう片方はこんを基調としたもので一見いっけん無地に思える。しかし、よくよく眺めれば……どちらもペイズリー柄。
 ひざの内側に共布ともぬのパッチを当てたジョッパーズ風リブパンツも、共布でイカ胸をあしらったウィングカラーシャツも、ビキューナ100%のジャガード生地を裁断さいだん縫製ほうせいした〝ニットソー〟と呼ばれるもの。

 と、ひときわ贅沢ぜいたくよそおいに加え、ともに顔立ち美しく、そこらを行き交う人の目を引いてやまない。
 アウトレットモール内にあるカフェ。
 複層ふくそうガラス張りの明け透けな店内。
 窓際にえられた小さなテーブル。
 背凭せもたれのないスツール席で向かい合い、コーヒー片手に座っていようと、どちらの女もスタイルが好いのはひと目で分かる。

 そのうちの一人。色白の黒髪は木村きむら絵里えり
 天頂から腰に至るまで毛艶けつやの好い髪。前髪を作らず耳にかけ、広いひたいあらわにしている。透き通った白い素肌をそのままに化粧気は薄く、それでいて随分ずいぶんと仕上がったかんばせをしていた。

「最近さァ…」と絵里。
 スマホのカメラを鏡にし、ぽってり厚い唇にルージュをし直しながら言った。
 はかなげな肌に、どぎつい紅がよく映える。
 それも相俟あいまって如何いかにも日本人らしくり上がったまなじりとがったあごが挑発的。声は低く、人を喰った調子でぬるりと発する。また平素へいそから目がわっているためか、27歳という年齢に不相応ふそうおう貫禄かんろくがあった。
藪千里やぶせんりの連中がウロチョロしてんだよね」
 言い終えるなり、絵里は唇を突き出し、キス顔をセルフィした。
 出来栄えを確認することなく、テーブルの向かいで背筋よく座っている女にスマホを差し出す。袖口から手の甲にせまる入れ墨がのぞいた。爪は短く、マニキュアはしていない。

 これを受け取ったもう一人は、冬であれ肌のよく焼けた後藤ごとう莉愛葉りあは
 エアリーにカールしたトライバル・パーマ風のショートヘア。黒に近い地毛をクリクリとかろやかに弾ませている。

 ホリの深い西洋面せいようづらをしており、造りの大きな眼孔がんこうのせいか三白眼さんぱくがん気味。幅の広い平行二重へいこうふたえまぶたもとでは色素の薄いヘーゼルの瞳がすずしく、白目は澄み渡り、そこに毛の長い太眉ふとまゆと濃いアイメイクがよく映える。

 それを台無しにするのが鼻から下で、のっぺり間延びした日本人の平均顔では画竜点睛がりょうてんせいを欠く(目に負け、顔がけばしくなる)。
 ところが莉愛葉の場合は立派な鷲鼻わしばな、高い頬骨ほおぼね人中じんちゅうは短く、そして大きな口が華やかだった。加えて、ほんのりくぼんだ顎先あごさきが男性的な力強さでもって、それらを完璧にまとめている。こうした顔立ちと褐色かっしょくの肌との相性は好く、また紺色の服との相性も好かった。

「何それ」と莉愛葉。
 スマホに残された絵里の顔———肉厚な唇をすぼめてうるわしいキス顔を〝お気に入り〟へ登録するなり、それ以前に絵里が眺めていた『東京都北区を拠点にする中国人マフィア 藪千里 ~3代目加賀尾かがお組との死闘の果てに~』との、いかがわしい記事が載っているサイトのURLを検索履歴から削除した。

 スマホを上着のポケットにしまいながら「そういえば御殿場の前は赤羽だっけ」莉愛葉が訊いた。
「赤羽には2年くらい居たけど」絵里が言った。「浦和の更生施設だったから年々ねんねん池袋目指してたんだよね」
「で、御殿場?」莉愛葉は驚いた。「埼京線って赤羽の次、御殿場になったんだ」そこで吹き出す。「じゃ、あたしが通ってた十条の女子高って今どうやって行くんだよ」
 莉愛葉は23歳になったばかり。
 高校を卒業するなり御殿場で単身暮らし始め、じき5年になる。
「はッ」絵里も笑った。「三春みはる抱いてたから電車乗れなくて。だからタクの運ちゃんに〝彼氏に殺される。早く逃がして〟って芝居打った」
「赤羽から御殿場っていくらすんの?」莉愛葉が楽しそうに訊いた。
「どうだろ」絵里は首を傾げた。「深夜だと15万ぐらい? でも、ヤバイ金盗んじゃった…って札束見せびらかして」こともなげに続ける。「そしたらビビりまくっちゃったから、結局、高速代とガソリン代しか払ってない気がする」
「はぁ?」莉愛葉は呆れた。「意味分かんね」
「だって」絵里は言った。「見逃してくれたら礼はするからって、運ちゃんの名前とかナンバー控えようとしたんだもん。そしたら〝関わりたくないから勘弁してくれ〟って」
「ああ…」莉愛葉は納得した。「赤羽は結構危ないって言うもんね」

 こうして話している間、ふたりの顔は近かった。
 その日———1月13日金曜日。
 風はあったが雲はなく、初春の陽気で昼間はめっぽう暖かかった。
 カフェへは陽が沈んだ頃に来店した絵里と莉愛葉。冬至は過ぎたが、陽が伸びるまでまだ遠い。傾いてしまえばすぐ暮れる。富士の向こうへ陽が隠れ、そうして間もなく風がめた。

 アウトレットモールでの用事が済んでいるなら、帰り支度をするのに頃合いだろう。店舗照明のほうが屋外よりもうるさくなれば、途端に店内が閑散かんさんとして思え……客がそぞろに入店することを躊躇ちゅうちょし始める時分でもある。

 それでも正月気分が抜けないせいか、あるいは今再いまふたたびの土日を迎える心地からか、カフェへだけは未だに客足が途絶えなかった。まず注文するためにレジへ並び、それから商品を受け取るために並び……と、列をなしている店内。言わずと知れたシアトル発祥の人気店。

 そこで手持無沙汰てもちぶさたたたずんでいる者らがうらめしそうな目を向けてくるのをよそに、莉愛葉はモバイル・オーダーしておいた商品が既に準備されている受け取り口へと割り込んだ。
 そのカフェで最も大きいサイズのホットコーヒー2つを手に取る。
 と、カウンターの中からスタッフの声。
「モバイルでのご注文ありがとうございます。〝関羽と張飛〟様ですね。ごゆっくりお過ごしください」
 大きな声だった。
 聞いて莉愛葉は辟易へきえきした。
 モバイル注文時には〝あだ名〟が設定できる。絵里が悪戯したのだ。ただでさえ派手な恰好で目立つ莉愛葉は一揖いちゆうし、足早に立ち去る。

 ところで、莉愛葉と絵里がともに素足で履いているスリッポンのソールは3cm。カップインソールにはムートンが貼られている。が、たいして厚くない。ソールとあわせて5cmあるかないか。
 だから、ふたりとも背が高い。絵里は172cm。ことに莉愛葉は長身で181cmある(靴のサイズは43)。このため男の手にも余るはずの巨大なカップがまるで気にならなかった。

 その間の絵里は「そこ取っといて」と莉愛葉に言われた簡素なスツール席に着いて待った。莉愛葉の魂胆こんたんは見え透いていた。いくら混雑しているとはいえ、満席だったわけではない。ようやく商品を手にするも店内ではくつろがず、すっかり暗くなる前に帰路へこうと出て行く客も多かった。すなわち、ソファ席を選ぶこともできた。

 それでも背凭れのない椅子を選ぶ理由がこれである。
 自然に身を乗り出しやすい。
 脚を組めば前へかがむ。
 肘をつけば、それだけ顔が近くなる。

 そうして絵里は頬杖ほおづえをつきながら、コーヒーを両手に向かってくる(何か言いたげな)莉愛葉……を見上げる客らを眺めて目を細めた。
「うわ」「すご」「やば」「でか」
「え、何? あの人たち」「劉備軍だろ」
 ひょんな闖入者ちんにゅうしゃに目をそばめたはずが一転。声を揃えて色めき立つか、ほうけるしかない間抜けの黒山くろやま。そこから頭ひとつぬきんでている莉愛葉、その小振りな頭に宿る別段の美貌は、まさに『われら富士山 ならびの山』だと思った。

 また莉愛葉は腰の位置が高く、体のなかばはあしである。それを大股おおまたひりがえし、好奇こうきにさざめく下々しもじもの視線に高らかな靴音だけで応える様子は、絵里の目に痛快だった。

 列に並んでいる女はどれも十人並で取るに足らない。
 必死に〝カワイイ〟を取りつくろっているつまらない女———どれもが大差ない顔をし、それを少しでも良く見せようと、どれもが大差ない格好をしているか、ブランド物のバッグや財布だけが浮ついている見栄っ張りか、あるいは宝石箱でも眺めるかのようにスマホ画面へかじりつき、己にとってのみ居心地の好い世界に入りびたっているあわれな女か。

 そこに絵里が混じれば「鶏群けいぐん一鶴いっかく」「掃き溜めに鶴」には違いない。しかし、莉愛葉に眺める暴君ぼうくんの姿には及ばぬことを知っていた。5cm底上げして……177cm。とはいえ、横並びでは絵里の白眉はくび幾分いくぶん埋もれてしまうだろう。

 畢竟ひっきょう、身長。
 多様性やら十人十色の個性とはいえ、人間に身長よりも目立つ武器などろくにない。莉愛葉はそこに9頭身のしなやかなスタイルまでをあてがわれ「鬼に金棒」敵なしだった。

 それにしても『美というやつは恐ろしいおっかないもんだよ!』なァ……と絵里。
 なぜって無情。疾風はやてのように現れては辺りの人間にことごとく敗北を与える。そこらにつらなる弱々しいあごを残るくまなく自ら上げさせ、あまねく低い鼻先に現実を突きつけるなり去っていく。

 この圧倒的な天賦てんぷ所在しょざいを目の当たりにし、思わず感嘆かんたんするのもつか、続けて込み上げた嫉妬しっと羨望せんぼう・ない物ねだり……にたちまち、そこらの女の表情がくもる。
「私だって、もう少し背が高かったら」
「私だって、鼻さえ高ければ」
「私だって」
「私だって」
「どこがどうなら」「ああなら」「こうなら」
 絵里にはそう聞こえた。
 だって、コンプレックスがなければアウトレットに用などないのだからと。
 
 それもそのはず、目は口ほどに物を言う。
 苦杯くはいめるは骨身にみる。
 中途半端な女であるほどもろい自尊にさぞ沁みる。

 こうして悄気しょげるかくじけるか、みじめったらしい面持おももちで立ちすくむしかない烏合うごうの衆……など歯牙しがにも掛けず、そこから颯爽さっそうと立ち去る莉愛葉はまるで「ブスが何したって無駄だから」と無慈悲なばかり。

 まさに暴君。
 この容赦ない美の蹂躙じゅうりん、この清々しいほどの暴力に平凡は一敗地いっぱいちまみれるしかない———と、客らを隅々すみずみ蔑視べっししていた折(はなから男は眼中にない)絵里はやがて藪千里の存在に気付いた。

 そんな視線を立ち塞ぎ「どっちが関羽で、どっちが張飛?」と莉愛葉。
 コーヒーを受け取りながら「あはっ。どっちもブラック」と絵里。「だってロマサガネタじゃ分かんねぇって言うから。それに今日中国人多かったし」続けて「てか、最近さァ…」と、この次第。

つづく
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以下、注釈
ビキューナとモヘア:カシミアよりも希少きしょうであるため価値が高い。
アズーロ・エ・マローネ:イタリア人が好むアズーロ×マローネの色合わせのこと。例えば……紺のスーツに黒い革靴を合わせると、どっしりとした印象(イギリス的)になる。紺のスーツに茶の革靴を合わせると軽快な印象(イタリア的)になる。※スーツの形や靴によっても印象は変わる。
複層ガラス張り:御殿場=寒冷地仕様。また、近くに自衛隊駐屯地がある=防音のため。